地上の鳳凰 アンカーウal-“Anqaa’

         天地の鳳凰、フェニックス、不死鳥、火の鳥(2) 

   

キーワード:

巨鳥アンカーウ“Anqaa’   「首長鳥、不死鳥、火の鳥」

アンカーウ・マグリブ “Anqaa’ Maghrib「入日の不死鳥」

夕焼けに照り映える「火の鳥」 棲み処「脳山」ムッフMukhkh

「ラッス(井戸)の民」   滅ぼされたアラブ=遠祖のアラブ

預言者ハンザラHanzalah ibn Sufyaan

アンカーウの人攫い(罪)と死(罰)

カサマツSanawbar  聖樹信仰

ラッス(井戸)の民の不信仰  預言者ハンザラを殺害

ラッス(井戸)の枯渇  アンカーウの蘇生と懲罰の実行者

大石を雨あられと落とし、民を全滅

巨鷲ルッフRukhkhとの混合

巨大な大鷺(balashaan)

アンカーウに関する諺  アンカーウと夢占い

 

 

     地上の鳳凰・フェニックス アンカーウ“Anqaa’

想像上の巨鳥、ここではアンカーウ“Anqaa’ が扱われているが、他にも同類がいる。アラブ・イスラム世界ではルッフRukhkh(またはルフRukh)の名が知られる。またペルシャ文化圏ではシームルグSimurghとの名で知られる。いろいろな属性を伴った巨鳥伝説はこうしたオリエント世界のみでなく、ほぼ世界中に存在するとみてよいであろう。

 

西欧世界ではフェニックスPhoenixが、中国や日本では「鳳凰」がよく知られている。巨鳥であり、しかも想像上の動物なので、不死鳥とも、火の鳥とも、怪鳥とも様々に解釈されているが、それぞれの文化圏で、細かな風土に合った善悪のヴァリエーションを持っていよう。

 

アラブ・イスラム世界では巨鳥としてはアンカーウ“Anqaa’の名が古くからよく知られるところである。その意味を調べると、アラビア語から出ており、前回観たようにアンカーウal-“Anqaa’の名付けられたのは、その「首」“unuqに特徴あるからである。それを語源として、派生形容詞名詞アアナクa“naq「首が長い、長い首の」が派生する。そのアアナクの女性形がアンカーウ “anqaa’である。すなわち、「首が長い、長い首の」の女性形容名詞から「首長鳥、不死鳥、火の鳥」という固有名詞に転じた。

 またダミーリーの『動物誌』によれば、首の特徴は長いだけでなく、その首に首飾り(tawq)のような白徴があるから、そう命名されている、ということである。「数珠かけ首長鳥、数珠かけ巨鳥」。

 

アンカーウ“Anqaa’と単独でも呼ばれているが、連接語で呼ばれることも多い、いやむしろ連接語の方が正式名称となっている。マグリブMaghrib(日没・入日)が後接されるのである。

したがってアンカーウ・マグリブ “Anqaa’ Maghrib「入日の不死鳥」とされる。または雌であるとしてその女性形アンカーウ・マグリビッヤ“Anqaa’ Maghribiyyahと呼ばれるわけである。夕方の入日・日没の折りの、夕焼けの中に天空高く黄金の巨体、まさに「火の鳥」の飛行がしばしば見かけられからだ、と言われている。

寿命はおよそ五百年、その頃に年齢に達すると、老体になり、姿かたちが痛んで、身の自由が利かなくなる。その自覚があると、自ら火の中に飛び込み、その中で再生され出現してくる「火の鳥」、「不死鳥」である。

 

大な鳥であり、その腹部は牡牛のようで、また骨格は獅子の如きである。さらにその巨大さを例えてみるならば、あの巨体の象ですら、ちょうど鷹がネズミを鷲掴みするように、その脚指で捕らえ攫(さら)ってゆくことができるほどである、といわれる。鷲掴みされる大型動物の例えとされ、描かれるのは、「象」 fiil とされるものが普通であるが、記述では「犀」 karkaddan とされることの方が多い。

 

 

   そのアンカーウの創造であるが、『敬虔な者たちの春』Rabii” al-Abraar の最終章、「鳥の部門」Baab al-Tayrによれば、「預言者モーゼの時代、神はアンカーウal-“Anqaa’と呼ばれる鳥を創造し給うた。体の両脇にはそれぞれ4個の翼を持ち。頭部は人間と同じの、人頭鳥身であった。人間同様、頭脳を持ち、公正さ(qist)を兼ね備えていた。神はモーゼに告げて言った。「私は二種の驚異の鳥を作ろう。それらが聖なる神殿の周りをうろつき汚す野獣どもを追い払ってくれようし、イスラエル人にたいして授与される恩典を与えてくれよう」、と告げたといわれる。 

下図は巨鳥アンカーウ(へニックス、鳳凰)図。左は燃え盛る火の中に身を投じて、再生してきた若きアンカーウ。若返った姿である。右は空中を飛ぶアンカーウ。想像上の鳥なので、多くは鷲の姿に似せて描かれる。次回のルフ鳥図も参照。Pinterest画像より。

 

 

 

 

    「ラッスの民」とアンカーウ

アンカーウは、その誕生も死も特に「ラッスの民」Ashaab al-Rassとの関係で知られている。古代アラビアには、神によって滅びた民、あるいは滅ぼされた民として、アード族、サムード族などが知られているが、「ラッス(井戸)の民」もまたこうした人々であった。こうした古代に消滅して、現代にまで子孫が伝われていないアラブは「遠祖のアラブ」al-“Arab al-Ba”iidahと称されている。

 

アスハーブ・ラッスAshaab Rassあるいはアフル・ラッスAhl Rassと呼ばれる人々もまたこうした「遠祖のアラブ」であって、古く口碑や伝承で伝えられるだけのため、他との混合と習合があり、明確な同定ができてはいない。彼らのことは詳らかではなく、断片的に伝えられているのみである。

 

ラッスrassとは「井戸」のことであるから、「井戸の民」と呼ばれている。彼らには汲めども尽きぬ水をたたえるrass(井戸)がいくつかあり、それで農業の灌漑、牧畜の給水、日常生活が支えられていた。

 

居住地はアラビア半島の北西部の、アンチオキア地方とも、ダマスカス地方とも、また南アラビアのズファール地方ともされている。歴史家タバリーは南アラビアのサムード族の一つではないかと述べている。   (Tafseer at-Tabari vol. 25 p.97)

 

驕り高ぶり、誇り高い「ラッス(井戸)の民」に、神はその民の中から敬虔なスフヤーンの息子を預言者として選び、使命を遣わされた。ハンザラHanzalah ibn Sufyaanといった。ハンザラはファトゥラ時代(al-Fatrah大預言者空白/不在時代、イエスとムハンマドとの間の600年間)の地方預言者であったといわれる。ハンザラは「ラッス(井戸)の民」の信心を取り戻そうと、唯一神の意向を伝えようと、人々の間を説教して回った。

 

ラッスの民(Ahl al-Rass)の領土には「脳」ムッフMukhkh と呼ばれる、裾が一マイルほどある天突く山があった。(別の説では山名をファトゥフal-Fath「切り開き」とする) その山にはアンカーウ“Anqaa’と呼ばれる巨鳥が住んでいた。他にも多くの動物が生息していた。巨大な鳥の体をしているが、顔は人間に類似ていた、とする説もある。ほかの身体部位も他の動物に類似しているところがあった。

 

巨鳥アンカーウ“Anqaa’ は普段は善良な鳥ではあったが、空腹が耐えなくなると神意に反した行動に出る。年に一度戻ってきて、餌となる鳥動物獣類を啄んでいた。しかし餌となる鳥獣類が少なく、餓死の危険があった場合などは、ラッスの民の男女にかかわらず子供を攫(さら)って行って食料としてしまうことが間々あった。

このアンカーウの人攫いが重なってくると、ラッスの民はこの窮境を預言者ハンザラHanzalah に訴え、何とかして善処してくれるように頼んだ。ハンザラは神に祈りを捧げ、人々の苦境を訴えた。

すると神は預言者ハンザラの祈りを聞き入れて、そのアンカーウの上に雷を落とし、焼死させてしまった。

 

その後、しばらくは預言者ハンザラに恭順であったラッス(井戸)の民であったが、元来が増長して驕り高ぶり、敬虔さが足りなかったので、やがて本来の偶像崇拝に戻っていった。

唯一神を説く預言者の教えを遠ざけ、不信仰度が増していった。

というのもラッスの民にはもともと聖樹信仰が篤く、旧来の自然信仰に復したことになる。聖樹の中でも、彼らは特にカサマツSanawbarを神格として崇めていた。Sanawbarは地中海沿岸に生育する松の仲間で、余り曲がりくねらず、やや直立形が多く、それほど高木にはならず10m余ぐらいである。樹頂が丸みを帯びて広がるところから、カサマツ(傘松)とよばれている。樹上に丸く傘=笠を張るとうな、美しい樹であり、だれが見てもその崇高さに見とれるような樹影を宿している。(下図参照)

 

その聖樹カサマツSanawbarは単なる神の創造物に過ぎない、信仰対象には値しないとして排斥する預言者ハンザラにたいして、ラッス(井戸)の民の不満が高じていった。そして彼の言を疎ましく、邪魔扱いにして、難問をあれこれ突き付けた。その中には「神の使徒ならば何もできないわけではあるまい。どうだ、アンカーウの口の中に、馬勒(はみlijaam)を投げ入れて見せてくれないか?そうすればお前の説くところを聞いてあげよう」との嫌がらせもあった。そしてついに民衆は彼を吊し上げ、一つの井戸rassの中に落として彼を殺すに至る。

そこで神はラッスの民すべてを抹殺することにする。まず井戸という井戸に水を断ち空井戸にさせてしまう。それから再び不死の巨鳥アンカーウをムッフ(Mukhkh脳)の山の火の中から再生させて、ラッスの民に大石を雨あられと天空から落とさせた。何処に逃れてもアンカーウは天空から民の動きを鳥瞰でき、居住地も避難場所も砕け散らせ、すべてを灰燼と帰して、人々を壊滅させてしまったのである。

     (Jah.Ⅶ121、Enc.of Qur’anⅣ353.Tha”labii、釈書Ⅷ135-58)

 

 

                

サナウバルSanawbarはカサマツ(傘松)と訳され、樹上に傘=笠を開いたように幅広な半円形の樹形を作る。熱い地帯の松らしく、針のような葉をもたず、柔らかい細い葉を垂らす。アラブはこのサナウバルがことのほか好みで、本稿にあるように聖樹として崇められるほどである。左上の図のように林を成さず孤立してポツンとしてあるサナウバルは特に敬愛される。その好みから、その名称が様々に利用されている。

下の左図は半島南東部UAE(アラブ首長国連邦)の一小学校サナウバル小学校の校章であり二本のサナウバルが巧みに配されている。また右図はクウェイトにあるレバノン料理、サナウバルレストランの商標である。上に延びる文字アリフとラームを幹と見立てて樹上にサナウバルの樹影を象っている、これまた巧みである。その実からziftとかarzとか呼ばれる「松の実」が採れる。いずれもインターネット図像より。

                                                       

 

        歴史時代のアンカーウ

  さて歴史時代になると、この想像の巨鳥アンカーウも、もっと現実的に近くなる。ジャーヒズなどは「大鷲("uqaab)を巨大にした想像の鳥」と断じている。(Jah.Ⅲ438)アラブの伝統では、同じ想像上の巨鷲ルッフRukhkhは、後世の所産であるが、物語などで多く登場することから、その同一化が見られるようになる。

 

  中世では、富裕者や権力者が趣味として、野生動物の中で、好みのもの集めて、庭園などに、小型私立動物園を設け、様々な好みの動物を飼育していたことが知られている。こうした野生動物はオトナ期の動物捕獲は危険なので。多くは幼児の段階で捕獲して檻の中で成長させたものが多い。似た類の家畜に飼育法に精通しており、また鷹狩が盛んであって鷹の成長、飼育、狩猟には手馴れていたから、それらを総合して応用して飼育管理に当たったものである。

 

  イブン・ヒッリカーンによれば、エジプト在住のアフマド・ファルガーニー Ahmad ibn “Abdullaah ibn Ahmad al-Farghaaniiの『歴史』の述べるところによれば、エジプトの太守アジーズ・イブン・ニザールal-“Aziiz ibn Nizaa ibn al-Mu”izz は動物好きを凝る余り、珍しい、世にも不思議な動物をも蒐集していた。余人には蒐集不可能なほどの動物を飼育していた。そうした中にアンカーウ“Anqaa’も含まれていた。

  このアンカーウ“Anqaa’は上エジプトで捕獲されたもので、形は大鷺(balashaan)を大きくしたような鳥であった。その大きさが並ではなく驚くほど巨大であった。顎には髭を備え、頭頂には頭巾状の鶏冠(waqaayah)を蓄えていた。その翼と羽毛はそれは艶やかで、あらゆる鳥の色をより集めたほどであった。

 

ザマフシャリーの述べるところによれば、アンカーウ“Anqaa’は創造されはしたものの、種

の維持が困難で、現在は絶滅している。と述べている。Dam.Ⅱ286、

 

 

      アンカーウに関する諺

 「アンカーウが彼を攫って行ってしまった」

                       Hallaqat bi-hi Anqaa’u Maghrib

                                                Jah.Ⅶ121、 Dam.Ⅱ288

「全く期待や希望、手掛かりが無くなってしまった」ような状態を指して言われる。ある詩人は世の無慈悲を儚んで、次のように歌う:

   寛大さ 魔人 アンカーウの三者

   名前在れど 見出されも 存在もせぬもの

        Al-juwdu al-Ghuwlu al-Anqaa’u thaalithatu

                Asmaa’un ashyaa’un fa-lam tuujadu wa-lam-takn

                                                   Dam.Ⅱ288

 

 

 

         アンカーウ“Anqaa’と夢占い

アンカーウ自体に夢判断の資料がのこっていること、死に夢を見ることには一種驚きがあるが、その夢判断そのにおいても、驚異性が付きまとっていることは窺われる。悪さもするのであるが、凶と出るものは何もない

 

アンカーウを夢に見ると、それは身分の高い人、革新的な論者、友人を持とうとしな孤高な人を意味する。

またアンカーウを夢に見ると、それはアンカーウを捕獲するほどの勇敢な若者を意味する。またこの勇敢な若者は妊娠した女性を得ることを意味する。

アンカーウが己に語り掛けるのを夢に見ると、それは為政者や支配者から何らかの良い報い(報酬)を得るであろう。あるいは公の役職を与えられるかもしれないことを意味する。

アンカーウに乗ったのを夢に見ると、それは並び無き者に打ち勝つことを意味する。

アンカーウを狩って、捉えた夢を見ると、それは美しい女性と結婚することを意味する。

                                             Dam.Ⅱ288、