義母は4年まえの秋に
なくなりました
生きてるときは
不満のほうがおおかったし
満たされていたことは
当たり前とおもってた
当たり前ではないのに
当たり前におもっていた
一緒に住んでいるのに
勝手になんでも決めること
わたしにいってくれないこと
入院するときも言わない
病気をもってたし入院も
結構な頻度でしていたし
義母本人が1番つらかっただろうし
明るく、活発なひとが
病気でいろんなことが制限されていく
ことが本人は腹ただしい思いで
あっただろうとおもう
同居して、お互いの存在に
慣れていないため
意地の張り合いみたいなことも
したし、お互いの言い分ある
義母がはじめて1か月半入院したとき
わたしなりに
子どもたちがまだ小さかったけど
義弟2人と義父のこともみて
商売のこともして
自分の仕事もやってて
ほんと睡眠不足で
ふらふらになってたけど
家の一大事だとおもって
やってたことに
義母がおなじ病室のひとに
嫁に家のことさせるいい機会だったわと
言ってたと耳に入り
ショック受けたし腹も立ったし
泣いてオットに話もした
若いわたしはとても傷ついた
そこからギクシャクして
二世帯にもわけた
まともに話もしなかった
ここに住んでる意味あるの?って
おもってたけど商売継いでるし
オットは出ていけないというが
でも、わたしの気持ちも
わかってくれて苦肉の策で
二階にキッチンを作ってくれた
わたしの居場所ができたこと
本当に本当にオットに感謝した
でもね、あの頃のわたしに
今のわたしが会えるなら
言葉を伝えることができるなら
お義母さんはね
嫁だとおもってなかったかもよ?
娘の感覚だったかもよ??
その言葉に悪意は
なかったんだよ
許してあげてよ、って言いたい
でも、言ったところで
若いわたしは理解できないだろうな
一生懸命だったよね
不器用だからなおさら。
ギクシャクしてたときに
怒りをぶつけてこなかった義母
それは悪いことしたって
気持ちがあったからかもしれない
病気が進行してったからかもしれない
おかあさんに
聞く機会はなかったし
今でもわからない
でも、だまってわたしのこと
みててくれたことに
いまは感謝しかない
そのくらいかわいげのない
嫁だったとおもう