先週、足利にあります行道山浄因寺から大岩毘沙門天までの軽登山(往復4km、2時間ほどの距離です)にいきましたので、ご紹介します
足利学校のあるメインストリートを北に進んで行き二つある二俣を左、左と行きますと浄因寺の駐車場に着きます(最後は林道で、車一台分の道幅しかありませんが(^^;)
車十数台の駐車スペースはあります(^_^)
ここは、行基上人(東大寺を建立した上人)の開基とされ、関東の高野山とも言われているお寺です
HPから引用
浄因寺概要: 713)行基菩薩が開山したのが始まりと 伝えられています。中世は山岳信仰の拠点 として"関東の高野山"と称されるなど隆盛し 多くの修行僧が集ったそうです。元和9年 1623)に落雷により堂宇が焼失し寿山 恵長が再興し臨済宗に改宗しています。幕 府からも庇護され寺領20石の朱印状を 賜っています。境内は古来からの修験の場と しての遺構が多く残っていて石碑や石仏、建 物の礎石なども散見できます。巨石の上建 てられた清心亭へ渡る"天高橋"の姿は葛飾北 斎が"足利行道山雲のかけ橋"として描かれて います。又、奥の院は行基上人が分骨入定さ れた聖地として寝釈迦仏を中心に多くの石 仏、石塔が建立されています 県足利市観光・旅行見所ナビ:
コンクリート製の階段を上っていきますと
途中からは、古い石段になります
二つある山門
古刹の雰囲気がありますね(^_^)
二つ目の山門を抜けた場所が境内ですが、ここには、鐘楼の他にはお寺らしい建物はありません
室町時代に雷による火事で焼失してしまったようです
一つ目を引く建物
断崖に立つ清心亭
ここでは、お茶会が催されるそうです
石段を上がり、上から見ると、こんな感じです
さらに、石段を上がって、奥の院、寝釈迦に向かいます
途中の広場にある石塔
高僧たちの墓所でしょうか?
山頂との分岐
左に進むと岩場に沢山の石仏があります
一番上にあるのが、寝釈迦像です
意外に小さな石像です50cmくらいでしょうか?
ここは視界も開けていまして、意外に標高もある場所だと気付きます
さて、ここから尾根道を大岩方面に向かいます
②に続く
Android携帯からの投稿
足利学校のあるメインストリートを北に進んで行き二つある二俣を左、左と行きますと浄因寺の駐車場に着きます(最後は林道で、車一台分の道幅しかありませんが(^^;)
車十数台の駐車スペースはあります(^_^)
ここは、行基上人(東大寺を建立した上人)の開基とされ、関東の高野山とも言われているお寺です
HPから引用
浄因寺概要: 713)行基菩薩が開山したのが始まりと 伝えられています。中世は山岳信仰の拠点 として"関東の高野山"と称されるなど隆盛し 多くの修行僧が集ったそうです。元和9年 1623)に落雷により堂宇が焼失し寿山 恵長が再興し臨済宗に改宗しています。幕 府からも庇護され寺領20石の朱印状を 賜っています。境内は古来からの修験の場と しての遺構が多く残っていて石碑や石仏、建 物の礎石なども散見できます。巨石の上建 てられた清心亭へ渡る"天高橋"の姿は葛飾北 斎が"足利行道山雲のかけ橋"として描かれて います。又、奥の院は行基上人が分骨入定さ れた聖地として寝釈迦仏を中心に多くの石 仏、石塔が建立されています 県足利市観光・旅行見所ナビ:
コンクリート製の階段を上っていきますと
途中からは、古い石段になります
二つある山門
古刹の雰囲気がありますね(^_^)
二つ目の山門を抜けた場所が境内ですが、ここには、鐘楼の他にはお寺らしい建物はありません
室町時代に雷による火事で焼失してしまったようです
一つ目を引く建物
断崖に立つ清心亭
ここでは、お茶会が催されるそうです
石段を上がり、上から見ると、こんな感じです
さらに、石段を上がって、奥の院、寝釈迦に向かいます
途中の広場にある石塔
高僧たちの墓所でしょうか?
山頂との分岐
左に進むと岩場に沢山の石仏があります
一番上にあるのが、寝釈迦像です
意外に小さな石像です50cmくらいでしょうか?
ここは視界も開けていまして、意外に標高もある場所だと気付きます
さて、ここから尾根道を大岩方面に向かいます
②に続く
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