雲は喜ばしいもの、雨は利益恩恵もたらすもの 「雲」ガイムghaym
アラブの雲(1)
キーワード: 雲は喜ばしいもの 雨を利益恩恵もたらすもの 雷神アダドAdad・ハダドHadad 雲の代表語ガイムghaym 『コーラン』第7章57節 重き雲を持ち上げ雨降らす 雨雲はブシュルbushr吉報 詩人フブズルッジーKhubzuruzzii 米粉パン屋 バスラ近郊ミルバドMirbadの大祭
今週のアラブの星ごよみの中に、
マハッリー暦1733-34(1145-46AH)10月25日「雲、多く厚くなる」。{雲見との関連、降雨の前兆}とある。
また先週のハイダラ暦(1659~60)10月21日 「雲の観察が推奨される」、とあった。「雲見」の風である。
雨は雲が出なければ期待できない。雲が出たとて雨降らすかは別物、しかし雲が出なければ、雨は降らない。降雨には雲は絶対条件である。それゆえ雲と雨はいつも一緒に考えられている。ここではアラブの雲観について記して行ってみよう。
暑く乾燥した世界である中東一体では、冬の一時期を除いては殆ど雨が降らず、水に対しては特別な概念を持っている。水や雨に関連するもの、例えば雲や霧、手の握り汗すら縁起の良いもの、喜ばしいもの、と受取られる。客の来訪に対して「雲が顕われた」というような表現も。さらに「誰々の上に雨を降らせる」とか「誰々から雨を求める」とかいう表現の「雨」は利益、恩恵といった換喩となっている程である。
水の絶対的少なさは降雨の少なさとも比例しており、「年」を意味するサナsanahの意味を見て行くと同様な概念が浮かび上がる。年間を通しての降雨量の少なさは、農地の水に灌漑を必要とする程であるし、雨乞いの行事も雨雲や雷鳴を呼び出す儀礼でさまざまなローカル色豊かなものである。
日本人の「水」の重要性は渇水のような特別な場合を除いて,降雨量の多いモンスーン気候なので意識されることはないが、乾燥地域では死活問題として鋭く意識されている。先ずは水への配慮である。それゆえ水をもたらす雨、雨をもたらす雲、雷鳴、稲光りといった自然現象は、アラブでは好ましいもの、喜ばしいものであって、よく客人への歓迎の言葉の中に登場する。
上のレリーフはいずれも古代オリエント世界の雷神Dad。定冠詞を冠してアダドAdadまたはハダドHadadとして知られる。風を呼び雲を集め、雷を起こし、降雨をもたらす慈愛の神でもある。緑を再生させる有難い神であるが、一方では余りに激しいと暴風雨や鉄砲水で災害も引き起こす怒れる神でもある。手には雷光、稲光(barq)の象徴である槍や三叉鈷を持ち、化身や使いとなる牡牛の背上に乗る。左はアレッポ博物館蔵、右はルーブル美術館蔵
アラブの季節は、時節柄の寒暖、太陽の黄道上の位置と日差しの強さ、黄道上の星座、月の宿、個々の恒星・惑星のグルーブ=ナウ(西没)およびトゥルーウ(東昇)の定期的移ろい、さらに雲および雲が呼びこむ雨の関与で測られていた。
星の暦の原点とされる、28宿の13日間のそれぞれのナウ(naw’ pl. anwaa’星宿)の始まりの頃は「雲の出現と降雨が期待される」ものとも理解されていた。それ故<雲>や<降雨>が意外と<季節>の標識になっている。イスラム期以前は、はるかにサバンナ的で降雨期以外にも雨が降ることも見られる気候様式であった。
『コーラン』には「彼こそ己の慈悲の(重ねる)前に風を吉報として送る者ぞ。その風は重き(雨)雲を持ち上げ、(一方我らは)それを(枯)死した土地へと導き、そこから水(雨)を降らせよう。さすればそれによりあらゆる地の産物を生み出すことになろう」
(第7章57節)とある。『コーラン』に記された「雨」の記述であるが、雲が出なければ降雨は期待できない。雨雲はブシュル(bushr吉報)とされ、これがアラブ世界の一般概念となっている。
「満月を取ってくれろと泣く子かな」 月は触れることに出来ない代表例であるが、雲もまたそうである。これを詩情に重ねたアラブ詩人がいる。
10世紀のイラクにフブズルッジーKhubzuruzziiという詩人がいた。本名はナスルNasrであったが、綽名のフブズルッジーの方で知られる。「フブズ(パン)ルッズ(米)の人」即ち「米粉パン屋」の意味である。パン(khubz)は普通小麦で製するが、彼は米(ruzz)で製してパン屋を営んでいた。フブズルッジーはペルシャ湾に面したバスラ近郊のミルバド(Mirbad)にパン屋の店を持ち、そこで生涯を終える(317/929~30年没)。読み書きが出来たわけではなく、無学であった。ましては詩の伝統や作詩法を学んだわけではない。
ミルバドは、古来メッカ近郊のウカーズ同様に、年祭がありそこでは詩の大会の特別の場が設けられ、詩人が自作を朗詠して競う伝統があった。フブズルッジーは毎年当地で行われる詩祭に出かけては、多年にわたって詩人たちと交流し、独学と耳学問の蓄積と記憶の所産を獲た。そして自分流の修練で詩作を重ね、彼自身遂にはその詩祭で自作を詠って吟じ、名声を得るに至った。
以下は彼のよく知られた詩行の一節である:
別離の雲 愛の月から四散せり
taqashsha”a ghaymu l-hajri
仲直りの光明 非難の暗闇から昇り来たり
wa-ashraqa nuuru s-sulhi min zulmati l-“atabi
(タウィール律格、b脚韻 –bi)
離ればなれに別れなければならない事態(別離の雲)であった。が、その事態を愛情の明るい絆(愛の月)が救った。避けられないこの事態から明るい仲直り(仲直りの光明)に至ったのは、闇雲のお互いの中傷して(非難の暗闇)いた間に、いつの間にか相手を思う言葉のやり取りなどから生まれたもの。
このフブズルッジーの詩行を有名にしたのは、「現実には手で触れることが出来ない物事を謳ったもの」としてである。「雲・月・光明・暗闇」、いずれも「ものとして手で触れること」の出来ないものである。恋人の間の恋愛の機微を巧みに比喩化したものである。
ここでは「雲」はガイムghaymが用いられている。
アラブ世界では「雲」の代表語としてはガイムghaymとサハーブsahaabがある。
ガイムghaymは語本来の意味で「雲」である。語根動詞 ghaama<ghayamaや他の派生形、Ⅱ,Ⅳ,Ⅴ型も基本的にはガイムghaym「雲」を元としており、「(空が)曇っている」を基本義としている。ガイムghaymの複数形はグユームghuyuumとされる。
ガンマーウ Ghammaa' との用語がある。「雲」ghaym、ghamaamah から派生しており、「雲の多い、雲行き」が原義であり〈月が〉「雲で覆われている、先が見えない、雲行きが怪しい」→「黒さ、暗さ、闇が雲のごとく覆っており、月が杳として知れない、存在が確認できない」として月の出ない「三十夜月」の固有名としての用語になった。
雲をガンマーウとして用いた言い回しに次のような例がある:
(同情したように)長老は言った、「雲(ghamaam)から雨降らし給うお方にかけて、その蕾
(‘akmaam)から果実を実らせ給うお方に誓って、まこと世の中(zamaan)は腐っておる、
とげとげしさ(“udwaan)が蔓延しておる、思い遣り(mi”waan)などどこへやら!
既に述べたコーランの章句を踏まえて、本来あらばそうあるべきなのに、そうなっていない現実世界を悔やんだものである。