天界の第一アグナーム(羊とヤギの群れ)
天界のガナム(羊とヤギの混成群)たち(1)、ケフェウス座と北極星の間
キーワード:
ガナム(羊とヤギの混成群) 複数形アグナーム(羊とヤギの群れ)
天界の第一アグナーム ケフェウス座
γ星「羊飼い」ラーイーal-Raa”ii ρ星「羊飼いの犬」カルブ・ラーイーKalb al-Raa”ii
β星「散らばるガナム(羊やヤギ)たち」アルフィルクal-Firq
α星とβ星「二つの散らばるガナム(羊やヤギ)たち」アルフィルカーニal-Firqaani
ケフェウス座全体が「散らばるガナム(羊やヤギ)たち」Kawaakib al-Firq
ケフェウス座と北極星の間が牧場al-Rawdah
先ず前ブログで「狼、ガナムを喰らう」として、「狼の好物」としてガナムやシャー「羊とヤギの混成群」を述べてきたが、ガナムの複数形にアグナームaghnaamがあり、その用語は地界だけでなく、天界にも存在することを述べてきた関係上、まず天界の「羊とヤギの混成群」であるアグナームaghnaamのことを述べておかねばならない。
そして家畜管理としては便利な用語、シャーshaahとガナムghanam、いずれも「羊とヤギを区別しない群れ、羊とヤギの混成群」として紹介した。ガナムの用法の方で、一見して10頭以下の場合は、少数複数形のアグナームaghnaamが、また群れの数が10以上の場合は多数複数形とアガーニムaghaanimまたはグヌームghunuumが用途立てられている。
そして複数形の中のアグナームaghnaamは、よく用いられる用語で、大きな「羊とヤギの群れ・群」としてよく知られている。
この数数形のアグナームaghnaamの方もまた、多く複数形として用いられる用語で、しかもこの知られた用語は、地界に限らず天界にも用いられている。天界に存在する「羊とヤギの群れ」としても固有名詞として存在している。すなわちアグナームaghnaamとの名称を持つ星ぼしが天界にもあるのである。
単に複数の羊とヤギの混成群アグナームがいるだけではない。これら多数のアグナームに必要な外的要素である「放牧地・牧場」もラウダal-Rawdahの名のもとに天界には雄大に展開されていて、北天にあるから、我が国からもほぼ常時見ることができ、我々の夜空を楽しませてくれている。
この天界のアグナーム(羊とヤギの混成群)の群れ群れ、およびラウダ(al-Rawdah放牧場)については、子細に見てゆくと、それだけではなく、放牧には必須な羊飼いなどの「番人」ラーイーal-Raa”ii、それに番犬・牧羊犬カルブ・ラーイーKalb al-Raa”ii 、直訳すると「番人の犬」まで配されてもいるのである。
さらにもっと驚きがある。天の雄大さを実感できるのは、この牧場ラウダには広大な柵ナサクnasaqが設けられていることだ。しかも北の牧場柵と南の牧場柵と二つの柵ナサカーンal-Nasaqaanが点々と続く。単に抽象的に「この辺り」というのでなく、星座を跨って柵は続き、それに伴って雄大さはさらに伸長される。
このように天界にある「羊とヤギの混成群」アグナームal-Aghnaam、および関連する「牧場」ラウダal-Rawdah、「番人・羊飼い」ラーイーal-Raa”ii、牧羊犬カルブ・ラーイーKalb al-Raa”iiそして「牧場柵」ナサクal-Nasaqについてこれから述べてゆくことになる。
なお羊全体については「星と動物 獣帯(黄道12宮)の雄羊・雄牛・双子—アラブ・イスラム世界のフォークロア」(『アリーナ』第10号2010年12月)の中で、「牡羊座」を述べる関連で、「天地の羊」として書き記しておいたので、そちらも参考にされたい。
これら天界のアグナーム(羊とヤギの混成群)たち、天界の牧場、番人、牧羊犬、柵は二か所あり、いずれも北天にあり、我が国からは春秋や四季に関係なく、何時でも見られる。
一つはケフェウス座と北極星とが関与しており、こちらは牧場柵(nasaq)は持っていなく、広大とは言えない。これを「第一アグナーム(羊とヤギの群れ)」と名付けておこう。
これに対してもう一つは蛇座、蛇使い座、ヘラクレス座、琴座らが関与しており、南北の柵も持っており、なぞると南辺のシリウスと北辺のカペラが作る冬のダイアモンドを見る如く雄大で、塞いだ気持ちを広げてくれる。これを「第二アグナーム(羊とヤギの群れ)」と名付けておこう。「第一アグナーム(羊とヤギの群れ)」の方はケフェウス座と北極星の間に限られるが、「第二アグナーム(羊とヤギの群れ)」の方は牧場柵まで設定され、雄大に広がる。但し多くの星が3等星以下なので、視力の優れたベドウィンはともかく、一般人はよく目を凝らさないと見えないことである。
論は長くなるので、とりあえず今回は天界の「第一アグナーム(羊とヤギの群れ)」を述べてゆくことにする。
1 天界の第一アグナーム(羊とヤギの群れ),ケフェウス座と北極星の間
この「第一アグナーム」の位置はケフェウス座と北極星とが関与しており、天の極北にある。ケフェウス座(Cepheus)は、北天の星座で、五角形の尖がりの先が北極星であることから馴染みの星座であろう。アラビア名はカイファーウスQayfaawsまたはキーファーウスQiyfaawsとギリシャ語をそのまま借用しているが、別名をムルタヒブal-Multahibと言って、「怒る者、燃え盛る者、熱心な者、熱情家」の意味である。北天の極近くのあるので、自ら発奮している必要もあろう。
下図を見れば分かる如く、ケフェウス座の座像は逆さに象られている。五角形の駒形の尖がりの方が頭部ではなく脚部になる。その尖がりがγ星(3等星)である。図像では左足の大腿部に当たる。そしてその左足の足元は北極星を踏んづけている様になる。
ケフェウス座の星座図と像:
左は星座図。北極点を中心にしてケフェウス座が白抜きで示されている。北極天が中心の描き方なので、極に近いほど収斂しており、ケフェウス座もまた実視より狭められた星座図となっている。極に最も近い駒形の尖りがγ星であり、エッライErrai(<亜名アッ・ラーイーar-Raa"ii)とあり、α星は駒形の右底辺にあり、アルデラミンAlderamin(<亜名アルジラーウ・アルユムナーal-Dhiraa” al-Yumnaa)、そしてβ星は駒形の左肩に当たり、欧名アルフィルクAlphirk(<亜名アルフィルクal-Firq)との星名が記されている。本ブログで重要なのは尖がりのγ星の右隣にあるρ星であり、亜名カルブ・ラーイーKalb al-Raa”ii「羊飼いの犬」とされている。
右図はよく知られているケフェウス座の星座像である。駒形がひっくり返り、人物像が象られている。ケフェウスはエチオピア王のはずなのに、猟師風ないで立ちである。α星、β星、γ星に星名が確認できる。下の北極星はケフェウスの左足に踏んづけられている様。いずれもインターネット画像より。
五角形の頂点γ星は、地軸の関係で、はるか先の話であるが、西暦3100年頃には北極星になる、とされている。
さて、このケフェウスの五角形の頂点の尖り星、ケフェウスの下半身にあるγ星は、西欧語では固有名を持っておりエライまたはエッライ(Errai)とされている。他にもArraiとか Alraiとか Er Raiと訛った形で西欧の固有名になっている。この命名も明らかに原語、アラビア語から転訛したものでラーイー al-Raa”iiが元である。
欧名ではすべてアラビア語の定冠詞を入れて読んでいるので、原語も定冠詞を入れて読むと、アッ・ラーイーar-Raa"ii<アル・ラーイーal-Raa"iiとなり、後者が西欧に訛って入っていったのであろう。意味は「家畜番、羊飼い」である。西欧ではこんな寒いところにアグナーム(羊とヤギの群れ)が放牧されているのか、と思われるが、アラブ地域は亜熱帯地帯なので、寒い・冷たいも大したことが無い、何せ「雪」と「氷」が同じ語で、区別もないほどであるから。
γ星が「羊飼い」であれば、牧羊犬のどこかにいるはずである。その東の等緯度のところにρ星(5.4等星)が見える。このρ星がアラブ・イスラム世界では、牧羊犬とされている。光度は強くないけれども、「羊飼いの犬」カルブ・ラーイーKalb al-Raa”iiとの固有名を持つ。
天の極北に近いけれども、「羊飼い」ラーイー と「羊飼いの犬」に守られて「羊とヤギの混成群」アグナームal-Aghnaamが散在していることになる。
ケフェウス座の五角形の天辺が逆を向き、そこ「羊飼い」と犬とが番をしているとのことであるから、五角形全体をラウダ・牧場と見做してもよかろう。あるいは北極星周辺までとしたら、ケフェウスの五角形をもっと拡大して、その頂点を北極星辺りまで伸ばして拡大すれば、より記述に近い牧場となろう。
α星は駒形の右底辺にあり、人物像だと右肩、右上腕部に当たる。欧名アルデラミンAlderamin。この欧名も原語はアラビア語であり、その図像通りの「右上腕部、右腕」を意味するアルジラーウ・アルユムナーal-Dhiraa” al-Yumnaaである。
β星はケフェウスの人物像の右腰の辺りあり、星名からしてβ星は人物像と無関係になる。すなわちアグナーム(羊とヤギの群れ)の中心を占め、ケフェウス座の人物像は解体される。
β星は欧名アルフィルクAlphirkとの星名を持つ。そしてこのAlphirkも元を糺せば、アラブ世界に行き着く。原語のアラビア語ではアルフィルクal-Firqである。「分断したもの、散らばった、分散した者」の義で、具体的には羊やヤギの群れが散らばっている形であり、同時に星座の領域にありながら、星座図に中には入っていない星たちも表しており、まさに散らばってここに草を食みながら動いている群れを表していよう。
アルフィルクal-Firqの訳としては「散らばるガナム(羊やヤギ)たち」が相応しかろう。
β星を中心にアルフィルクal-Firq「散らばるガナム(羊やヤギ)たち」がアグナーム(羊とヤギの群れ)を形成していることになる。
そしてその中心位置をβ星が代表している。したがってその辺りの星もアグナーム(羊とヤギの群れ)となる。しかも注目すべきは、その上の肩の部分に当たるケフェウスの主星α星ですら、このアグナーム(羊とヤギの群れ)の構成員の中に飲み込まれている。というのも、このα星、β星を合わせて「フィルク(散らばった羊たちの二つ星」カウカバー・アルフィルクKawkabaa al-Firqとの名称が与えられているからである。そうなるとケフェウス座全体がアグナーム(羊とヤギの群れ)で埋め尽くされる放牧場rawdahということになる。
五角形の中のλ、π、ξ星たちだけでなく、柵が無いため、五角形の外の右肘に当たるη星などもアグナーム(羊とヤギの群れ)と見なされている。したがってβ星を中心に広がる五角形、それを超えたフィルク(散らばった羊たち)にも名称があり、「フィルクを構成する星々」カワーキブ・アルフィルクKawaakib al-Firq と呼ばれている。
下図のアラブ世界の方の人物像には、β星からη星まで、すなわち腰部から肩先まで斜めに大きくKawaakib al-Firqと書き込まれているのが見えよう。そしてほかにもアグナーム(羊とヤギの混成群)たちがおり、ラウダ(牧場)である北極星近くまで、東はカシオペア座の、そして西は竜座の境界まで広がっており、その中に散在する星たちがそれらなのである。
そしてこの辺り一帯を牧場として、北極星に至るまでの空間をラウダ(al-Rawdah 牧場)として、そこに点在する星々をアグナーム(羊とヤギの群れ)としているわけである。上左図は極中心の星座であるが、地上から肉眼で見る両者の空間ははるかに広いはずである。
「フィルクを構成する星々」カワーキブ・アルフィルクKawaakib al-Firqにはさらに別名があり、カティーウal-Qatii”との名称もあり、それはフィルクの類語であり、「切り離されたもの、全体の部分、群れから分かれた一群」の意味であり、やはり「羊やヤギの大群から分かれた小群」ということになろう。
ケフェウス座の五角形を拡大して、頂点を北極星まで伸ばす。ケフェウス座と北極星の空間、その拡大五角形の頂点の方に羊飼いと牧羊犬がおり、その拡大五角形の牧場に多くのアルフィルクal-Firq「散らばるガナム(羊やヤギ)たち」がいる。これが「天界の第一アグナーム(羊とヤギの群れ)」なのである。
アラブ・イスラム世界の伝統的ケフェウス座像。右図は向きが反対になっているが、星名がはっきり読み込めるので選んだ。両者ともに動きのある動作である。共通して丸い縁なし背高帽、これをアラビア語ではカランスワQalanswahと言って、高貴な者の被り物とされている。左図を基にして、右足元のγ星に「羊飼い」アッ・ラーイーar-Raa"iiと書き込まれ、そして股間にあるρ星には「羊飼いの犬」カルブ・ラーイーKalb al-Raa”iiと記されている。そして腰の部分のβ星と方の部分のα星をつなぐ胴体部には斜めに、カウカバーニ・アルフィルクKawkabaani al-Firq「フィルク(散らばった羊たちの二つ星」と書き込まれている。反対向きの右図の胴体に同様カウカバー・アルフィルクKawkabaani al-Firqと記されているが、文法的には双数形語尾/-aani/は後接語がある場合、その最末子音とそれに伴う母音/-ni/は省略されねばならないので、右図表記の方が正しいことになる。
中世アラブ・イスラム世界の芸術書、天文書より



