義母の葬儀のあいだも
その後も
親戚や、義母のお友達から
義母がMちゃんのことを話していてね、と
たくさん聞きました
おなじ家に住んでいても
会話もしない時期もあったり
家が別な義弟嫁とは違い
おなじ家に住んでいるから
しっかり顔見て話すことも
そんなにはなかったし
若い頃にいろいろと嫌な思いを
してきてるので用心するように
なっていたし期待もしていなかった
11年目で二世帯にしてからは
義弟のお世話からも解放されて
義母が入院したときは夕飯の用意を
していたくらいで
だいたいは義母から
これお義父さんお世話になったからと
諭吉さまお一人いただけてたりも
しました
息子や娘になにかあれば相談も
してたし
おしゃれだったからファッションの
相談もすることはあったし
息子や娘にとっては大好きな
あーちゃんだったので
仲良くしてもいました
義両親に不満があっても子どもたちには
愚痴りませんでした
祖父母と孫の関係は絶対に壊しては
いけないと思っていたからです
火葬場から帰ってきて食事をしていた
ときに、オットの従姉妹
本家の娘さんが
おばちゃんが
Mちゃんには同居で不自由な思いを
させてしまって申し訳ないって
言ってたよ
だからMちゃんが好きで活動してる
習い事は続けさせてやりたくてね
応援してるの、とも言ってたときいて
びっくりしました
オットや義父からは家業のほうの
事務をしてほしいから
いつになったら自分の仕事をやめて
うちに入るんだ?と聞かれたことは
何度かありましたが
そういえば義母からは
そういったことを言われなかったなと
このときに気づいたし
わたしの娘、義母にとっては孫娘も
おなじ習い事をしていたけど
発表会や大会など、地元であれば
見に来てもくれていました
とくに高校の発表会が好きで
呼吸苦しくても必ず見に来てくれて
いたなあとおもいます
義母のお友達からも
こんなことを話してたよ、と
教えてももらえて
全然、義母孝行ではなかったのに
わたしのこと話してたんだと
思いました
さすがに悪口は伝えてこないだろうけど
おそらく悪口は言ってないだろうなと
おもいます
過去の失敗でお互い学んだましたから
突然なかたちで亡くなった義母
人口呼吸器をつける手術にむかうときに
覚悟はできていたのか
どんな気持ちでいたんだろうと
思っていましたが
義母の友達から
肺がわるいからおそらくとても
苦しく最期をむかえるとおもうと
覚悟していたけど
眠ったままいけたのだからお義母さんに
したら本望だったとおもうわよ
と、言われてちょっと心なぐさめられたりも
しました
義母が亡くなって
まわりから聞いたいろいろな
エピソードで
長男の嫁として肩肘はってたのは
わたしで
義両親にとっては、もう娘のような
存在になっていたのかも、と思いました
出来が悪いとしても
受け入れてもらえてたんだなと
勝手にそう受け止めています
義弟嫁が現れて
義母に、この家を出て行きたいと
話したとき
笑って、どこ行くっていうのよ〜
ここがあなたの家でしょ
堂々とここにいたらいいのよ、と
言う言葉がきけて本当によかったと
思っています
その言葉のおかげでわたしは
ここに住んでいて
義母からの預かりものとおもって
義父のお世話をしています
義父は宇宙人ではありますが
心根の優しいひとで
まわりのひとに、Mちゃんが面倒を
みてくれて助かっていると話してるそうで
わたしの耳にそう話していたと入ってきます
聞くとやはりうれしい気持ちになります
ほめてもらえてるけど
鬼嫁なんですけどね