長男夫婦のわたしたちが家をでることで


義両親は好きなように

好きな人たちうちに呼べるようになるよ?


と言ったわたしに


あんたはここの家の子でしょ!

堂々としてたらいいのよ


と、いう義母


なんだか拍子抜けしてしまってた


怒るかな、とも思って話したのに


ここ、Mちゃんの家でしょ〜って

笑ってる義母


よく言えばおおらか

悪くいうと あまり細かい気遣いが

できる人ではない


でも、悪気はない人

嫁いびりみたいなのは

最初のほうこそ、あれ?って思うことも

あったけど、この頃はまったくなくて


わたしの方がどんどん強くなってた頃でも

ある、男は働いてるんだし出かける時の

行き先や帰宅時間をうるさく言うな、と

若い時に叱られたりもしたけど


そういう子育ての仕方をしたから

オットがそんなふうに育ち

それが原因で夫婦喧嘩になっているんだから


夫婦喧嘩は子どもたちにいい影響を

与えないというなら


そうしたのは義両親でしょ?

とだんだんと言えるようにもなっていき


わたしの息子と娘が出かけてると

必ずわたしに


どこに行ったの?

何時にかえるの?と聞いてくるように

なってた義母


知ってるけど…伝えていくように

子育てしてたから


知らないよ

言わずに出かけたから、と

言うようにしてたんだけど


体験することでいろいろ思うことが

あったのかなキョロキョロ


自分の息子たちは、放任してるところ

あったけど、孫となると違ったようだ


なにせ義両親は

孫たちを溺愛してくれていた


初めて生まれた男の子…破天荒な問題児でも

笑って受け止めてくれる義両親


さすが男の子3人育ててきただけある貫禄キョロキョロ


あなたの子育てが悪い、とか

あなたの育ちが悪いから、みたいな

言われ方などしたことない


男の子なんてこんなもんよぉ、って

笑って言われると、なんだか安心してきて

泣けてた、発達障害かも、と疑いながら

生きてきて、小児科医やカウンセリングなど

も受けてみたけど

健常とのことで


なんでこんなに大変なんだろう、と

いう答えが欲しかったんだけど


オットも義弟も、子どもの頃は活発で

大人になるにつれものすごいおとなしく

なってたので、遺伝らしい


わたしの方が見た目落ち着きなくて

はちゃはちゃしてるから

わたしのせいにされがちでしたが笑い泣き

…まあ、それも入ってるんだろうけど口笛


そして、そのあと一度流産をして


4年後に生まれたのが娘


嫁ぎ先には息子3人で

娘がいなかったので義両親に

とってははじめての女の子で


この子も溺愛されております


高校の激しめ部活の朝の送りは

義両親でした


自転車ででもバスででも行けるのに

楽できるところは要領よく

祖父母に甘える


まあ、わたしもお弁当つくったら

力尽きてるから甘える口笛



なぜ、この時に出なかったのか

もうひとつは、同居をはじめたときに

私たちの部屋と

そのあと11年目に増築した台所とリビング

の費用を支払いしていたのもあって


2階の私たちのスペースは

落ち着ける快適なスペースに

なってもいたのです


お風呂は共用だから不便さは

あるけど

2階にあがってしまえば快適に

過ごせてる


2階のスペースごと

引っ越しできるのなら

さっさと出て行ってたともおもいます


2回の増築合わせるとかなりの金額


ローンは支払いしたのに

私たちがでて空きスペースになるなら

ともかく、もしかして義弟次男夫婦や

義弟三男がはいる、となると

そこに住むことになるのは正直不満


とくに、わたしたち夫婦の寝室の部屋は

オットの友達の設計で、わたしが落ち着ける

ようにと設計してくれたもので

彼の魔法がかかっているのか

ものすごく住みやすく愛着があります


広めのお部屋になっていて

フローリングスペースと

4.5畳の和室スペースがあり

わたしはいまも1日の大半をこの

和室スペースで過ごしてます


完全同居の10年間は

私たち夫婦と子ども2人の4人が

このひと部屋で生活してました


せまっ😅💦


別居して新しいところにいけば

またそこに愛着がわくのかもしれないけど


この寝室を恋しいと思うんだろうと

思うんです


そこに義弟夫婦か、義弟三男が、と

思うと、すごい嫌だ


でも、そのときは、もうそれも仕方ないと

わりきるしかない

絶対どちらかは入ってくるだろう


とは思ってました


子ども部屋つかってもいいから

私たちが作って支払いした寝室と

リビング使わないならいいよ、って

言ってたかもしれないけど


子ども部屋にしてる部屋は

義両親が建てたときの部屋だしさ

そこは好きにしてくれていい



義母に、ここに堂々と住んでればいいと

言われたことで

気持ちが落ち着いたわたし


そして、このあと、数年後

義母が亡くなるのですが


このときに言ってくれた

この家はあなたの家

堂々としてて、の言葉が支えになります


あのとき、話し合いをしていて

よかったといまも思っています


そういえば義母とこのとき話してて


義母が

義弟嫁ちゃん、友達が多いって

言ってるけどさぁ


あの子、友達いないよね?

あの子の家行ってても

誰もこないし

あの子も遊びにいかないの


友達いないよねぇ?


って言って


キョロキョロそうなん?

レストランウェディングの二次会に

友達60〜70人呼ぶとか言ってたよね?

破水して中止になったから

ほんとのとこどうだったんかわからんけど

誰を呼ぶつもりやったんやろ?


どうでもいいけど

お義母さん、それ悪口やよ?というと


笑ってたなぁ、義母


20年かけて家族になってきた私たち

本当にいろいろあったけど

それを義弟嫁ともう一度体験するのが

嫌だったのか


義弟嫁とは住めないと思ってたのかは

わからないけど


義母がなくなったあと思ったけど


長男の嫁だから、って思ってたのは

もしかしてわたしだけで


義両親には嫁というより

娘みたいになってたのかもなあと

思いました


ここの家、娘いなかったから

若いときからずーっといるから

子ども認定されてたんかも