「棺の娘たち=北斗七星」伝承   

                                      アラブの北斗七星暦(3)

キーワード:「棺の娘たち」伝承
北極星の位置づけ  「雄山羊」ジャドゥイ(al-Jady)  北極星とやぎ座は同じ用語
北極星=殺人山羊
北斗七星=棺の娘たち バナート・ナアシュ(Banaat al-Na”sh)
杓の四角形がナアシュ(Na”sh棺)  柄の部分の三ツ星がバナート(Banaat娘たち)
「棺」の中は誰の遺体か
極天を支配する盟友スハイル(カノープス)  仇討ちの責め負うスハイル
南天の三兄妹  スハイルの姉妹シャアラヤーン(シリウスとプロキオン)
「姉妹星」シリウスとプロキオン  天の川が隔てて向かい合う
プロキオン=グマイサal-Ghumaisah(泣きはらす女、爛(ただ)れ目女)  

 

今回述べる「棺の娘たち=北斗七星」伝承は雄大である。このベドウィン伝承は単に北斗七星と北極星のエピソードを述べているだけではない。中天にあるシリウスやプロキオン、さらに南天近くのスハイル(カノープス)にまで広がる。いわば天の北極と天の南極までを含みこんで冬季の輝星たちが関わっているのである。しかも「棺」が漂わす死、殺人、「血には血を」のベドウィン観念も反映されているのであるから。

 

        1 北極星の位置づけ
 北極星は星座でいうと小熊座のα 星である。アラビア語では「北極星」として二つ名称を持つ。一つはクトゥブ(al-Qutb軸・極)と称される。まさに北天の「極」であり、不動の「軸」であり、天台である。
北極星の他の名称はジャドゥイ(al-Jady)と言う。「雄山羊」の意味である。アラブの民間伝承ではもっぱら「雄山羊」ジャドゥイ(al-Jady)が呼称にされている。ジャドゥイとは発音しにくいので平滑化してジャディal-Jadiiとも、子音変化してゲディーal-Gediiとも呼びなされている。
ジャドゥイとは語根√ j/ d/ yに持ち、その語根動詞は「何でも食べる、手当たり次第に食べる」であり、ジャドゥイはその動名詞形である。食用となるものならば何でも、地を掘ってでも樹上に上っても、手当たり次第に千切っては食べるヤギの習性から由来している。これが「ジャドゥイ」al-Jady、すなわち「雄山羊」と呼ばれるアラブ・イスラム世界での北極星の概念である。
名称「ジャドゥイ」al-Jadyも、しかしながら「雄山羊」の意味であるため、黄道第10宮、磨羯宮・山羊座とも共通した名称となっている。山羊座の方は、十二宮マーク ♑ のシンボルで分かるようにVが「山羊の角」を、後半部は「魚体」を表している。すなわち半獣半魚の形態なので、山羊の本来的諸特徴を持っているわけではなく、この点北極星とは異なり、狂暴性とか獰猛性とかを直接表してはいない。
北極星とやぎ座を並び立てるときは、「両山羊」の意味で双数形のジャドヤーンal-Jadyaan「二頭に雄ヤギ」と呼び習わすことも多い。話題になる時は、どちらかは明らかなのであるが、「山羊座」とわざわざ区別するため、「北極星」の方をジュダイal-Judayyと指小辞で表すことも多い。この場合の指小辞は愛らしさや親しさ以上に、憎しみや疎ましさを表現している。
このジュダイの変化形を含めてアラビア語のジャドゥイは、相当古く西洋語に導入されていた。しかも同じ<ヤギ>の意味で。定冠詞を付したAlgedi またはAlgiedi の形態をとって「北極星」、あるいは「やぎ座」の名称として借入されている。ご存じのように、天文学や占星術用語ともなっている。


山羊の雄の持つ角。野生ヤギのアイベックスに典型的に観られるように、雄同士だと繁殖期には角突き合い、頭突きの激しい闘争が繰り広げられる。角が大きいほど強いと見立てられる。山羊の角はヒツジの湾曲した角と異なり、まっすぐか僅かな曲線を見せている。これが強力な武器となって時には殺し合いが展開されるほどである。


北極星のこの「ジャドゥイ」は他の雄の並び立つを許さない、乱暴狼藉を働き、その角で人殺しまでしてしまう恐ろしい狂暴な「雄ヤギ」なのだ。以下で見るように北極を具現した星アル・クトゥブ(軸、基)となっていた人物を殺害してその位置を簒奪したものと見立てられている。
そして殺害したものに代わって、北天の極の座を奪い取ったのである。雄ヤギ同士がハレムのボスの座をめぐって闘争して奪い取るように。北


「北極星」としてのこの「雄ヤギ」ジャドゥイal-Jady は、北斗七星と関連付けられると、他文化圏にはない緊張関係にある。北極星である山羊は狂暴で、殺人まで犯してしまっている。北斗七星の娘たちの父親を、その鋭い角で殺してしまっているのである。
この点、両者は好悪、吉凶観で、中国の宿曜道および妙見信仰の基づく天宮配置図とは概念的には全く異なっている。

 

 北極星=殺人やぎal-Jady  北斗七星=殺された父の遺体を野辺送りするその娘たち、棺の娘たちBanaat al-Na”sh


殺された父親の棺(al-Na”sh)を墓場に葬送する棺の娘たち(Banaat al-Na”sh=北斗七星)。ζ星(ミザール、腰布女)の脇にはその腰布に手を握り歩く幼児(スハー)が描かれる。葬列の先頭も女性のはずであるが、アルカイドの語アルカーイドal-Qaa'id(先導者)も形態的に男性である。本来ならば女性形アルカーイダal-Qaa'idah(女性先導者)とすべきであったろう。
天の極にいて、坐ることなく即座の対応ができるように、葬列をじっと見守る殺人山羊(al-Jady=北極星)。         筆者作成

 


          2 北斗七星は棺の娘たち
 さて一方「北斗七星」の方であるが、バナート・ナアシュ(Banaat al-Na”sh棺の娘たち)と言われる。図像は描きやすく、理解がしやすいであろう。前回に詳しく述べたように、北斗七星の柄杓の形の、杓の四角形がナアシュ(Na”sh棺)であり、柄の部分の三ツ星がバナート(Banaat娘たち)である。もちろん棺の運び手、四人も考慮しなければならない。


 「北斗七星」が何故バナート・ナアシュ「棺の娘たち」と呼ばれるのか、どなたもこの名前には奇異に、不審に思われることだろう。杓の部分が棺で、柄の部分が葬送する娘達なのであるから。


では「棺」とは誰の遺体が収められいるのであろうか。

葬送する娘達の父親が殺され、その遺体が入っているのである。殺された父親の棺を担ぎ野辺送りをしている、その星座図像ということになる。


 それでは誰が殺したのか? 殺した下手人は人間ではなく、獰猛な山羊「ジャドゥイ」al-Jadyなのである。北斗七星=棺の娘たちと向かい合う北極星=雄ヤギなのである。ここで北極星が実の姿を顕す、実は巨大で狂暴な殺人「山羊」なのである。

 

野辺送りしている「棺の娘たち」。先導するはη星アルカーイド(先導者、リーダー)と呼ばれる年長者、続くは幼子(スハー星)を連れたζ星ミイザル (腰巻女)、三番目に続くは白目黒目がはっきりした美しい娘アルヤ。そして棺を担ぐ四人の遺族およびその近親者。自分たちには復讐する力が無いため、仇討してくれる人物を待ちながら、北天の極である山羊を周回し続ける。仇討ちを課せられている人物、その人こそスハイル(カノープス)なのだ。


 狂暴山羊は隙あらば攻撃するぞと身構えており、その体勢をいつも野辺送りして周回する棺の娘たちに対して向けられている。一方その視線はさらに南方に向けられ、スハイルなど遺族の友人に復讐されまいかとして絶えず監視の目を緩めることは無い。「血には血を」と天霊(こだま)している状況。こうして北極星と北斗七星だけでなく全天が緊張状態にあることになる、特にスハイルの動向が気になる冬場は。

 


      3 仇討ちの責め負うスハイル(カノープス)
 南天の極近くにいるスハイル(カノープス)。南天を支配する彼は、北天を支配する盟友(これがもともとの北極星であった)の許をたまたま訪れる機会があった。スハイルの姉妹であるシャアラヤーン(シリウスとプロキオン)と共に連れ立っての訪問であった。こうして。北斗七星のバナート(娘たち)とその父も、主客を歓待し、友好の親交を結んで一時を過ごしていた。
 しかし、この平安が突如破られた。バナート(娘たち)の父が、用心してはいたが客人のもてなしで油断があったため、凶暴な山羊(al-Jdy)に突き殺されて無残に果ててしまった。そして北天の極の地位を奪ってしまったのである。


 事態は急変した。狂暴山羊はそれに収まらず、次の標的を客分であったスハイルに向けたのである。スハイルは、この凶暴な山羊に対して、すぐには太刀打ちできず、身の危険を察して急遽自分の本拠地の南天に逃走した。姉妹のシリウスとプロキオンを引き連れて。
スハイルは天の川を一気に渡って南の極近くに逃げ延びた。そして何時殺人山羊をやっつけ、友の仇討ちをするか、その時期を窺う。スハイルは体力と機敏さを身に着けるべく、日々鍛錬と精進している。スハイルが天空に現れても直ぐに没する、天空に長くは留まらない。北に向かってはまた身を引く。なかなか決断ができない。すべて復讐のための試練を自らに課しているからだ。


 スハイルの出は、いつもいつも今か今かと待たされるほどに遅く、その入りはあれもう沈むのかと思うくらい、予想以上に速い。臆病者とも取られる。しかし内に秘めた復讐心はその赤い大きい輝きとして体外に放射されていることでも十分察せられる。昇るに遅く没するに早い、隠れよう、逃れようとするのも、あの山羊の襲撃への対処である。いずれはバナート・ナアシュ(Banaat al-Na”sh棺の 娘たち)に代って、南から北の果てに駆け上がり、不意を突いて彼女たちの父の仇討ちをしようとしている。それがアラブの残された男児の「血には血を」の義務なのだから、と。

 

         大熊座は熊ではなく北斗七星(棺の娘たち)とガゼルが跳躍する遊び場


 熊の全体図は解体され、腰部から尾にかけてはの北斗七星=棺の娘たちBanaat al-Na”sh、熊の四肢および頭部が構成する部分はガゼルたちの遊ぶ草地として描く。
「棺の娘たち」の葬送場面。後ろにモスクが描かれているので、モスクで葬儀を行った後、死体を清めガーゼ状の経帷子(きょうかたびら)で全身を巻き、棺に収容して墓場に野辺送りする。ただ上図のように死体が露出するような形では運ばれない。棺(na“sh)に収められるはずで、だからこそ「棺の娘たち」と呼ばれるのである。地下に土葬される間際で棺は取り払われる。
熊の四肢と頭部は跳躍(al-Qafzah)するガゼルたちが描かれている。「棺の娘たち」の真下の、熊の後肢が第一(Alula)跳躍するガゼル。真ん中のが第2(Tani)跳躍するガゼル。「棺の娘たち」の後ろが第3(Thalitha)跳躍するガゼル。インターネット画像より

 

 

        4 シリウスとプロキオン シウラヤーン(燃え盛るもの、酷暑告げるもの) 
晩秋から初冬に南中して我々にも親しみのスバル(Thurayyaa)はサウル(牡牛座)の西にあって月の二十八宿にあって第3星宿本体になっている。そしてオリオンもその一角を占める「冬の大三角」はその南東に雄大に展開している。これらの逆三角形も歳時の目安星としてなっている。
「冬の大三角」は月の二十八宿に当てはめると、西の方からオリオン座のベテルギウス(al-Mirzam 合図送る者)は第5宿ハヌアにあり、南にあって全天1の輝星シリウス(Shi"raa 燃え盛るもの、酷暑告げるもの」は大犬座を従えて第6星宿にある。そして天の川を挟んで東南にある小犬座プロキオン(al-Ghumaisah 泣きはらす者、爛(ただ)れ目)は第7宿に比定されて、季節を刻んでいる。

 

 シリウスのアラビア語の原語はシウラーal-Shi”raaという。「燃え盛るもの、焼き焦がすもの、酷暑告げるもの」の意味である。全天一の輝星であるこのシリウス。その東昇は六月中旬から下旬頃、「真夏の酷暑の到来」を告げるからである。日本語表記では同じであるが、shi-ではなくsi”raaが本来の語である。そして、この語根√s/"/rは「火を点ける、燃える」であり、shi”raaの語根√sh/"/r の方にはこれに類した意味はない。

シリウスはご存知のように古代エジプトでは、その出現が洪水の始まりを知らせる「時告げ星」となっている。


 シリウスとプロキオンとは、アラブ遊牧民の間では、「兄弟星」、と言うよりは両者は女性扱いなので「姉妹星」として理解されており、「両のシリウス」の意味でシウラヤーン(al-Shi"rayaan)と称されている。冬季には夜間の見ごろにちょうど中天にあり、オリオン座のベテルギウスと共に冬の三角形を形作ることはご存じであろう。
 そしてちょうど同じころ、さらに南の全天第2の輝星Suhayl(カノプス)が北への高度を増し、北方に目をやり、雄ヤギ(北極星)の動向を探ったのち、シリウスとプロキオンの二姉妹に目を転ずる。一般に知られるアラブの伝承によれば、プロキオンが女性でありグマイサal-Ghumaisah(泣きはらす女、爛(ただ)れ目女) と呼ばれる(男ならばグマイスghumaisとなる)。
この由緒ありげなグマイサal-Ghumaisah(泣きはらす女、爛(ただ)れ目女)との名称は、北斗七星=バナート・ナアシュ(棺の娘たち)伝承と関わり合う。


 南極の主であったスハイルは妹たちシウラヤーン(シリウスとプロキオン)を連れて、盟友である北極の主(al-Qutb)の表敬訪問を行った。北極の主は南極の主を歓待し、その娘たち、バナートたちは姉妹星シウラヤーン(シリウスとプロキオン)と仲睦まじく過ごしていた。
 しかしバナートの父は、絶えずつけ狙っていたジュダイ(雄ヤギ)によって突如襲われ、その鋭い角で何度も突き刺され、殺されてしまう。客人のもてなしのこうした折であったため、多少の油断が命取りになってしまった。


 狂暴山羊ジュダイは矛先をスハイルに向ける。急遽逃げざるを得なくなったスハイル一家。スハイルはシリウスとプロキオンと連れだって、本拠地の南に一気に向かって逃亡する。天の川を渡ってスハイルはさらに南の極に向かう。
しかし途中、シリウスとプロキオンとは天の川が運命を分けた。女には渡り切るのは困難を伴った。天の川は二人を妨げた。姉のシリウスはようやく渡り切って南の対岸に辿り着き、妹のプロキオンを待つ。しかしプロキオンは渡ることができず、中途で元の川岸に戻らざるを得なかった。天の川の北岸に置き去りにされてしまった。プロキオンは兄スハイルと、姉シリウスと一緒になれず、それを嘆き悲しみ、涙を流すあまり、目が爛れてグマイサ(al-Ghumaisah 泣きはらす者、爛(ただ)れ目女)となってしまった。


いまでも天の川を挟んでシリウスとプロキオンは向かい合い励まし合っている、丁度ヴェガ(織姫)とアルタイル(彦星)が向かい合っているように。プロキオンは天の南方に帰られず、天の赤道の北に位置してとどまって居残ることになってしまった。

そして南ではスハイルが安否を気遣ってシウラヤーン(シリウスとプロキオン)の様子を心配して見守る。

ベドウィンの「棺の娘たち」伝承はこのようなもので、「棺」と「死、殺人」から匂い立つ不吉なものは北斗七星観や北極星観を随分と異ならせらたものとなっており、また彼らの棺にまつわる伝統概念を踏まえた星伝承なのである。