ハエとアラブ習俗   地界のハエ(4)、天地のハエ(5)

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ハエとアラブ習俗    ハエは鳥tayrの一種

呼ばずとも食べ物に集まる  トゥファイルtufayl(食客)

向日性・向光性 火を光と間違う愚かさ  汚さ、卑賤さ

うるさい、騒音を立てる   翅音タニーンtaniin

取るに足らないもの、卑小さ    うぬぼれの強い、無謀な、貪欲な  群れる習性

ハエの諺   薬効・薬膳al-Khawaass    スペインハエZurraahの薬用効果

ハエを夢見ると、夢判断 Ta”biir    ハエの美化

タルスース(Red Thumb、赤い親指)に止まるハエ  

付録 砂漠の驚異 タルスースの思い出

 

 

       ハエとアラブ習俗

ハエとアラブ習俗。いくつかは既に述べておいた。例えば「部位」の章のところで、アラブの民俗学では、ハエの両翅には、一方には病原菌をもたらす効力があり、もう一方の羽には病気を治癒する効力を持つと信じられている。どちらの羽がそうなのかは断定できない。それゆえハエが入ってしまった調理済の料理には、ハエを料理の中にいったん両羽を沈めてから、取り除けてその後食べることができる、とされている。と述べておいた。また「食」の章のところで、ハラーム(可食)かハラーム(不可食)かについても述べた。

同じく「ハエ払い、ハエ取り、おまじない」については前ブログで述べておいた。

 

 

   ハエは鳥tayrの一種

アラブの伝統的民俗観では、羽で飛翔する動物はかつてはすべて鳥類tayrと見なされていたようだ。わが国でも、伝統的には「水中・海中に生息する生物は、クジラやシャチなども含めて魚類とされていた」ように、アラブ民族は、羽を持ち空を飛ぶものはすべて鳥類に民俗分類されていたものである。ハエも鳥類と分類されていた民俗例として、例えば、前ブログの「ハエと食」の章で述べたように、「食行為のなかで、「飲む、啜る」ことをしないのは鳥の中では、「ハエ」だけである」、があった。       Dam. Ⅰ30、620

 

 

       呼ばずとも食べ物に集まる:

諺に「ハエほど厚かましい、無遠慮な」  awghalu min dhubabaah がある。

  食事時を見計らって来訪し、陪食に預かる厚かましく無遠慮な人物をトゥファイルtufayl(食客)とアラブは言い慣わす。人間でないトゥファイル(食客)の最たるものがハエである。食事を作る最中から寄ってきて、出来上がるころは大挙して食卓の周りに集まる。こうした状況をある詩人は次のように謳う:

       トゥファイル(食客)としてハエほど厚かましいものがあろうか

                                   Awghalu fi l-tatfiili min dhubaab

            食事の時に、また酒宴の席にいずこともなく現れる

                                “alaa ta”aamin wa-“alaa sharaab

         もし雲の中に菓子を目にしようものなら

                              Law absara l-raghfaana fii sahaab

                  見境なく空中高く飛び上がって行くこと必定

                                   La-taara fi l-jawwi bi-laa hijaab

                                            統一脚韻 /-aab/  Dam.Ⅰ627

 

        向日性・向光性 火を光と間違う愚かさ

ハエは光・明かり(diyaa’)を好み、そちらに寄ってゆく。逆に何かから逃れる場合暗がり(zilaam)に逃げようとする。したがって昼は住居内の方が暗いので、窓を開けて団扇などで追えば、ハエは家から外に逃げ出してゆく。但し彼らにとっておいしそうな食べ物があれば、別である。

室外に活動すれば、それはそれで、捕食者が多く決して安全ではない。飛行していれば小鳥たちの、留まっていれば大型昆虫たちの捕食に会う危険度がいずれも高い。やはり人間か寄生動物がいれば、その居住空間に寄生するのが向いているのである。

また昼間の方が活発で、夜間はそれほど活動しない。

それでも夜間、光ほどに明るい火に対しては活動を活発に行う。火は明かりも伴う。ハエは火を明りだと思い込んで、熱い火の中に飛び込んでゆくことも多い。火も確かに光を伴い、ベドウィンなどの砂漠でテント暮らしを送る者には、実際電灯などないわけで、テント内で燃やす焚火が、暖を取るだけでなく、光も兼ねることになる。

そうした火めがけてハエが寄って来てその中に飛び込み、自ら火あぶりに会うような光景を毎日のように見ている。頻繁に火の中に飛び込んで行くこうした習性から、一部にはハエの創造は火ではないか、火から創造されたものではないか、と説く者もいるくらいである。

こうした火を光と、間違えて、身を滅ぼしてゆくハエの習性を捕らえていくつかの諺を生んだ。

曰く「ハエほど軽薄な、軽々しい」atyashu min dhubabaah、

曰く「ハエほど見当外れな、誤りやすい」akhta’u min dhubabaah、など

火の中にも飛び込んで、自らを破滅させるわけであるから、上の一連の諺にもその「愚かしさ」の一面をも覗かしているわけであるが、ハエの愚かさを直接言及したものに、

曰く「ハエほど愚かな」ahmaku min dhubabaah   がある。

これを逆の文脈で言った諺が「ハエほどうぬぼれの強い」azhaa min dhubabaahであろう。

                    Jah.Ⅲ320、348, 353、355-6、398、404、Ⅴ402、

 

 

      汚さ、卑賤さ

糞便・糞尿、腐乱死体の中を這えずり廻る幼虫の蛆、また汚物に群がり寄って集って食べまわる成虫のハエ。誰もこの光景を見たら、ハエを好ましい動物とは思えないであろう。汚物や糞便に触れた口や脚の汚らわしさは、病原菌の運び手のことはまだ知られなくとも、汚物をまき散らすことは分かっており、日本でも食べ物をハエから守る蝿帳などの中に収容した。アラブ世界でも前回の図にあったように細かい網状の木枠の小型の食品戸棚で守ったものであった。

アラブの諺にも

    「ハエほど汚らわしい。卑賤な」 ahwanu min dhubabaah があり、また

    「ハエとダニほどに汚らわしいものは無い」

              laa shay’un aqdharu min al-dhubbaan wa-al-qymmal  

があり、ダニと共に汚さ、卑賤さの典型例となっている。

 

 

    うるさい=五月蠅い、騒音を立てる

「うるさい」はわが国では「五月蠅い」と漢字を当てるように、五月ごろ最も多くなり生殖も盛んで寄って集ってうるさいことも、雄同士何匹も羽音を立てて追いかけ回り、まとわりつくのもうるさい。「翅音を立てる」動詞には二種類あり、大きな周囲にもよく聞こえる野太い翅音を立てる方はナアラna"araと言い、まさに「五月蠅い」の騒音を立てる。その動名詞はナイールna”iirで「大きな翅音を立てること」である。

こうしたハエに悩まされる被害者である人獣にはナイラna"iraという動詞が設けられている。「ハエに悩まされる」の意味であり、ハエの翅音が被害者の方におよび、動詞の方にまで広がっている深さがある。この動名詞はナイラna"irahとされている。「うなり声」ハナアルna”arとの派生語が用いられる。なお「馬バエ」ヌアラnu"arahはこの派生名詞である。

 

虫の翅音ですごいのはカミキリ虫もあるが、もっとすごいのはカブトムシのそれであろう。まるでヘリコプターか重戦車のような音を出し、夜間ランプ(幼少時、山の中で育ったので、電灯は無くランプ生活をしていた)に寄って来て、何が襲ってきたかとよく驚かされたものである。

 

さて「翅音」にはもう一種あり、タンナtannaと言い、「翅音を立てる」という一般名詞である。「ハエの翅音」はその動名詞タニーンtaniinである。そして昆虫類が翅音を鳴らす擬態語は、この語が担う。我が国では虫類が翅音を鳴らす擬態語は「ブンブン」であるが、アラブ世界では畳語/t・n・t・n/が子音構成で、母音は恐らく長母音/ii/であろうから、ティーン・ティーンtiin tiinとなろう。ハエもまた同じである。時にはこの翅音は音楽を聴くように心地よく耳に響く。大きな翅音ナイールna”iirに対して、小さな翅音タニーンtaniinは聞き耳立てなければ聞こえないことも多い。

「ハエの翅音」taniin  dhubaabは例えとして

          「私のこんな助言もあんたにとってはハエの翅音に過ぎんのだろう」

        Maa qawlii haadhaa “inda-ka illaa taniinu dhubaab     Jah.Ⅰ315

ここではハエの翅音は、聞く要も無い、気に留めることも無い、戯言(たわどと)、雑音、などと捉えられている。

                               Jah,Ⅲ315、351、390、502

 

 

        取るに足らないもの、卑小さ; 

ハエはこれまでに触れた、「ハエのペニス」や「翅音」の言い回しにもあったように、小さく、取るに足らないもの、と理解されている。ましてはそれ自体、体が小さいもので、卑小なもの、卑賤なものと理解されている。

イスラムの聖典『クルアーン』の中にも、ハエの例えがある。異教の神の無能さ、その信者の蒙昧さや脆弱さを、ハエに例えて次のように説く:

「まこと、アッラー以外に信奉する者には、わずか一匹のハエすら作り出すことはできまい、たとえどんなに一致団結して当たろうとしても。またハエが彼らから何かを奪い去っても、それから取り戻すことすらできない。信奉する方も、信奉される方もなんと微弱なことかな!」     『クルアーン』22章73節

アラブの諺に「ハエほど卑小な・卑賤な」 ahwanu min dhubaabah がある。

 

 

    うぬぼれの強い、無謀な、貪欲な:

ハエは食べ物だけではない。止まる所も選ばない。恐れ多いもの、たとえ身分の高い王侯貴族を相手にしても、負けてはいない。それどころか、一番位の高い王冠だとて、法帽だろうと、巨人であろうと、平気でその上に留まる。それどころか王の顔だろうが、その鼻だろうが、遠慮なく止まる。追い払われようが、再び戻ってきて止まろうとする。こうしたハエの習性から諺とされている。

         ハエほどうぬぼれの強い azhaa min dhubabaah

        ハエほど無謀な ajra’u min dhubabaah

またその食に飢える、貪欲さの激しいゆえに身の破滅に至る、それは蜘蛛と同じくらいの貪欲さだとして、

 「創造物の中で、もっとも貪欲(ahrasu)なのはハエと蜘蛛である」との諺も生んでいる。 

                        Jah.Ⅲ305、313、322、Ⅴ364、

 

    群れる習性

ハエの行動はよく「寄って集(たか)って」という表現を用いてきた。単独行動ではなく、多くは群れでの行動である。群れのハエが、次々と別々の行動をとって対象に向かう。

それが「寄って集(たか)って」との言い方になる。アラブ世界では、蜂のように王様ハエや女王ハエがいるわけではないが、リーダーがいて、統率が取れた行動をとっている、と観ていた。糞便や汚物に集っていたハエたちがリーダーの飛び立つのと同時に一斉に蜂のように攻撃してきたらどうなろう。刺しバエや肉バエの中には、そう想定できる場合が多々見られる。

こうしたハエの群れ集団を「軍隊」“Asaakirとアラブは言いなしている。

夢判断の中にも、例えば

「一匹のハエを夢の中で見たならば、それは諍い好きな敵対者、ないし弱体な軍隊を意味しよう」、というのがあるし、また

「多くのハエが集まるのを夢の中で見たならば、それは良い収入・糧を得ることを意味しよう」。

があり、軍隊が敵軍を破って戦勝となり、戦利品を獲ることと重なっていよう。

                                    Jah.Ⅲ346、347、348 

 

 

    ハエの諺

今までのブログの中の諸処でその一部を引用してきた諺だが、ここで一括して記しておく。

 ハエほど無謀な ajra’u min dhubabaah

 ハエほど卑賤な ahwanu min dhubabaah

  ハエほど軽薄な、軽々しい atyashu min dhubabaah

 ハエほど見当外れな、誤りやすい akhta’u min dhubabaah

 ハエほど愚かな  ajhalu min dhubaabah

 ハエほどうぬぼれの強い azhaa min dhubabaah

 ハエのペニスほどに目立たない、不釣り合いな maa yusaawii mutku dhubaab

 ハエとダニほどに汚らわしいものは無い

              laa shay’un aqdharu min al-dhubbaan wa-al-qymmal  

 創造物の中で、もっとも貪欲(ahrasu)なのはハエと蜘蛛である。

  刺しバエが彼を襲った asaaba-hu dhubaabu laadighu 

 彼の鼻に馬バエが入った   fulaanun fii unufi-hi na“ararun

  私のこんな助言もあんたにとってはハエの翅音に過ぎんのだろう

        Maa qawlii haadhaa “inda-ka illaa taniinu dhubaab     

         Ask.Ⅰ327、440、Ⅱ353、Dam.Ⅰ620、626-27、Jah.Ⅰ315、Ⅲ304-05、

 

 

 

    薬効・薬膳al-Khawaass 

俗信として、ハエの両翅には薬効と毒効とがあり、一般には右翅にシファーウ(治癒、薬効効果)があり、左翅にサンム(samm有毒化)効果があることは「ハエと食」の章で述べた。

ハエ払い、これについても「ハエと食」のところで触れたが、ここで他の薬効・薬膳al-Khawaassについてもまとめておこう。 

1 ミルクにクンドゥス(al-Kundus、ペルシャに産するウマアシガタ科の植物)を混ぜてよく振り家の中に噴霧すれば、ハエは家には入ってこなくなるだろう。

2 カボチャ(qar”)の葉、クンドゥス(al-Kundus、ウマアシガタ科の植物)の葉、およびニクズクの油脂(saliikhah)で燻蒸すれば、家からハエはいなくなるであろう。

3 カボチャ(qar”)の葉を煮だして、その液をハエのたかりそうな出入り口や窓、食料品の周り、壁などに振りかけておけば、そこにはハエが来ることはない。
 

次に薬効の中には「ハエ自身の再生」の項もあり、「火に飛び込むこと」や「再生」の俗信のあることから、高尚さや神秘性を度外視すれば「火の鳥」の観念を想起してしまう。薬効とは無関係であるが、この項の中に含まれて叙述されている: 

1 蚊を捕らえて用意し、ハエを捕らえ、首を切り離す。すぐに蚊の刺し口を切り離してその首全体に塗り付ける。そして切り離した頭部をくっつけると、ハエは生き返る。

2 ハエが死んだなら、鉄くず(khabath al-hadiid)をその遺体に振りかけてやれば、直ちに生き返るであろう。

 

脱毛症対策:  何匹かのハエを捕らえ、火にくべ、焼き殻になったものを粉末にする。それを蜂蜜と混ぜる。それを脱毛症(tha”lab、「狐」の意あり)の患部に塗ると、育毛剤となりその部分には以降毛が生えてくる。

 

睫毛対策: 大きなハエを何匹か捕らえ、その頭を切断し、その体部の方を睫毛の生える部分に当て、きつく擦り付けると、睫毛は根元から抜け、二度と生えてこない。これは驚異とされている。{アラブには長い睫毛の人が多く、男性は整って凛々しく、女性も目鼻立ちがはっきりしていて美人が多い。目が大きいだけ睫毛も長くなり、逆さ睫毛に悩まされる。}  

 

眼病対策: 

1 ハエを一匹捕らえ、リネンの薄い布切れの上に置き、丸めてその布を細糸で縛る。死なないように緩く縛る。それを眼病で悩んでいる者にペンダントのように常時首か腕か体の一部に吊るしておく。するとそうされている状態の間は目の痛みは起こらない。

2 ハエを捕らえ、半分に切り裂き、包帯で巻き上げる。それを目の腫れに悩む者の患部に当ててやると、腫れが引く。

 

歯病対策:  ハエを捕らえ、生きたまま、身体の一部に持ち歩くと、その間は歯痛に悩まされることはない

 

狂犬病対策: もし狂犬病(kalib)を持つ犬に噛まれたなら、袋でもって頭部を覆いなさい。すぐにハエの大群が彼を襲うであろうから。       

 

スペインハエZurraahの薬用効果は、前回のブログでも紹介したが、発泡剤や水泡膏として皮膚癌(sarataan)、疥癬(jarab)、悪性白癬(qawaabii)、腫れもの・腫瘍(awraam)に有効とされた。またズッラーフを細かく粉末にして患部に塗ると、虱(qaml)の除去が出来る。同じく髪の毛に対して、オリーブオイルと一緒に煮詰めた油を頭髪に塗ると脱毛症(daa’ l-tha”lab)に効果ありとされている。またごく少量は媚薬として、またごくごく少量をレンズ豆と混ぜ合わせて食べると、狂犬病や高熱の薬剤となることが知られる。その一部を赤色の小袋(khirqah)に入れて吊り下げるか、体の一部に触れた形で携帯すると猩紅熱などの熱病(humaa)に特別な効果があるとされる。      

                 Jah.Ⅲ313、322、Ⅴ364、Dam.Ⅰ627、632

 

 

     ハエを夢見ると夢判断 Ta”biir

一匹のハエを夢の中で見たならば、それは諍い好きな敵対者、ないし弱体な軍隊を意味しよう。{上述の「群れる」習性から}

あるいは「病気」から出るか入るか、すなわち病人になるか、治癒者になるかを意味しよう。{ハエの両翅の持つ俗信から}

さらには何か悪事を働かすか、証言を要する事件を超すことを意味しよう。{日常生活において煩わしい存在ゆえ}

また一匹のハエが自分の身体の周囲を飛び回る夢の中で見たならば、それは思い浮かぶ友人は信頼のおけない、卑劣な人物であることを意味しよう。{ハエは頼りになるどころか「ハエほど卑小な・卑賤な」ものゆえ}

多くのハエが集まる夢の中で見たならば、それは良い収入・糧を得ることを意味しよう。{不浄のものゆえ、逆夢の解釈}

                 Dam.Ⅰ627-28、“AwduLlaah p.52、M.Qutb p.126

 

 

 

    ハエの美化

ハエの中でも、草花や蜜を好む花バエ類はその翅音も好まれたものである。

盲目の詩人マアッリーがハエを美しく歌う、小さくか弱いものなれど、わずかな花蜜で生きるものとして:

   おお権力もて安らかな快楽を求めるものよ

        Yaa taalibu r-rizqi l-haniy’i bi-quwwatin

          止めなされ 虚栄を追い求めるだけのこと

                    Hayhaatu aanitu bi-baatili mash”uuf

    強き獅子も砂漠にありては死体にありつけるのみ

             Ra”at l-asadu bi-qawwati jayfa l-falaa

      ハエ虚弱のものなれど 花蜜吸いて事足れりとするものぞ

      Wa-rawaa l-dhubaabu shahda wa-huwa da”iif

                                           Dam.Ⅰ622

 

同じくスペインのアラブ詩人ムハンマド・アンダルシーは次のように謳う:

       あなたの求めんとする豊かな糧

       そはあなたに付くハエのようなもの

       求めんと焦れば追い付くこと出来ず

       背を向ければ向こうが追いかけてくる    Dam.Ⅰ622

 

プレイスラム期の大詩人ナービガは、美化はされていないが、迷惑なハエを、ラクダの特異な三つ口で始末をつけてくれんことを!と願う:

  人間に頼りがいあるラクダを与えたもう方よ

     Yaa waahiba n-naasi ba”iiran salba-hu

   その唇で迷惑なハエさえ取り除いてくれようものを

             darraabatan bi-l-mishqari l-adhibbah

                                                                        Dam.1 620

 

砂漠の驚異: タルスース(赤い親指)。

 

放牧ラクダを求めて砂漠を放浪する。砂丘越を繰り返して砂丘を超えた途端、次の砂丘との谷間がワジ(涸れ川)になっており、何やら多肉葉植物がまばらに生育する中に、赤黒い突起が見える。近づくと土筆(つくし)ん坊を大きくしたような異様な形状の植物である。驚異であった。アラビア名タルスースTarsuus、学名Cynomorium coccineum、通称Red Thambと呼ばれる、まさに「赤い親指」を突き立てたような形状である。よく見ると周りの蕊(しべ)には、仄かの香りに誘われて、蠅が蜜を吸いに4匹ほどが集っていた。中央下に二匹、右端上に一匹、左端中央に一匹。(1989年3月オマーン、スハールの内陸で 筆者撮影)

 

下に付録としてこの砂漠の中での出会いと感動 タルスース(Red Thumb、赤い親指)の思い出の記事を載せておく。

 

 付録 砂漠の驚異 タルスース(Red Thumb、赤い親指)の思い出 中日新聞夕刊