メッカ巡礼着 イフラーム(ihraam)

                          メッカ巡礼(4) 
メッカ巡礼に関して、前回はミーカートMiyqaat「聖域の境界、結界」のこと、ミーカートにはモスクと大規模な沐浴場があること、そこでグスル(斎戒沐浴)をした後、イフラーム(ihraam)と呼ばれる上下二枚の巡礼着に着かえることを述べた。

 

        写真はカアバ正殿の前に立つイフラーム姿の巡礼者 インテ―ネットより
グスルは全身を洗い清める沐浴である。しかし、たとえグスル沐浴をして身を清めたとしても、犯した罪を洗い流すことなど出来はせぬ、たとえバケツ一杯の水を何杯使って沐浴しようとも、と。これで身が清まるわけではないと、巡礼に意を向け専心する敬虔な者は手厳しい。

 

イフラーム(巡礼着)を着用しているのに、聖域で平服を着用してしまったら如何いうことになるのか!と迂闊な者への一喝も行う。
更には「イフラーム(巡礼着)着用に際して己の着ている物を脱ぐ前に、己に着せている物(=浮世への執着物、猥雑物)を先ず脱ぐべきでしょう!」と言う警句もまたあるくらいである。

タアリッヤta”riyatu「神の前に、体を露わにし晒して、沐浴をして、不浄を払ったとしても、なお罪多き人間であることを自覚して、それから巡礼着に着替える」、こうする間にも神の慈悲、大赦を念じながら行うべしとする。

 

イフラーム(巡礼着)は、男子は白い上下二枚の縫い目のないタオル状の綿布であり、女子は加えて頭を覆う布を被る。縦1メートルほど、横1.8メートルほどが標準とされている。もちろんサイズは大小あるし、和服同様長めのものを選び、腰に巻き付け、余りは体との間に差し込んで端折(はしょ)り調節する。
先ず下一枚のタオル状の布着れ、こちらはイザールと言う。臍より上あたりから巻く。イザール(izaar)とは「下半身を覆うもの、腰巻」の意である。「上着」となるリダーウ(ridaa')は左肩から下げて上半身を覆う。但し右肩は出したままにする。左肩から背中の方に垂らし、右に回して再び左肩の上に戻して結ぶ。


そしてこの巡礼着の「右肩を出す着用法」、こんな用語が存在するのは驚きである。イドゥティバーウ ‘idtibaa”と言う。平易化してイッティバーウ’ittibaa”とも言う。わが国のお坊さんが袈裟を着るあの「袈裟懸け」に当たろう。

「衣服着用において左肩を覆い、右肩を露出すること」。イドゥティバーウ「右肩を出す着用法」との用語は、語根動詞daba”aが「上腕を伸ばす」との義から分かるように、ダブウdab”「肩から上腕部」を語源とした派生語である。同じ「上腕部」にアドゥド”addとの、より汎用語があるが、同義語ダブウdab”の方は「肩から上腕部」の差異化した意味を担う。

 

それで、この「上腕部を露出すること」とは、元来は何か作業する時のいでたちであったというから、神の意に即応する形を具現していることになる。ここに巡礼歌タルビッヤののラッバイカ「お前に!」の言葉の意味を思い出していただきたい。イドゥティバーウがラッバイカとここで深く結び付き、相関しているわけである。「お前に居ります。何なりと御用を申し付けくださいませ」としての、身体表現、身体表示、これがイドゥティバーウ「右肩を出す着用法」なのである。
幸いわが国にも「片肌を脱ぐ」、「もろ肌を脱ぐ」との用語がある。ニュアンスが異なるが、これに当てはまろう。


なお女性が片方だけを開けて飾りをつけ、肩の片方を出して衣服を着ることをウィジュフwijhといってといっているが、女性の着方の一種とされるのが普通である。が、イフラームの巡礼着の着方にも当て嵌められる場合もある。
イスラムの巡礼着のイドゥティバーウ「右肩を出す着用法」はわが国のお坊さんが外装の袈裟を着るあの「袈裟懸け」に当たろう。「袈裟懸け」もやはり右の肩を出して、所作や必要時の即応、民衆の救済に対応できるように、との配慮からの着用法なのであろう。