え~と、皆さま、たいへんご無沙汰しておりますm(_ _)m
震災後も、お変わりなく、お元気でいらっしゃいましたか(^^;
僕も、特に問題なく、お元気でした(^^;
ただ、震災後は、なかなか記事を書く気になれず、気が付けば、一月半以上経ってしまいました(^^;
今も、小さな揺れは毎日ありますし、また今後もM8クラスの余震の恐れもありますが
そろそろ、また記事を書いてもよいかな?と感じていますので、ノー天気な記事で恐縮ですが、書いていこうと思います(^_^)
前置きが長くなりましたが、今回は、比較的近場の神社のご紹介です
栃木県真岡市(旧二宮町)長沼にあります長沼八幡宮です
長沼郵便局の隣にあります
征夷大将軍坂上田村麻呂が、この地を訪れた際に誉陀別尊を祀ったのが始まりとされています
その後、源義家も、奉納寄進してまして
また、小山氏次男、宗正がこの地に住み、長沼氏(後の栃木皆川氏)を名乗って氏神として、神社を祀ったそうです
さらに、源頼朝も、この地で宿営した際に、加茂社と春日社を祀れとの神夢をみて、別雷神と天児屋根尊も合祀されたそうです
さて、神社に行ってみましょう
先ずは青銅鳥居(明治時代の奉納の様です)
随神門
左のカヤの木と右側のケヤキの木が印象的です
境内の石燈籠が、幾つか崩れています
存在感のある、ご神木の大ケヤキ
目通し6m
拝殿
拝殿には、木製のプロペラが奉納されていました
戦時中、出兵式等があったのだろうと推測されます
右側の摂社
何社か不明ですが、加茂社か春日社になると思います(^^;
その奥にある千勝大明神(ちかつ大明神)
千勝と戦勝を掛けているものと思われます
ちかつでおもいだすのが、茨城県大子町の近津神社です
(福島県にも、近津神社は幾つかあるようです
)
こちらにも、源義家の伝説がありますので、千勝と近津も同意語と思われます
左側の神楽殿と摂社
加茂社か春日社のどちらかだと思います(^^;
では、今日は、この辺で
またお会いしましょう(^_^)/
Android携帯からの投稿
震災後も、お変わりなく、お元気でいらっしゃいましたか(^^;
僕も、特に問題なく、お元気でした(^^;
ただ、震災後は、なかなか記事を書く気になれず、気が付けば、一月半以上経ってしまいました(^^;
今も、小さな揺れは毎日ありますし、また今後もM8クラスの余震の恐れもありますが
そろそろ、また記事を書いてもよいかな?と感じていますので、ノー天気な記事で恐縮ですが、書いていこうと思います(^_^)
前置きが長くなりましたが、今回は、比較的近場の神社のご紹介です
栃木県真岡市(旧二宮町)長沼にあります長沼八幡宮です
長沼郵便局の隣にあります
征夷大将軍坂上田村麻呂が、この地を訪れた際に誉陀別尊を祀ったのが始まりとされています
その後、源義家も、奉納寄進してまして
また、小山氏次男、宗正がこの地に住み、長沼氏(後の栃木皆川氏)を名乗って氏神として、神社を祀ったそうです
さらに、源頼朝も、この地で宿営した際に、加茂社と春日社を祀れとの神夢をみて、別雷神と天児屋根尊も合祀されたそうです
さて、神社に行ってみましょう
先ずは青銅鳥居(明治時代の奉納の様です)
随神門
左のカヤの木と右側のケヤキの木が印象的です
境内の石燈籠が、幾つか崩れています
存在感のある、ご神木の大ケヤキ
目通し6m
拝殿
拝殿には、木製のプロペラが奉納されていました
戦時中、出兵式等があったのだろうと推測されます
右側の摂社
何社か不明ですが、加茂社か春日社になると思います(^^;
その奥にある千勝大明神(ちかつ大明神)
千勝と戦勝を掛けているものと思われます
ちかつでおもいだすのが、茨城県大子町の近津神社です
(福島県にも、近津神社は幾つかあるようです
)
こちらにも、源義家の伝説がありますので、千勝と近津も同意語と思われます
左側の神楽殿と摂社
加茂社か春日社のどちらかだと思います(^^;
では、今日は、この辺で
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