「乗用」とは背に乗るか、足に乗るか

 

乗用ラクダmatiyyahのなかでも、愛用ラクダdhuluulならば、愛着もあり癖も知り尽くしている。人駝一体となってスムーズな乗り心地を約束させてくれる。幾ら高額を提示されても売りはしないだろう。また盗難や迷いラクダ(daluul)となって行方不明となってしまったら、絶望感に打ちひしがれることになろう。ここで紹介するのは、愛用ラクダが迷い出てしまって、それを求めて旅をする話である。いくつかのどんでん返しがあり、傑作に出来上がっている。「乗用」とは背に乗るか、足に乗るか、これがテーマでもある。原文はもっと長いのであるが。中途の分かりやすい部分から話を始める:


 

図は長老と若者が同道して親しく語りながら旅を進める。若者の乗る痩せラクダに対して、長老の方のラクダは頭を上げ、左脚も高く上げ元気いっぱいのようす。

                  Maqamat al-Hariri,the Bibliotheque Nationale in Parisより。

 

ところが私の乗るラクダが疲労の余り呻(うめ)き声を上げていた。それに比べ長老の乗用ラクダは若い駝鳥の歩みのように軽快であった。その体格の頑丈さと忍耐力の持続には驚かされた。その宝石(=特長)に改めて注目せざるを得ず、長老に何処でこのラクダを入手したのか尋ねた。

長老が言うには、「いや全く、このラクダに関しては聞くには甘く、語るには心地良い話があるのだよ。あんたが聞きたいのなら、ラクダを跪かせることだ。もっともあんたがその気になれば、聞くのが嫌でなければ、のことだが」。長老のこの言葉に即応して私は我が痩せラクダを跪かせた。それから長老の語りに耳を澄ませることにした。

長老は語り始めた、「まあ聞いてくれ、これが売りに出されているのを目にしたのは(イエメンの)ハドラマウト(ジンの血が入ると言われるマフリー種の名産地)でのことだった。一目見てこれを入手するのに死を賭(と)しても良いと思ったぐらいであった。

実際どのくらい乗り回し国々を経(へ)巡ったことか!これの蹄の踏み込みには火打石ほどにも堅く鋭いものがある。そして気づかされたものさ、これを頼りにしたらどんな旅だろうと完遂(こな)してしまうだろうし、どんな危険な折にも難を避け救出してくれるだろうと。全くこれときたら疲労(つかれ)と言うものに縁が無いかのよう、どんな屈強なラクダだろうとこれのペースには付いて行けまいて。これの強健振りなど誰が知ろう!結果が吉と出ようが凶と出ようが委細構わずこれに頼り切って来たものさ。利害も悲喜も共にこれと分かってきたものさ。


ところが或る時ちょっとした隙に、これが迷い出て行方不明になってしまった。これの他に勿論乗用ラクダなど持っているわけが無い。私は悲嘆に暮れた。身の破滅をひしと感じた。それまで経験したどんな苦難も忘れ果てた。三日間と言うもの、旅を続けようという意欲も湧かず、ろくに睡眠も取れない状態であった。

その後ようやく予定していた旅程を辿ることにした。その道々にも牧地や宿営地があれば探し回ったものである。しかしこれのことは風の便りにも聞くことは無かった。希望を断念すれば気も休まろうが,絶望はしなかった。これの軽快な歩調と、鳥と競うほどの快速な走りとを思い出すたびに、これへの思いに胸が痛み、その追憶に心が狂おしくなるのだった。

 

図は上と同じ図柄であるが、ここでも老人のタクダの元気さは口を開き、後ろの足を高く挙げているあたりに見られる。周りを小山と見立てて、ヤギなどが頂近くに草をはむ。

                              元南イエメンのマフラ州の郵便切手。

 

そんな或る日、ある部族のキャンプ地に留まっている時だった。遠くから人声が、しっかりとした呼び声が聞こえてきた、「だれぞ乗り物に迷っている方はありませんか。ハドラマウト産で、乗り心地良し。その皮にはワスム(刻印)があります。その擦り傷は手当てされております。手綱はきつく縒(よ)られており、背中は壊れて(=低くなって)いますがすぐに高くなっていきま

す。乗る人を誇らしくするもの。夜旅の助けとなるもの。遠い道程(みちのり)もこなしますよ。決して人のそばを離れません。疲れを見せることはありませんし、蹄の怪我も見たところありません。乗るに杖は要りません。手荒く扱っても逆らうことはありません」。


老師アブーザイドはこの話を続けた;その呼び声がわしを声の主のほうに惹(ひ)き付けた。失ったものを取り戻すわしにとってこれ程吉報は無い。わしはその声主の方へ飛び出して行き、彼に挨拶を交わした後、彼に言った、「その乗り物を渡してくれ、お礼は出すから」と。すると彼は、「何があなたの乗りものなのです?何か混同してはいませんか?」と言うではないか。それでわしは、「わしのは雌で、体格は小山ほどもあり、その瘤はドームのようで、乳は容器を一杯にする程だ。わしは二十金貨でそれを入手したのだ、ヤブリーン(ハドラマウトの町)に居った時にな。売り手はもっと要求したが、わしは売値を間違え(て安くつい)たのを承知で(購入したものだ)」と捲(まく)し立てた。

 

老師はこの話をさらに続けた;この男はわしの述べ立てるのを聞き終わると、わしに背中を向けると言い放った、「あなたは私の拾い物の持ち主ではありませんよ!」。そこでわしはこの男の襟を掴んで、嘘つき呼ばわりを責め立てた。その意気込みはこの男のガラービーヤ(上着)を引き裂くほどであった。この男が言うに、「なんという人だ、私の乗り物はあなたの求めているものと違いますのに。そんな手荒なことは止めて下さい。そんな狼藉は働かないで下さい。なんでしたらこの部族の裁きの場に私を連れ出したら如何です、あなたの誤りに気付くためにも?裁きであなたのものと決まれば、受け取ってください。でも否定の裁きが出たなら、もう訳の分らないことは言わんといて下さい」。

わしの方もこの件に関しては治療法(=解決法)があるわけではなくこの苛立ちの捌け口があるわけではない。その裁きの場へとやらに出るほかは無かった、例え(敗訴して)ムチ打ちを食らうことになったとしても。


そこで我々は裁きを行なう長老の所へ急いだ。この長老は背筋を伸ばし小奇麗なターバンを巻いて、その雰囲気は(空飛ぶ)鳥を留まらせるほどに柔和であって、判断に贔屓(かたより)があるようには思えなかった。

わしは喋り捲(まく)った、相手の不当な扱いとわしの今までの苦悩とを。わしの被告人はそれに対して口を閉ざし、一言も発しなかった。こうしてわしは箙(えびら)からすべての矢を射つくし、この件に関する申し立てを言い終わった。

被告はそれを待っていたかのように、徐(おもむろ)にサンダルを差し出したのだ、重たそうな作りで荒れた道にも適したサンダルを。そして口を開いて、「私が声を張り上げていたのは、述べ立てていたのは、これのことなんです。これが20ディナール(=金貨)支払った対象だというのですよ!これがですよ、良く目を開いて御覧なさい!この人の言い張ったことは真っ赤な嘘です!でっち上げのほら吹きです!アッラーに誓ってこの人の首筋を伸ばして貰う(むち打ちの刑を科す)他はありますまい。そうでなければ自分の嘘っぱちの代償が明らかにはならないでしょう!」。

裁き人は声を上げた、「おおアッラーよ、赦(ゆる)しを与えられんことを!」。こう言うと件のサンダルを手に取り、表を見、裏をひっくり返して見た。それから言い渡した、「このサンダルについてであるが、これはわしの物である。原告の乗り物についてであるが、それは我が宿場におるぞ!さあ立ち上がってそなたの雌ラクダを受け取るが良い!そして己の能力の範囲内で善行をなすように!」。そこで私は立ち上がって、感謝して詠じた;

 

崇拝(あが)めらるべき太古からの館(やかた=カアバ) に誓って

聖域(ハラム)において懸命に参拝(タワーフ)する巡礼者達にかけて

まこと汝は裁き求めらるに相応しき方かな

アラブの中のアラブ の中において最良なる裁き人かな

汝に平安を!駝鳥ほどにラクダほどに長命たらんことを !

 

するとこの裁き人は躊躇無く間髪を入れずに詩で応答してきた;

 

汝が感謝にアッラーが良き報酬与えんことを叔父の息子よ

礼されるほどのこと我せしに非ず

人として最悪は裁きに乞われ誤審(あや)まれること

牧者として招かれるに神聖さ守護(まも)れぬ者

これら二者 その価値例えれば犬に等しき者!

 

こう吟じてから裁き人は、合図を送ってわしの面前に、このラクダをわしのために引き渡す使いの者を呼び寄せた。わしにはお咎め無しであった。こんな形で望んだものが願ったり叶ったりしたものだから、それはそれは嬉しかった。歓喜の衣の裾を引き摺って歩いた程だった。そして叫んだものさ、「何と素晴しいことだろう!」と。

アル・ハールス・イブン・ハンマームは語りを続けた:私は老師に言った、「アッラーに誓って、全く新奇な話でしたね!あなたのその知見は賞賛ものですよ!そこで是非あなたに伺いたい事があります,話術であなたほどに魅力ある人物に、言葉巧みの操り上手の方にお会いしたことがありますか?」。師曰く、「いやまこと、あるとも!そのことについて聞かせてあげよう、楽しむが良い!… (拙訳、ハリーリー作『マカーマート』 第43話 バクル族のマカーマ 若駱駝、若き性、若き学問;bakr(若さ)三題話 より)