亡き母への想い

亡き母への想い

2015年5月に最愛の母が旅立ちました。
覚悟はしていたし悔いも沢山ある訳ではないけれど、淋しさには変えられません。

ただただ、母への想いを断ち切れずひとりブログに記しております。

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4日間の休みを終えて夜の便で東京に戻ることにした。
兄も帰り、また父1人を実家に残すことになると思うと淋しくなる。

私達が帰る時に必ず持たせてくれるのが、父手作りの「おにぎり」
いつから父が作ってくれるよーになったのかな。
多分、母が病を患ってからだ。
それまでは母の手作り弁当を持って飛行機に乗ってた。
還暦を迎えた父の愛情おにぎりは美味しくて優しさが染みる。

母の乳癌が再発したのが、ちょうど昨年の6月だった。父は母の為に毎朝野菜ジュースを作り、栄養を考えたご飯も作った。
2月に入院してからは、亡くなる5月まで毎日欠かさず、片道車で50分の病院に通った。
朝病院に来て夜帰る。

母が食べたいと言う物は探し回ってでも買って食べさせた。父は手作りおにぎりや卵焼きを作って病院に来ては病院食がまずいと言う母にも食べさせた。
朝から夜までいつも一緒だった。
医者から余命宣告を1人で受けた父は、その場で泣いたらしい。
 
母は、自分の身体が辛いにも関わらず毎日通う父の心配ばかりしてた。
朝起きて父に連絡し、病院から帰る時も父の手をとり握手をしたり手を握ったりしながら「帰ったら必ず電話ちょうだいね」と言って1日を終えた。病院から帰っても寝るまで2人はLINEをしてた。
母が私に直接くれたものは父が母にあげた指輪だった。「安いけど1番大切な指輪なの」と。

勿論、喧嘩をすることもよくあった。
だけど、結局は深い愛情で結ばれてた。

母が亡くなる前に、「本当にお父さんの事好きなんだね」って言ったら「そりゃそうょ。そうじゃなきゃ長年夫婦やってられないでしょ」って。

これこそが、健やかなる時も病める時も尽くすことを誓った夫婦なんだと感じた。

母が元気な時、父が仕事に行くのに外まで出て車が見えなくなるまで見送ってた。
大学で家を離れた私が、実家に帰って来た時に見た光景。

それを見た時、素敵な夫婦だなと思った。
いつか自分の結婚式で手紙を読む時には必ず
「その光景を見て2人みたいな夫婦になるのが理想だと思った」と伝ようと決めてた。

その夢は母のいる間には叶わなかった。
けど父にはいつか、伝えたいな。

両親みたいな夫婦になることが私の理想だよ。

ふざけながらも朝からこんなLINEをやり取りする。夫婦愛だね。
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