猪(豚)のアラブ民俗(6)
豚の食利用 豚肉のハラーム(不可食)の問題
キーワード:
猪・豚の食利用
猪・豚の人糞好き 便所と豚小屋との重なり
「猪の早嗅ぎ、早起き」 猪(豚)肥育方
豚肉の食料理
豚肉ぎらいでイスラム世界に逃げ込む
[豚肉汁] maraq al-khinziir 「豚煮込み料理」イーガールyiighaar
豚肉詰め物料理、マフシー mahshii al-khinziir 胃袋詰肉料理二種
イスラームでハラーム(不可食)とされる食べ物
アッラー以外の名で屠られた肉、血、死肉、豚肉
猪(豚)肉が何故ハラームになったのか
宗教の求め 犠牲獣 多様な食肉獣の存在
変化(変化)俗信の浸透 豚肉が人肉と重なっている
12 豚の食利用
中東世界では、古くはバビロニア、カナン、エジプト、ヒッタイトなどの時代から猪(豚)は好みの肉材であった。猪は集団で狩りを行ない現今でいうジビエとしたし、家畜化された豚は普通の食材として普及していた。さらに宗教的な儀式では犠牲獣として格好の対象であった。そこには異教的、秘教的、悪霊的信仰の対象物とも重なっていた。
豚肉食はユダヤ教世界で初めてタブーとなったが、キリスト教世界では以前と同じように食世界を展開する対象となり続けた。新約聖書でもイザヤ書65章 4節では豚の肉を食べる記述があるし、66章3節では豚の血を捧げる記述があるほどである。
猪・豚の人糞好き:中国での便所がかつては豚小屋が重なっていることがよく知られている如く、アラブ世界でも猪・豚は人間の大便(“adhirah)が好物であり、他の動物の糞(jullah)は見向きもしない。何故ならば人間の大便が温かみがあり湿り気がたっぷりあり、悪臭(natn)を放っているからである。それ故時間と場所を知っており、人間の排便の時間を狙って、人里に降りてくる。朝は暗いうちは安全だが、明るくなってくるとあわただしく食らいつかねばならない。夕方の方は暗くなる一方なので、匂いを頼りにゆっくり排便所に近づく。定まった便所ではないところはマアジラma”dhirahと、囲ってある屋外便所はガーイトghaa'it、というのだが、その在り場所を匂いからすぐと分かり、こっそり近づいてゆっくり食欲を満たす。それ故諺の項で紹介した「猪の早嗅ぎ、早起き」bakuur al-khinziirとはそうした習性を言っており、排便時には要注意することになる。
「猪の早嗅ぎ、早起き」は「カラスの用心深さ」hadhr al-ghuraab と「キツネのずる賢さ」 rawghaan al-tha”labとの三題噺として知られる。 Jah.Ⅳ50。
猪(豚)肥育方 : 猪(豚)を太らせるには方策がある。三日間絶食させる。その後四日目と五日目に大量に採食させる。このやり方はキリスト教徒の豚飼いたちが行なっており、ローマ人に倣ったものである。三日絶食させ、二日採食させる。この繰り返しで豚は肥満体になってゆく。
猪(豚)は蛇が好物である。見つけ次第、しゃぶりつき、口内にがつがつと食べ入れてしまう。たとえ蛇が有毒であっても、平気で食べる。蛇の毒(sumuum)は豚には効かないのである。
猪(豚)が病気になった時、蟹(sarataan)を食べさせるとよい。そうすると、豚の病気は和らぐことであろう。
上図はイスラム王朝のイノシシ狩り。最上部は田園生活が、中段の丘陵地帯から下の猟場に、背後からまた側面の山場から勢子が猪を追い出している。石垣に沿って追われた猪は待ち構えた狩人に弓矢や槍の騎士に狙われている。下段は王族が小高い所に陣を敷いて狩の様子を見守る。イスラム美術集より
13 猪・豚肉の食料理
豚肉の旨さ:わが国では花札でも馴染みの「獅子に牡丹」に絡めて「猪(い)の獅子」として、猪肉を牡丹と名を借りて、冬場には猪の鍋料理を「牡丹鍋」などと称して、珍味としている。家畜の豚の肉料理は牡丹の名称は使わない、矢張り珍味さと加えて肉質とが大分異なるのであろう。
豚肉汁 maraq al-khinziir
アラブ世界では、豚肉の食料理といえば、まず肉汁(maraq)が挙がる。例えばジャーヒズが述べるには「アブー・ナースィラAbuu Naasirが申すには「豚は良質なものであって、その肉も旨いもので、特に子豚のそれが美味であります。豚肉を鶴(kurkii)の脂身(wadak)と一緒に肉汁(maraq)を料理すると一品が出来上がります。それは柔らかに出来上がり、山羊(maa”iz)の肉汁はすぐに硬くなり、冬季には不向きであります。羊(da’n)の肉は山羊のそれよりは増しでございますが。豚の肉汁に匹敵する者は御座いません」と。
この記述はムスリムには食せないし、食味も分からないので、豚肉の味を語ったアブー・ナースィラは非ムスリム、非ユダヤ教徒であったことは確かで、おそらくクリスチャンであったろう。
(Jah.Ⅳ94-95)
豚肉ぎらいでイスラム世界に逃げ込む:
次の事例はダール・ハルブ(動乱の世界=未だイスラム化されていない世界)から、身一つでダール・サラーム(平安の世界=イスラム世界)に逃げ込んできた人物が、人々に訴える一コマである:
ああ早くイスラムの信者となりおおせていたなら!
それ以前の何と(異端の)多くの夜を過ごせしことか
我が主への信心を頑(かたく)なに拒絶して
いかがわしき神々に奉仕(つか)えおりしことか
ああなんと多くの豚の肉ばらを
その軟骨を喰らいついておりしことか
また飲酒の風も人並み以上に
我が分け前として趣向(たし)なんだことか
ハリーリー作『マカーマート』第18話より
豚・豚食と飲酒が、ダール・ハルブすなわち「非イスラムの動乱の世界=未だイスラム化されていない世界」の象徴として記述されている。
ジャーヒズの述べるところによれば、「肉汁」marqに用いる獣類の中で、最も硬い(jaamid)のは、豚肉と馬肉とである。また最も脂肪(thirb)の多いのは豚と山羊類(mi”zaa<ma” z)の肉である」とあると述べている。 Jah.Ⅳ53
また豚と夢占いの項の中に、 豚の肉料理を食べたのを夢に見た、それは一つには不法の財産・資産を得ること、または不法な取引をおこなうことを意味する。
またもう一つは、それはまたムスリムにとってはハラーム(不可食)であるが、全人類にとって良い物であること、死後には有益となることを意味する」とあった。
「豚煮込み料理」イーガールyiighaar
古代エジプトでは、豚は余り清らかな動物とはみなされていなかったものの、食肉は好み大いに食卓に上った。悪神セトは豚を眷属ないし神使とみなし、悪事をする際には豚に変装ないし変身して行った。最高神ホルスを殺害した時にも黒い雄豚に変身して行為に及んだ、といわれている。
キリスト教でも豚は不浄の動物とみなされてはいたが、食肉は禁忌でもなかった。それ故古くから中東・イスラム世界であっても、キリスト教徒の多住する地域やキリスト教地区では豚飼育も盛んであったし、豚肉も食べられていた。
アラビア語の世界にも「豚」と関連する文化事項がまま見つかる。そんな状況を伝える文化語にイーガールyiighaar「豚煮込み料理」がある。
このイーガール「豚煮込み料理」については、諺の項の5「私は豚が熱湯を嫌うほどに彼が嫌いだ」の箇所で触れておいた。イーガールiyghaarすなわち「沸騰させられたもの」で、特別な料理名「豚煮込み料理」のこと。屠った豚を丸ごと大釜の中に投げ入れて、煮込んだジャンボの料理で、中東イスラム圏でも、キリスト教徒の集住する地域では、ハレの時、目出度い時に作られる特別料理であった。イスラム化する以前アラビア世界にも見られたものであった。諺の方で、「豚煮込み料理」イーガールを詩に謳い込んだ詩行を紹介しておいた。豚を食べない地域では、毛を容易に除くためにイーガールする所もある、生きたまま投げ込む場合もある、とのことである。
豚肉詰め物料理、マフシー mahshii al-khinziir ほか
また、詰め物料理としてのほうがよりポピュラーであったようだ。詰め物料理は現地ではマフシー mahshii といわれる。マフシーとは、「中に詰め込まれるもの」の意味である。胃袋詰めとして煮たり(matbuukh)、焼いたり(mashwii)される。
また胃袋としての注意すべき用途としては、容器が何もない場合、胃袋自体が鍋や容器がわりとして、直接焼かれたり、中に熱した石を入れたりして用いられることもある。軽便を旨とし、器をより少なく済ませ、より多目的に利用しようとする遊牧民的思考がここにも上手に働いている。
西洋料理ではスコットランドのハギスのメニューをご存知の方も多 かろう。牧畜文化という点ではアラブと通底していのであるが、ヨーロッパには、牛や豚、羊、ヤギ などを屠した際、その臓物利用も行われている。ハギスはその点世界的に有名なのだが、残余のそうした臓物を刻み込んで、その中に穀類や香料やスパイス、オートミールなどを混ぜ込み、それらを屠 殺した牛などの胃袋に詰め込んで煮た料理のことである。
このハギスと同様の料理法を、アラブは二種持っていた。一つはイラ(irah pl. iraat, iraan )といい、もう一つはムカッラシャ(mukarrashah )といった。イラの方は、どちらかというと、より小型のガ ナム(羊、ヤギを区別しない言い方)の方を用いるものである。同じ胃袋詰肉料理なのだが、預言者 マホメットはどちらかというと、イラの方を好んだというハディースが残っている。(『リサーン』Ⅹ Ⅳ31他)。
ジャンボ好きなアラブはさらにムカッラシャ( mukarrashah )と呼ぶ、もっと大掛かりな ラクダ胃袋を用いた焼肉料理法に慣じんでいた。ムカッラシャはラクダの第一胃カリシュを用いる。 四つの複胃の中の最大の袋となっている第一胃が用立てられているという点は、他の三つの胃とは大きさが違うのはもちろんであるが、器としての、また風味もまた異なるからなのであろう。しかも、 ハギスのような煮込みではなく、焼肉料理なのである。それでは牧民特有のムカッラシャの独特の作り方となっていた。
上図は王が馬上で猪に襲われながらも、相手の咽喉元に一撃を加える。馬も危うく倒れそうでありながらも、王の攻撃を支える。王は雄われる前に、持っていた弓矢や盾も用いることが出来たが、猪突猛進であったのであろう。剣のみで討ち、その凛とした姿の対応が立派に描かれている。ムガール王朝美術より。
13 豚肉はハラーム(不可食)
イスラム法(hukm)ではハラーム(不法)かハラール(可法)か
イスラムの食のハラール(可食)としては、聖典『コーラン』の中に次のように記されている。「アッラーの名を唱え、頸動脈を切断して屠殺した肉」第5章3節。
そしてハラーム(不可食)としては:
『コーラン』2章173節
神があなたたちに食べてはならない(harrama)とされたものは、死肉maytah、血dam、豚肉lahm khinziir、およびアッラー以外の名で唱えられて(捧げられた)ものである。だが(死ぬほどに飢えて)やむを得ない場合、異常事態の場合は(食べても良い)。それは罪(ithm)とはならない。
『コーラン』6章145節
神は、食べられる食材なのに、不可食(muhram)とされるものを私に啓示された。不可食とされたもの、それは死肉maytah(を食すること)、流れ出る血dam masfuuh、それに豚肉lahm khinziirである。それらは不潔(rijs)であり、みだらなもの(fisq)である、アッラー以外を信ずる者には可食ではあるけれども。(死ぬほどに飢えて)やむを得ない場合、異常事態の場合は(食べても良い)。アッラーは寛容であり、慈悲深いお方であられる。
『コーラン』16章115節
アッラーはただ死肉、血、豚肉、アッラー以外(の名前)で屠殺されたものを(食することを)信者に禁じただけである。但し、(死ぬほどに飢えて)やむを得ない場合、異常事態の場合は(食べても良い)。まことアッラーは寛容であり、心の広いお方であられる。
またハディース(預言者言行録)においては:
「アッラーは、以下のことをハラーム(不法)としている。酒(hamrをつくること、飲むこと)、それに値を付けること、死肉(を食すること)、それに値を付けること、豚(を飼ったり、食すること)、それに値を付けること」とある。(Dam.Ⅰ535)
ハディースにがまたイブン・アビー・ドゥンヤーはサイード・イブン・アブドルアジーズから伝えている話として:サイードはアブー・ウサイド・ファザーリーに声を掛けられ、尋ねられた、「どうやって生計を立てておりますかな?」と。彼が答えるに、「どうやらアッラーが犬や豚に生計を立てるような暮らしをしています。でもアブー・ウサイド、あなたのような生計を立てているわけではありません」。DamⅠ534
解説が無いので、正確には説明できないが、サイードの答えの意味は、私は犬や豚が蔑ませれているような貧しく卑しい生計をたててはいます。が、アブー・ウサイド、あなたのような不正や不義を働くことで生計を立てているわけではありません、ということであろう。
以上を纏めると、イスラームで禁じている食べ物は、1アッラー以外の名で屠られた肉、2血、3死肉、4豚肉ということになる。
上記1はイスラム以降の話となる。2以降はそれまでは普通に食されていたものである。
従って一般庶民において、特に家畜業者や遊牧民にとっては、食材が狭められてしまった。すなわち、神は預言者ムハンマドはメッカの都会人育ちであったので、ただでさえ、食料に事欠く遊牧民のことは考えずに食規定を行なってしまったことになる。
2の血の食利用であるが、それ以前までは大型動物であるラクダの血抜きを行なってミルクと混ぜて飲んだり、ソーセージのように腸詰めにされて利用されていたのである。血の食利用の日常化は 大型動物・家畜の存在があってこそであり、 プレ・イスラム期の食利用として大いに利用されていた。アフリカ牛遊牧では牛からの血の食利用は行われている。
3死肉は腐らない限りにおいては食利用できるし、腐りかけた方が美味になる肉だってある。イスラムでは生きている間に屠った肉でなければならない。これは大変な事態を生じた。ちょっと様子がおかしい、病気らしい、死に近い、と判断された家畜・動物は、死んでしまっては食利用できないので、生きている間に屠肉とせねばならない。
すなわち、死に急がせ、生き残す思い遣りを断念させる現実を生み出してしまった。遊牧生活にとっては、日常為(な)される酷い食利用となってしまった。死肉の食利用をハラーム(不可食)としたことも、食肉とするため、いたずらにその対象動物を「死に急ぎさせ、生き残す思い遣りの欠如を促す慣行」を生み出す結果となり、都市の論理で、遊牧民や家畜利用業者を嘆かせたに過ぎない。
但し、死肉二物はハラール(可食)とされた。それは魚、イナゴであり、さらに「狩猟動物」の死肉に関しても規定が設けられた。
4豚肉のハラーム(不可食):
猪(豚)肉が何故ハラームになったのか、それは先行するユダヤ教に倣ったものである、とするのが大勢を占める。それ以上は考える余地はないし、必要はない、とするのが一般的である。
近代からは衛生説が加わる。豚肉には回虫類や多様なばい菌が含有されているから、食利用は拒まれたとする説である。が、その説もイスラム以前にはアラブも食していたこと、十分焼いたり、煮込んだりすれば解決されていたこと、ましては同じ地域のキリスト教徒は食していたこと、などから根拠ともならない。
宗教には信者に求める教えや律する規範が必要であり、イスラムはその戒律の一つを食に求めていたことが考えられる。イスラム期以前から神々に捧げる奉献の中に犠牲動物があった。イスラムでもまた、宗教儀礼用として犠牲動物を必要とした。
食用とも関連するが、イスラームでは犠牲祭をはじめ、ハレの儀式には供犠を捧げ、動物を犠牲とした。贖罪のためにも、またイスラームとは離れた土着の信仰においても動物の供犠が知られる。 犠牲にはどんな動物でも良いというのでなく、性別、年齢などの制限がもうけられていた。
また可食 であるにもかかわらず、宗教を含めた文化が不可食とする禁制も存在した。アラブ世界はイスラム生誕当時、遊牧民が大勢を占めていた。すなわち家畜が多層に広がっていた。その中の一つを選んでタブーとした。ラクダ、羊、山羊、牛、豚など家畜層も豊かで、野生動物もガゼルやオリックス、アイベックス、駝鳥など多様な食肉利用されていた。もちろん小形動物の兎や鶏、鳩、シャコなどの重禽類なども肉食材である。
こうした中から、宗教的戒律として一つを選んで、それをハラームとする天の発想があった。選ばれたのは、比較的ハラームとしても、影響のないもの、それが猪(豚)であった。まず不浄観が大きく左右しており、また放牧もままならず、遊牧民も放牧家畜の対象と考えてはいない。
そしてもっと大きな要因として前回紹介した豚の変化(へんげ)が民衆に浸透していたことである。人間が変化させられる対象はまず豚であった。豚を食べることは、即、人間を食べることに通じていた。豚肉が人肉と重なっている俗信が働いていた。
こうした深層概念が食の禁忌につながったとも考えられる。
上述の要素が幾つか重なって「豚肉のハラーム」が実現してしまった、といえまいか。