私たちは生成化育の存在だった❇ | 音楽は人生なのだ♡〜みゆきち〜

音楽は人生なのだ♡〜みゆきち〜

私は音楽家。ピアノを弾き、歌を歌い、曲を作る。全ての経験が音楽に生かされ、表現できる。自分自身を堂々と音楽を奏でるように表現したい。

『おかえり私、プログラム』 

 (経過報告22日目)





生成化育のエネルギーを感じながら目覚めた。


何だか嘘っぽいけどそう感じたのだから仕方ない。


そして旦那さんの


「おーい 起きろ!」


という声がものすごく胸に不快感としてざわつく。(ブワッという感じ)


朝方、ある方のインスタライブをぼーっと聴いていたら


「あーーー!なるほどっっっ!」


とすごく納得してしまった。


何かというと、私の解釈も入りますが、


人は皆お父さん、お母さんなど身近な人を幸せにしたいという気持ちを自然に持って産まれてくる。


それこそ例えばお母さんが困っていたら助けてあげたいし


喜んでもらいたいし


それが行き過ぎると


自分を抑えてでもその人のために行動したり我慢したり無理したりしてしまう。


挙げ句の果てに


それで喜んでもらえなかったり


逆に怒らせたり困らせたりすると


自己否定罪悪感を感じてしまうのだ。


なんてことだ!


私達は愛するために産まれてきたのに


愛したくて産まれてきたのに


愛を見失い


愛にさまよってしまってるだけだったんだ…


私自身が愛の存在であり


源の生成化育の存在だった。


もともとは万物を育てるエネルギーと同調した存在だったのに


人間として様々な経験をするうちに


この世界の常識やモデルを目指すことで


そうならない、できない自分に


落胆し


自分責めをする。


それは誰もが経験することではないだろうか?


誰かが作ったモデルを


誰もが目指すなんて


とても滑稽だ。




私たちは


それぞれがやりたいことで


周りの人が喜んでくれることが


無償の幸せだと


本当は知っている。


自分がしたことで


誰かの笑顔が見られることは


この上なく嬉しいことは


本当はみんな分かっているのだ。


誰かのために


自分をせき止めてしまった


心のダムを


今、溶かしていきたい。


それができるのは


自分だけなのだ。


誰かに向けていた愛を


徹底的に自分に向ける。


それが


今、自分にとって


一番大事なことと気付いたのです。


目の前に自分に厳しい人が現れたら


それは自分自身への厳しさに気付き


それを受け入れ、許すためだろう。


目の前にお金の不足の現実が現れたら


それは自分自身が受け取るに値しないと


判断してせき止めていることに気付き


それを受け入れ、許すためだろう。


私は私なりにベストを尽くした。


私の周りの人もそうだろう。


それを


ダメだ、ダメだ


なんて言えるのだろうか。


・ 



朝起きた時に、


旦那さんから言われた言葉に


私がざわついたのは


自分が


旦那さんの言動を勝手に私を責める言葉として


意味付けしていたからだ。


みんなそれぞれの思い込みやマイルールがある。


そこからずれると誰だって、心がざわつく。




でも


みんな本当は愛したいのだ。


誰でも愛したいのだ。


愛することにくじけると


拗ねたり、


臆病になったりする。


まずは自分の拗ねを認めて


『愛したかったんだね』


と温め直していきたい。


心のダムが決壊し


愛が溢れ出すと


無限大の循環が始まる。


それが楽しみで仕方ない。