アラブのハイタカ(鷂Accipiter nisus、亜バーシャクBaashaq)
アラブの鷹・鷹狩
前回の星ごよみのブログで、「マハッリー暦(1733-34)8月20日 バーシャク鷹(al-Baashaq)飛来する。*{バーシャク鷹はハイタカの一種で、アラブは鷹狩で小型の鳥を捕らえるのに用いる。次回このテーマについて扱う}」と述べておいた。ここでは鷹狩りと関連付けてアラブのハイタカ鷂バーシャクBaashaqのことを述べておく。
上の図4枚は鷂、アラブの言うバーシャクBaashaqである。上左は鷂の、上は飛翔している雄であり、下はこの枝に止まっている牝である。右に少し顔が見えるのが大鷹であり、その大きさが比較できよう。上右図は枝に止まって鳴く雄。
下の図はオオタカの飛翔が描かれている。全体丸い体形であり、スピードと小回りの効く特徴は、揚げ鷹猟法より、小鳥を追う樹木間を縫うように自在に進むのに適している。
ハイタカ(鷂、Accipiter nisus)は、アラビア語ではバーシャクBaashaq という。タカ目タカ科ハイタカ属に分類される猛禽類。鷂鷹または鷂と書き、「ハシタカ」または「ハイタカ」と読む。英語ではSparrow Hawk(雀鷹)といわれる。ユーラシア大陸の温帯から亜寒帯にかけての広い地域に分布している。 日本では、多くは本州以北に留鳥として分布しているが、一部は冬期に暖地に移動する。
ポピュラーな大鷹(雄約50㎝、牝約60㎝)と比しては、小形の鷹で、鳩ぐらいの大きさである。全長は他のタカ類と同じく雌の方が大きい。オス約32cmに対してメス約39cmである。
背は濃い灰色か黒 、腹に赤白または黄黒の斑点があり、雌雄で大きさや羽色を異にし 、メスは背面が灰褐色で、腹面の横じまが細かい。 かつてはわが国では雌だけをハイタカといった。オスは背面が灰色で、頭の下半分から首や胸元まで明るい褐色をしており、腹面には栗褐色の横じまがある(下図を参照)。かつては雄をコノリということもあった。
樹上に木の枝を束ねたお椀状の巣を作る。卵は4月半ばから5月半ば、2~3日おきに産卵、4-5個を産む。一か月余りで孵化する。孵化後、大体一カ月後には巣立ちする。
西アジアから北アフリカにかけては、大きく二種のハイタカが生息する。一つはアラビア語ではバーシャク(baashaq 複数形は bawaashiq )と呼ばれる Accipiter nisus で、わが国のものと同種ではあるが、より短く丸い翼と長い尾をしている。これら二つの体形的特徴が瞬時に方向転換を行なわしめているし、狭い場所や樹間を自由に飛び回らしめている。小鳥を樹間や障害物の間に追うに適した体形をしている。わが国のものより色が濃い目で体形もやや小振りである。
もう一種はバーシャクよりはやや希少種になり、やや大きく脚と趾および嘴がしっかりとし、雄は頭頂部から青灰色がかって、胸の細かい赤みがかった横斑が綺麗なハイタカであって、バイダク(baydaq複数形は bayaadiq )と呼ばれる Accipiter badius、または Accipiter brevipes、英名 Levant Sparrow Hawkである。後者はインド以西に分布し、より知られた名はヒンズー語かペルシャ語から採られたシクラー Shikra であり、わが国では「タカサゴタカ」と命名されているものである。
これらのハイタカ類は中東では古くから鷹狩の用いられていた。セーカー(Saqr )やペルグリン(Shaahiin )、オオタカ(Baazii )などは鷹狩の主体であって、狩猟対象は中型の鴨やキジ科の重禽類さらにノガンなどであったが、もっと大物獲りは雁や鶴、鸛(こう)などであって、修練や調教に時間を要した。それなりの醍醐味があった。
しかし小形の鷂の方は、小鳥はもちろん捕食するが、大型昆虫や爬虫類も狙う獲物であり、地上には繁く降りる雑食性であった。鷹狩には、鷂の方は小鳥が中心でヒバリやウズラそれにツグミ類や小重禽類を獲るように調教された。これらの鷹術はイスラムの時代になって、さらに広まりと深まりを見せていった。支配者、有名人、富裕者などは、鷹匠を抱えては、いかにして、その鷹術のと深まりを探って行くか、が焦点となった。
ところがイスラム成立(七世紀初め)のその初期から、血はハラーム(不可食)とされ、屠殺する場合、血は抜かねばならなかった。大きな問題となったのは、鷹や犬、弓槍など間接狩猟で獲物をしとめた場合である。獲物が即死かそれに近く、死体の獲物を逆さにしても、血は凝固しており、血を十分には抜くことは出来なかったからである。
預言者の時代にも少なからず狩人、鷹匠がおり、ハラーム(不可食)に抵触する問題を、預言者の許に来て、質問した。その結果、血抜きをせずにハラール(可食)とされるものとして、論争の中、魚類と並んで例外的に狩猟の獲物も加えられることになった。その際、息があるうちは急いで血抜きをする。視界内で死んだ場合は血抜きをせずともハラール(可食)とする。獲物に致命傷を与えて見失った場合、その後短期間に獲物の死体を見つけて、それが確かに自分の当てたものならばハラール(可食)、その証拠がない場合ハラーム(不可食)となった。
こうして狩猟の獲物は、屠体で血抜きせずハラール(可食)となった肉として、魚と共に、その代表例となって、今日に至っている。
この分野の論及については、詳しくは拙稿「 狩猟の獲物とイスラムの食規定①・② 」VESTA誌 第一九・二〇号、一九九四年五月、九月を参照されたい。
そしてその狩猟動物として『コーラン』注釈書や法学書の中でこの鷂バーシャクも並み居る鷹類の中に名を連ねているのである。
鷂の捕食の対象は繰り返すが、小鳥だけでなく昆虫類や爬虫類も含まれていた。しかし狩猟用としては、人間にとっては動物食で、鳥肉として美味なウズラやヒバリさらには雀などの小鳥を狩らせる調教をする。鷂は英名がSparrow Hawkといわれる如く、雀を主として捕食する。鷹狩では、それらを一日では数十匹を捕らせる。時に百羽超えの記録に挑戦する鷹匠もいたが、鷹類にとっては過重な負担である。
下の図資料は、我が国の鷂猟、平安時代の頃の猟の獲物の献上の風習。鷂猟では雀、ヒバリ、ウズラやツグミなどが対象などで、他人に差し上げるときは竹や木の枝、小者ならば薄や菊の枝などに挟み結んで、生きている様や留まっている様にして何羽か態よく吊るす。これを鳥柴(としば)といって、それを献上したものである。図1~2は猟から帰ってきた鷹匠たちが身分の上のものに献上するところ。図3~7までは鳥柴の実際。拙稿「鷹の鳥—鷹匠と食文化」『VESTA』第33号 1999年冬号2月より
鷂猟によって収穫された小鳥であるが、わが国では、だれかに献上する際には、木の枝や竹笹の枝に吊り下げて飛んでいるように見せかけて、献上する「鳥柴」(としば)の優雅な慣行が古くには存在した。アラブでは羊肉よりはるかに美味で、その時期のみにしか味わえないウズラやヒバリ、さらに雀の丸焼きや灰焼き、シーシュ・カバーブ(串焼き)が、わが国のツグミの如く、王宮のみか、一般市民の食卓をも飾ったことであろう、その美味となる時期に応じて。
鷂は渡りをし、アラビア半島の両岸ペルシャ湾と紅海を南北に岸に沿って移動する。ぺルシャ湾の方が量的に多く、従って鷂での鷹狩りも盛んなのだが、先の本ブログでも見られたように、紅海岸でのイエメンでも記載される通り、それほどでなくとも鷂狩りがおこなわれていた。現在のペルシャ湾岸の国では、ペレグリンおよびセーカー種のハヤブサを主として鷹狩りに用いている。鷂での鷹狩りは、イエメンのラスール朝時代、王宮の年中行事としても盛大に行われていた。イエメンでの鷂の滞留は10月初旬から3月末までであった。渡りの初期、大体9月初旬の鷂を罠で捕獲して、一か月足らずで調教を終えてしまう。1月ごろが最も鷂の鷹狩りがさかんであった。
図左は鷂が岩上に止まって遠くを見ている。チュニジア航空の主催で、2011年Jawaan月22~24日の行われた鷹狩り年次大会ポスター。この年で31回目を迎えている。チュニジアでのアラブの春革命以降続いているか、案じられている。右絵は、チュニジアの鷹匠の伝統衣装で、バルバリーファルコンを手にして参加した鷹匠。
ハイタカを用いての狩猟伝統は今では北アフリカのチュニジアで保たれている(上図参照)。特に盛んなのは地中海に突き出たボン岬の周辺で、タカの飛翔振り、獲物の捕り方、掛かった時間などが酌量されて判定を行なう。最近ではハイタカが減少したため、現地ではブルニー
burnii と呼ばれているハヤブサ類(特定のハヤブサを指さず、セーカーやペルグリン、バルバリーなどの包括語)の参加、さらに外国の鷹匠の参加も演目の中に加えられ、湾岸諸国からの参加も増えているとのことであった。が革命以降は・・・。
猛禽類の食利用は、わが国では沖縄のサシバの食利用が知られていた。アラブ・イスラム世界では、イスラム法に則り、猛禽類の食利用はハラーム(不可食)が原則である。が、ハワーッス(薬膳、特効)あるものとして、例外的にハラール(可食)として食べられてもいた。
アラブ世界では、タカ類の4体液(muzaaj)に関しても調べられており、鷂バーシャクbaashaqはその体質が「暑(haarr)」にして「乾(yaabis)」であり、火の性質を帯びていた。従って夏よりも冬に食用とされると、薬膳として滋味がより強く発揮されることになる。
コチョーゲンボーのことをアラブ世界ではユウユウyu’yu又はジャラムjalamと言っている。ユウユウはもっと小型で形態が鷂バーシャクと似ている。が、こと体液にかんしては鷂と全く正反対で冷(baarid)にして湿(ratb)、水の性質を持っている。鷂より忍耐強く、動きが重い。鷂が水を要求するほどには、水への渇れが強くない。水は必要最小限の済ますことが出来る。それ故鷂バーシャクより、それだけ口臭が激しく異臭を放つことになる。
一方サクル(セーカーハヤブサ)の方であるが、鷂と比べると、おなじ暑(haarr)にして乾(yaabis)でありが、大型でよりその体質が強く、それだけより勇敢であり、勇猛性(ashja”)は一層激しい、ということになる。(Dam。Ⅱp.11)
我が国の鷂は、春過ぎにネリヒバリ(換毛期のひばり)を狩り、それ以降はウズラを狩る。大物取りは鷺を狙わせるため、上のように、他の小鳥は狙わせない、そんな鷂狩りの伝統があった。我が国の鷂の調教の一部を伝えておこう:
1 鷂 の餌 の 与 え 方 の 事
鷂 は 勢 い も な い 小 型 鷹 で あ る の で 、 大鷹 な ど の 様 に 油 分 を 洗 い 落 と し た餌 で 筋 肉を 膨 ら せ よ う と し て も 、 な か な か 肉 付 き をよ く す る こ と は 出 来 な い 。 鳥 を そ の ま ま 食べ さ せ る こ と で 筋 肉 の 調 整 を す る べ き で ある 。 大 鷹 に は餌 の 与 え 方 に い ろ い ろ な 方 法が あ る が 、 鷂 の餌 の や り 方 に は変 わ り は ない 。 鷹匠 が 潮 時 を よ く 見 合 わ せ て餌 量 の 調節 を す る こ と が 大 事 で あ る 。 鷂 は 皆 、 鷹匠の 対 応 の 仕 方 で 大 物 捉 り に な る の で あ る 。
筆者が責任編纂した『鷹の書』24頁「鷂 の餌 の 与 え 方 の 事」より。
2 鷂 を 挙 げ る 時 の 目 の 付 け 方 の 事。
鷹 に よ っ て 目 の 付 け 所 が 違 う で あ ろう 。 た と え ば 、 此 の 鷹 は 五 間 先 か ら 出 た 鳥を 捉 え る だ ろ う と 思 う 鷹 な ど は 、 獲 物 を 追い 出 す 勢 子 役 の 犬 の 鼻 頭 よ り 五 間 先 に 目 を付 け る だ ろう 。 そ の 内 か ら 立 っ た 鳥 な ら ば 、 此 目 付 に て そ こ な ひ有 へ か らず。 惣 じて 、 鷹 を 仕 ふ に 我 心 は挙 さ き 目 ハ 鷹 に 付 け へ し 。 雲 雀 も同 前 。
同書25~26頁「鷂 を 挙 げ る 時 の 目 の 付 け 方 の 事」より。