ヒムヤルの信仰(1)  多神教、星辰崇拝、月神信仰
                                                       古代南アラビアのヒムヤル暦月(3)

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天辰信仰  三神信仰

月の神アルマカフal-Maqah(男神)

太陽神シャムスal-Shams(女神)

金星神アスタルal-Astar(女神)

月神信仰

月神は冷涼と潤い、水の性質、即ち寒にして湿である性質

女性神太陽は暑熱と乾燥をもたらす火の性質

マアリブの神殿遺跡は「月の神殿」

ビルキースの玉座アルス・ビルキース“Ars Birwiis

月のシンボルは三日月 角を持つアイベックスおよび雄牛として象徴化

太陽神、シャムスShams、タヌーフTanuuf「気高き者」

星辰信仰  惑星神

金星神 al-“Uzzaa al-Zuhrah

火星神 al-Mirriikh ハクミシュHakmish神(ヒムヤル語)

水星神 "Utaarid アンバイ”Anbay

土星神 Zuhal ナクルフNakruh

黄道十二宮信仰 山羊座神 タウラブTa’lab

イスラームの月と太陽の位置づけ

月は夜を支配する権威者  太陽は昼を支配する権威者

 

 

 

     ヒムヤル人の信仰 多神教、星辰崇拝、月神信仰

後世の一神教であるイスラームでは、月と太陽の位置づけを次のように『コーラン』の中で述べている。その言及は『コーラン』では二か所に言及がある。

①「彼(アッラー)こそ太陽を輝きとなし、月を光となした。なんじらに年の数と(暦の)計算法とを教えんがためにである。(月については)その宿を定めたものである」と。(第十章第五節)

また②『太陽が月に追いつくことは許されず、夜が昼に先んずることは出来ぬ。これらはそれぞれ天空をおよぎゆく』(第三十六章第四十節)と。

月は夜を支配する権威者として、太陽は昼を支配する権威者として、両者はアッラーの意図のもとに統一されている。

アッラーは天地創造において昼夜を作った際、輝かしい昼の世界を太陽に治めさせ、月光の夜の世界は月に治めさせた。それで一日が構成され、お互いに追い抜こうとしたり、先んじようとしたりすることがない。月の満ち欠けは、太陽とのこうした関係を言ったもの。その連続が週となり、月となり、年となる基本的暦(=()読み)の単位となった。

 

 

     多神教、星辰崇拝、月神信仰

一神教となる前のアラブ世界は多神教の世界であった。

アラビア半島南西部、古代イエメンでは、5世紀頃ユダヤ教やキリスト教が入って来る前までは、多神教の世界であり、天体信仰が盛んであった。天体信仰は、星ごよみで一年が動く如く、現実生活と密着に関係し、その星や星座への能動的働きかけ、人間と大地と大気のコスモスは心を通して神格、信仰と結びついていた。


ヒムヤル時代の後期、キリスト教、ユダヤ教が伝わって以降、一神教信仰も広まった。最後にはキリスト教、ユダヤ教ととの間で、宗教紛争が起こり、アビシニアの干渉を受けるようになって、それが元でヒムヤル王国が滅亡する直接的原因となった。一神教論争が国を亡ぼす要因になったともいえよう。


キリスト教やユダヤ教が定着するまでは、一神教的概念よりも月・太陽・金星の三神信仰のもと、一神教のような厳格のものでは無く、イエメン全体が多神教であり、多様な神が許容され、部族ごとに、さらには職業ごとに、また個人ごとに信仰対象も異なっていたりした。


セムの系統の最後の新興民族アラブの星信仰。7惑星(近代になって10惑星)は、古くから12宮と関連付けられ、その守護惑星として振り分けられて、影響関係が信じられていた。

オリエントのバビロニアの天体情報およびその信仰を受けて以来、近隣地域では土着の信仰と習合され、継承されてきた。その直系の子孫であるアラブ・アスラム世界もその例外ではない。

否、野天の子アラブはより直接的で具象的な独自なもの、祖先からのものの土台の上に、先進的なバビロニア体系との影響関係を積み重ね、実生活のみか精神、信仰生活にまで深く入り込んでいたものと思われる。

 


   1 月神信仰

砂漠で眺める月ほど印象強く感銘を受けるものは無かろう。遮るもののない天空に佇む。快適な夜間のサマル(samar夜の閑談)。テントの網目からも木漏れ日のように仄かに明るくバドル(満月)の月光が差し込む、星ゞもまた降り注ぐ…。

月の総称もカマルQamarだけではない。「三日月」の意味のヒラールHilaal、そして「満月」の意味のバドゥルBadrもごく一般に親しまれて日常語として用いられているし、人名にも使われている。

月の存在、その満ち欠けは、時制としての一か月の月日を示してくれるだけでなく、夜間、夜間の時刻・更時、夜作業、夜旅や夜間放牧などの夜間の人間活動の支え、節目ともなっている。

 

 

月神のシンボル。左の香炉の支えの台には五行にわたって、ヒムヤル語が記されている。香炉の本体は四角形で50cmもある大きなもので、如何にも月神殿に相応しい。左右には猛々しいアイベックスが飛び上がらん勢いで向かい合って横向きに描かれている。中央は二段に分かれ、上段は日月が描かれ、大きな月が太陽を支えるように描かれている。下段には同じく月神のシンボルである牛頭を正面向きに、両角を左右にして三日月を表している。
右図は神殿の梁か柱に彫られた部分か碑文の断片。上には角が立派なアイベックスが横向きで描かれている。破片の前のも同じアイベックス像であろう。最後部のみ見えるが、後ろの最後部と同じと観て良かろう。すなわち一列に何頭か連続していることが推察される。下にはヒムヤル語が刻み込まれている。

 


月はその光で天地を輝かせるだけではない。月を崇める者、月を信仰する者の顔や身体も輝かせる、特にその額を。月を崇める者には、月神のその権能と威光により、崇拝者を輝きだすように健全に順調に、体内にも浸透して病気を生ずることも無い。

また男性神でありながら、性格的には、母性、感情、家庭的、寛大などの女性気質が反映されている、と信じられていた。女性神太陽が暑熱と乾燥をもたらす火の性質を有するのに対して、月神は冷涼と潤い、水の性質、即ち寒にして湿である性質も顕現させる神であった。


また月は守護惑星として、十二宮概念では、吉凶観においては吉星(kawaakib sa"dah)であって、昼夜を二分する太陽宮境域(hadd al-shams)6宮と月宮境域(hadd al-qamar)6宮においては、蟹座を守護して水瓶座から始める月宮境域を代表し、夜間の方により影響力を強める。一方太陽は獅子座の守護神として以下に山羊座まで続く六宮を代表して、昼間の方に活動の主力を置いていた。


 古代イエメンでは、大気、天空、その目印たちは、信頼され崇敬の的であった。月神を中心に、太陽神、諸惑星神、さらには星座神まであり、星辰崇拝の多神教となっていた。
特に月の神アルマカフal-Maqah(男神)と太陽神シャムスal-Shams(女神)および両者の子である金星神アスタルal-Astar(女神)、この三神信仰が北方のバビロニアとのそれぞれの影響を受けて、習合されて信仰されていた。 中でも12か月の指標より、その満ち欠けが毎日の指標となる月への依存度が高く、日常的生活ばかりではなく、信仰として心の依存度も高くあるものであった、マアリブ神殿がそうであるように。マアリブの神殿遺跡は、ビルキースの玉座アルス・ビルキース“Ars Birwiisとして知られる「月の神殿」とされている。

 

 北方の、古代メソポタミアで信仰された月の神はシン (Sîn)であった。シンは男性神で主神であった。つまり月は、熱い光線で焼き尽くす太陽=女性ではなく、冷涼と湿潤を恵む有難いかみであった。シンはアッカド語の名前であり、それまでのシュメール語ではナンナ (Nanna)との名称であり、「ナンナ」はアッカド語ではナンナルとも呼ばれる。

半島中央部では月神ワッド信仰があった(これについては次回述べる)。

イエメンの月神信仰の対象はアルマカフal-Maqahであり、アルマカフの神殿があのマアリブの有名な遺跡となっているアッワーム神殿である。


月のシンボルは三日月である。従って月神の身体も三日月、ないしそれに擬した角を持つアイベックスおよび雄牛として象徴化された。牡牛の方は頭部正面を向き両角が左右に開く形では北のバビロニアと共通するが、イエメンでは殊の外アイベックスが好まれた。その形象である三日月形も、アイベックスの角を正面からではなく、真横から見てあの湾曲した角を三日月と見做していたところに特徴がある。


イスラム時代に入っても、惑星の一つとして、また黄道12宮の守護神としての、民間信仰は変わらず、月像もまた抽象的でシンボリックなばあいもあるが、図像化されている。
天文学や占星術関係の図像では惑星も形象化される。多くは擬人化され、12世紀以降時代を経るに従い、多様化されている。12世紀の文人トゥースィーの『被造物の驚異と万物の珍奇』の中には惑星の中でも月の擬人化された記述だけは欠如する。図像では月を頭の回りに、月輪を戴く女王として、貴婦人として描かれる場合が多い。

動物界の守護神としての月は、家畜化され動きの軽快な従順な性質の動物を守護する、支配する星とされる。ラクダ、牛、羊、ヤギ、ロバなど。鳥類では鶉、鴨、鷺、ヤマウズラなど。
職業(sanaa’i”)は女王、王女、高貴な淑女、富豪、名家、医者、民間治療師、隠遁者(saa’ih)、大使、派遣人、巡礼、旅人、船乗り(bahhaar)、漁師(sammaak)、織物業者、銀を中心とする宝飾業者、技能・芸能関係、旅人などであり、天空から彼らを見守る。

 

イエメンの月神信仰は、シェバの時代が最も盛んであり、アルカマフ神al-Qamah が中心であり、その神殿は各地にあったが、主殿はマアリブの「バルキースの玉座」”Arsh Balqiisと言われるアッワーム神殿であった。


他にも月神は様々な名称で知られていた。中央アラビアでは、ナッイルNayyir( 輝かしきもの)とか、キンダ王国ではカフルKahlとして、また南アラビアのハドラマウト王国ではサーインSayin(古代バビロニアの月神シンSinの系統)、またヒムヤル王国ではワラフWarakh(彷徨うもの)として知られた。また農耕地帯では太陽女神シャムスShamsが主神であって、その男神ながらその配偶者としての地位にあった。

 

 
 方解石アラバスター石碑。剥落があり、全容が見えないのが残念であるが、完全な姿ならば、相当見事な芸術品となっていよう。
長方形の外枠を飾るのは、上部に4頭の牛の頭部、(破損している下部も同様であろう)、その下にヒムヤル文字が刻まれている。両脇には横向きの角の立派なアイベックス9頭の膝まづく姿が描かれる。両方とも月神のシンボルであるから、月の神殿を表していよう。中央の人物は、顔に品位から、また髪型や衣服から、高貴な人物とみられる。恐らく祈りをあげている姿であろう。右手には小型の剣がしっかり握られており、何かの決意を示している模様。
シバ時代の作品、イタリア地理院所蔵。 

 

    2 太陽神

一方農業が盛んな南アラビアのイエメンでは、太陽神シャムスは、女神ながら神々の主座を占めていた。特に豊饒な土地を持ち。農牧民が多く占めるヒムヤル族系統では篤く信仰されていた。そこでは農作物や牧草を生育させてくれる「光熱もたらす婦人」の意味でザート・ヒムヤムDhaat Himyamとの別称も用いられた。

 

太陽神の中でも、習合的なアッラートとは異なり、シャムスShamsは文字通りの「太陽」神である。太陽はシャムス神として天上に在って、まず公正で不義を明るみに暴き出して糺す神であった。天上から農作物の育成、成熟、収穫を守り、日常生活を安寧に送らせてくれる神であった。農業が盛んであった地域に篤い信仰が観られた。半島の南部、そこはモンスーンの雨が夏にもたらされた。半島北部、そこは地中海式気候で冬に降雨があった。


またタヌーフTanuuf「気高き者」という神は、南アラビア系の土着の太陽女神であった。イエメンで、その信仰があり、神名タヌーフTanuuf自体ヒムヤル語である。北アラビア系の太陽神Shamsと習合されている。その神名タヌーフは天空神(月神・雷神)マカフalmaqahと金星神アスタルとの三星信仰と関わっている場合用いられる。タヌーフは南アラビアでは同じくザート・ヒムヤムDhaat Himyam「ヒムヤム(暑熱)の(女)主」とも、また南アラビア中央部ハドラマウト語ではエユームEyumとして知られた。

 


       惑星神
伝統的七惑星は(上に述べた月、太陽もこの中に入る)、天空の輝星であり、しかも恒星(星座も同じであるが)と異なり、絶えず惑っており、その位置も一定ではない。この動きがあり、惑星間および黄道十二宮、さらに星座間とのアスペクト(位置関係)によって、古来様々な意味付けがなされてきた。個々の惑星には様々な属性が付与されており、それへの重視は崇拝や信仰に近いものであった。


 古代オリエントで生まれ、東西に伝播し、習合されて広がっていったのであるが、アラブ世界でもその故地であるから、そのまま継承される場合もあれば、習合されている場合も見られる。古代南アラビアも周囲の高文化メソポタミアやエジプトの影響を受けながら、多神教であるだけに、天辰信仰が盛んであった。

 

月、太陽を除く五惑星の信仰を観てゆくわけであるが、木星神だけが欠如する。この意味合いはいずれ民間信仰や星辰信仰と関連して調べて行く必要がある。が、他の惑星は吉凶や善悪観は定まっているのに、例えば、太陽とか水星などが定まっていないところが共通しており、吉凶観が定まらず、善悪に対しても対象をことにするなど諸点において、考察すべき事柄が多い。また地域を異にし、時代を経るに従って、個々の惑星の習合概念も当然ながら存在したことであろう。


      1金星神 al-“Uzzaa al-Zuhrah:
まずオリエント以来続く三星信仰を担う金星神から述べてゆかねばなるまい。
オリエントの金星神イシュタルは、西にギリシャ・ローマに伝播され、ヴィーナス信仰となって行った。一方セム族の末裔の地中海に面するカナン地方ではアナトAnat神とされていたし、アラブ民族ではここで述べるウッザー神(al-“Uzzaa)として高い信仰を得ていた。


イシュタルが訛ったアスタルは南アラビアにおいて、ミネア王国、サバ(シェバ)王国、ヒムヤル王国の人々により金星神として、特に「明けの明星」の男性神として崇敬されていた。
 アスタルは農業を育む環境、水の管理や給水、降雨、ワーディー(枯れ川)、灌漑施設の守護者として尊崇された。また威力ある神として「軍神」でもあった。神像、と言うよりその象徴は「槍の穂先」であった。そして神使は「獅子」に代って「オリックス」とされた。その角はそれ故威力あるものとして、家の外壁などにお守りとして置かれた。

 

ウッザー神は、一方半島南部では金星神とも考えられていたが、「病気治し・治癒の女神」ウッザヤーン”Uzzayaanとして崇拝されていた。ヒムヤル王国やイエメン全体で信仰され、その神殿へ病気の子供を連れて参拝に訪れた。比較的富んだ信奉者は、女神ウッザヤーンの小さな金製の像を模したものを奉納するのが習いであった。南アラビアでは女性にアマト・ウッザヤーンAmat ”Uzzayaanとの名前を付けることが多かったが、「ウッザヤーンの娘」の意味である。


ウッザー神には他にも別名がある。矢張り「明けの明星」および「宵の明星」としての驚異と威信が名称にも反映ている。本来は金星神なので、「金星」の名称ズフラal-Zuhrahがそのまま「金星神」を表していたし、少し訛ってズハラal-Zuharahとも呼ばれていた。「明けの明星」は翌朝のこともあり、男神と見做されアスタルAthtarとしてウッザー神の分身とも見做された。ウッザー神また<星>神であったので「星」を意味するカウカブkawkabが訛ってカウカブターal-Kawkabtaaとも称された。すなわち「星」の代表、三神信仰の星とされている。


           ⒉火星神 al-Mirriikh
 火星の最も一般的名称であるミッリーフal-Mirriikhは「自らに油を塗る者=自らを聖化する者」と、「四つ羽を持つ長矢で最も遠くまでいることが出来る矢」とされており、前者は<神>としての、後者は<戦闘>の火星の性格を表していよう。
火星は軍神、武神。男性神であり赤く輝き、<火>を象徴する。気性・性格は若さ、活力、強さ、激しさ、積極性、野心、暴力、戦い、流血を顕わにする。まあ短期で怒りっぽいから、もろに熱血漢、乱暴振り、直情、意地悪を顕わにするところがある。


火星神と深い関係に在って、末裔のアラブ民族に影響を与えていたのが、南アラビアのハクミシュHakmish神(ヒムヤル語)、北アラビアのケモシュKemosh神(モアブ語)、カミシュ(エブラ語)である。これらの神は戦勝に導く「軍神」として著しい特徴を出した。
また同時に<火>に関与する武器や武具を製する職人や鍛冶職の守護神でもあった。
守護神として、動物ではライオン、豹、狼、猪、毒蛇など人間に危害を与える動物、害獣、害鳥、害虫、他に赤毛ラクダ、豚などを守護すると見られた。 


       3水星神 "Utaarid:
水星ないし水星神はウターリド"Utaaridと呼ばれ、「水銀」と同義である。水銀が比重の重い方に移って行くように、水星も多数の方へ、優勢の方へ傾く性格を持つ。それは何よりも感や空気、奥読み、客観的・冷静的評価から帰結するものであった。


この神は混合した性質を持ち、吉凶の両面を持っている。性においても男性とも女性とも状況においてどちらかに配される。善悪、どちらにも属さず平衡を保つ。実際、性格・気質(mijaaj)にしても混成しており、流動的である。金属で言うならば水銀、銀、およびサファイヤの属性を帯びている。(水や水銀の属性を多分に有している)。

理性、秩序、学問、繊細性、神経質など、反面ささいなことに拘る、敵を恐れる、憂鬱、利己的である。それ故、聡明で機を見るに敏であり、幸せをもたらす星と合すれば、幸せをもたらし、凶兆の星と合すれば災いをもたらす。


このようであることから<知性>を象徴している。祭司、予言師、占い師、暦師、相談役など、後世には理性、知識、学問を重視する書記や秘書から、また官僚から、尊崇され、信奉された。また秩序と友情、また親族を尊ぶ性格を持つとされる。
守護する動物(hayawaan)としては、水星は夜行性の動物、狼、狐、ジャッカル、兎、イタチ、トビネズミなど。他に野生ロバ、黄色毛ラクダ、猿、犬など。また鷹や犬(など狩猟動物)。鳥類では水禽類、ムクドリ、ナイチンゲールなど軽快な飛行を見せ、鳴き声の良いもの。それにコオロギ、蟻、ワラジムシ(banaat waradaan)などの足の速い昆虫などを司る。


こうした水星神を南アラビアのヒムヤル王朝ではアンバイ”Anbayと呼ばれ、その役割を担っていた。ヒムヤル王朝の「水星神」はアンバイ"Anbay「呼び(出す)もの」との名称で、ヒムヤル族他カタバーン族などのアラブ諸族から崇められていた。その正義と知恵と予見能力から、「託宣や預言」を求める時、その権威者であった。アンバイ同様、ハウカムHaukam神とも知られ、「裁く、治める、知識を深める者」の義であり、正義を司り裁きや神託で権威を得ていた。


      4土星神 Zuhal:
「土星」はズハルZuhalと言われ、「土星神」の意味でも用いられた。特に「土星<神>」と限る場合、ズハールZuhaalと言う場合もあった。
メッカのパンテオン・カアバの神域の中にも「土星神」が安置されていたことが知られ、特にジュルフム族に信仰が篤かった。半島内でも「土星神」はその巨大さと諸惑星の最後であるだけに、特異な神格が与えられていた。


土星の神格は古代バビロニアで既に与えられており、継承するアラブもそうした概念の神格を受け入れていたと思われる。古代バビロニアのカルデアでは男神カイワンヌKaywannuとして、大地および地下界を支配し、土壌を管理し、耕作や農産物、牧草の育成を見守る神であった。それ故耕作地を荒らすものに対しては懲罰を科すことも信じられていた。その末裔であるアラブもこれらの「土星神」をカイワンKaywanとして踏襲していた。ヘブライ人も同様キッユーンKiyyuunとして同様な神格を与えていた。


また南アラビア語でナクルフNakruhとの名で「土星神」を言い表すところもあった。と言うよりも「土星神」ズハルの兄弟神とも信じられていた。半島南部のミナー族やヒムヤル族であって、イェメンの都市バラキシュにはナクルフの神殿と神域(hawtah)とを持っていた。この神域に入れば、この「土星神」のご利益により殺人犯や逃亡者などに誰の危害も及ばない「逃れの地」であったし、病気治癒を願う者がおすがり出来る「治癒神」であり、お籠りに入る聖地であった。ナクルフはまた一方では月神ワッドの兄弟ともされ、性格は厳格であり慈悲に溢れてもいた。
 


      黄道十二宮信仰 山羊座神
月神信仰が教示してくれているところは大きく深い。
黄道十二宮は惑星とも関連付けられ、七つの惑星はそれぞれ黄道十二宮のラッブ(rabb守護星)となっている。占星術がらみになるが、12と7であるから等分には分けられない。

太陽神(獅子座のラッブ・守護星)と月神(蟹座のラッブ)とし、残る5惑星を2星座ずつのラッブとする。こうして移動する惑星に対して、星座内での活動、他の星座や惑星とのアスペクトの関連で、天界の星辰現象を地上の減少と結び付けて行く。

管見であるが、南アラビア信仰においては、黄道十二宮のうち、他の宮はほとんど存在しないか、記されていない。が唯一、山羊座神の存在が目立つ。これは月神信仰とも関連していよう。というのも月神信仰がことのほか篤い南アラビアにおいては、そのシンボルがアイベックスの湾曲した角に象徴されていることは前に述べた。アイベックスは山羊の仲間である。従がって山羊座に対しては、格別な思い入れと尊崇の気持ちが反映されていた。


 十二宮のうちの山羊座もまた、神格化され信仰の対象にされていた。「一月星座」であるということも、年中行事や年初の計画の節目として大きな意味を持ち、山羊座神に対して、それゆえに予祝的な行事もあったであろうし、気構えを新たにさせられたことであろう。

南アラビアでは、アイベックスやオリックスなどの山羊類がトーテムとなっている。それ故やぎ座もまたその尊崇の対象であった。農業神では無く、狩猟・牧畜の神、そして山岳信仰と結びつく山の神、さらには治癒神であった。タウラブTa’labがそれで、山羊座神であった。このタウラブ神は農業神・水神である女神ナワサムNawasamの夫と考えられていた。


ヒムヤル諸族、特に狩猟・牧畜が主体となっていたリヤーム族、スウマイ族、スハイム族にとって篤く信仰された。神域はイエメンのイトワ山Jabal ItwaのトゥルアトTur’atに在り、その神像は一本のナツメヤシの聖樹であった。この山中の聖樹と山羊座とを習合させて神格としたわけである。信奉者は牧民や家畜の五体無事、息災を願ってタウラブ神の名を彫り込んだ護符やお守りを作り、神殿に参拝して、それらを奉納した。そして帰りがけにそれらを持ち帰るのであった。それらを身体の傷病の患部に当てて携帯するとご利益があるとされた
山羊座神と称されるものにナーシラNaashirah女神がある。「広げるもの、まき散らすもの」の意味で、この場合対象は<雨>であり、従って「雨もたらすもの」であり、それは同時に「朗報・吉報をもたらすもの」の神として信じられている。

 

 

 

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