義弟嫁のことで別居したいと義母と
話し合いしたあと、しばらくは
義母も義弟嫁も
わりとおとなしくしててくれて
義弟のうちの息子くんも
一歳になってから義弟嫁は
仕事に復帰したのでくることは
ぐっと減っていました
こどもの日🎏とか
誕生日とか、敬老の日とか
イベントごとのときは顔見せにきてたけど
義両親には孫はかわいいだろうし
そこはとくになんにも思うこともない![]()
義弟夫婦の子どもが3歳の七五三を
したあと、なのでこの2年後に
義母はなくなります
膠原病という難病になり
入退院を繰り返し
楽なときより苦しいときのほうが
多くなっていってた義母
でも、泣き言は言わなかった
膠原病より
更年期のときのほうが
八つ当たりみたいなのあったけど
その後の膠原病のほうがつらかったと
思うのですが言わなかった
いなくなってから申し訳ないなと
思うことはたくさんあるんだけど
1番の後悔があって
なくなる少し前に一時退院したとき
珍しくわたしに迎えを頼んだ義母
いつもは義父に頼むけど
義父が忙しかったのかな、と
病院に迎えにいったことがありました
うちから義母が入院していた病院は
車で行くと近いので連絡あって
すぐに迎えに行ったんだけど
帰り道、義母が
どこかでランチしない?って
聞いてきたんです
その頃、仲は悪くはなかったんだけど
2人でランチするのもなんだか
気まずい感じなのもあるし
その頃、ものすごく忙しいときで
自分の仕事も、義母入院してたから
家の商売の事務作業して、みんなのご飯の
買い出しや料理も用意してた頃で
娘の部活の送迎とお弁当とかで
もうへとへとのクタクタ
夕方の仕事いくまえに
一旦昼寝もしたいし、と
食べるよりは寝るほうを選んだのもある
オットや子どもたちがいたら
行ってたかもしれないけど
2人は気まずいというか
いまさら気恥ずかしいというか…
いや、ちょっとこのあとも忙しいから
行けない、ごめんね、と
もごもごというわたしに
何回か誘ってきて
義母にしては珍しいな、こんなに
言うなんて、と思ったけど
それでも、じゃあ行こうか、って
気持ちにはならなかったわたし
いま思うと、行ってやればよかったのに
って、それを何回も何回も思い出してる
でも、そのあとすぐに亡くなると
思ってなかったから…
本人はわかってたのか、と
義母の友人に、なくなったあとに
話したときにおもいきって聞いてみた
ことがあるんですが
本人もわかっていなかったそう
わたしには薬が合ってるから
80まで生きるよ!とりあえず80まで
がんばる、って言ってたから
安心してた
それより10年も早いと思ってなかった
体調が悪くなっているなか
兄弟たちとの温泉旅行や
同窓会に行くつもりだった義母に
腹たってたんだよね
また無理ばっかりしてって
体調落ち着いてからにすればいいのに
って思ってた
その頃は股関節もおかしくなってて
家の中でも歩くの不都合で杖ついてたり
それよりひどくなってた頃は
家の中に台車をいれてそれをおして
トイレの行き来をしてて
杖の音も、台車の音はなおさらだけど
夜中にわたしの寝室に響くので
したでトイレにいくたびに
わたしも目を覚ましてたから
たびたびいくから、こっちも寝不足で
尚更イラついてたときだったのもある
お義母さんのほうがつらいのにって
思える余裕もなくなってた