今月は、私の履歴書を連載中の興福寺貫主の多田峻映師によると、興福寺を参拝するには、
猿沢池を回って、
52段の石段をのぼる(52は、仏教の修行の段階らしい)のが、正しい参拝のルートであるようだ。
ゆめゆめ、裏から入らないように。
その順序に従い、
五重塔から、南円堂、三重塔、北円堂。
そして、落慶なった
中金堂へ。



立派。
檜の香りも清々しく、
約60億円かけて、古代の技法で再建された。
檜だけは、国産では太さが足りなくて輸入物になったのだが。
また、中金堂のまわりは、廻廊があった(礎石がある)ので、ゆくゆくは、こちらも再建したいとのことだあった。


興福寺をゆかりの高僧たちを絵がいた柱絵は、畠中光享氏によるもので、
無著菩薩、世親菩薩、護法論師、戒賢論師、玄奘三蔵、など14人。
群青(ラピスラズリ)を背景に、くっきりと鮮やかで、興福寺の長い歴史を感じさせるものであった。 


廻廊、中門の礎石。
そのあと、
国宝館には寄らずに、国立博物館方面へ。

これは、余談だが、
落慶記念の散華は、
私の一人前で、なくなってしまった。
残念。
かわりに、中金堂の再建の小冊子をいただいてきた。

もうひとつ、忘れないように。
これから奈良公園へと、夫とはなしていたら、
興福寺の寺男の方にしかられてしまった。
奈良公園なんてありません、
興福寺の境内と、東大寺の境内です。
たしかに、寺領を削られてしまったという悔しさがあるのだろう。
申し訳ありませんと謝って、興福寺を後にした。