備忘録

 

[ 八王子大空襲 ]

幼少時のこと

母が

「 百貨店で 写真展があるから 一緒に 見に行くか ? 」
 

初めて 見た 写真展 は モノクロ
 

当時 八王子には
マルキ という百貨店

井上デパート という
百貨店があった
 

写真展はマルキのほうだった。
 

モノクロの写真が 壁に並ぶ

母が 黙って じっくり 見ていて
 

しばらくすると


八王子は 丸焼けだったんだよ

これは この場所 あたりだろうね
 

広い航空写真なのか
高所から 広域写した
まるで 東北の 震災
津波のあとの光景みたい
 

瓦礫が あちこちにあって
何もかもがバラバラ
 

母の 兄が 海軍
マラッカの海で
亡くなっていたことも

わかっていなかった。
 

ワタシが 目を凝らすと
写真の中ほどに

トタンを立てたような
ところに 人かげを見つけ
 

「ここに 住んでいる人 ? 」

母は

住んでいるかはわからないね

雨風 凌ぐためにいるのかも
しれないね
 

見ていると まるで

原爆の後や 沖縄戦の後の
写真とにていた
 

犠牲者の 焼けてしまった
写真も見た気がする


母に聞くと

このお母さんが
子供をかばったんだろうね でも
二人共 やられちゃっているね   
   つぶやいていたような。。。
 

江戸時代
新宿の手前の 宿場町で
織物の町で栄えた 八王子

戦後の復興に 山を切り開き
宅地造成が はじまり
東京 23区がすっぽり
入るような大きさ ですから
 

昭和の終わりには 日本一の
 学園都市になった
 

マルキ や 井上デパートがなくなり
大丸デパート ダイエー
といった九州系
 

伊勢丹 西武 もできてきて 

長崎屋 忠実屋なども
 

そして 親元を出ると

駅の南に居住して

不便だった 南北陸橋から

そごうデパートなどができて
駅の南北が開通し助かりました
 

帝国大学出の 母の従兄弟も
そういう町の復興に

省庁から市政へ 行った人ではある。

 

[ 二十歳の 長男を海軍で 亡くした 祖母 ]
 

亡 祖父母宅に よく行っていた幼少時

日が暮れる前には 祖父母宅から
子供の足で10分位
帰宅するのだけれど
 

時折 みかけたのが
 

祖母は 朝日とともに畑仕事

母も 母屋の清掃 や畑の手伝い

年寄りの世話 庭の雑草の草むしり

亡祖母は
昼前から 雑貨屋の店番していて

夕方になると
紺色の 鳩がオリーブの葉を
くわえている 絵柄の 缶を
撫でてから
 一本 煙草を出して
 

日が暮れる前に 庭に出て
マッチをすると 火をつけていた
 

ワタシが 大人に
 

「 おばあちゃん 何やっているの ? 」
 

ああ あれはね
ふかしているだけだよ

ふかしているの意味は
わからなかった

つまりは 吸い込まないという
意味ではあった

  
誰も教えてくれなかったけれど

線香みたいなものだったの かな
 

ある日 雑貨屋の店番の祖母の
近くにいたら

知らない おじさんが来て

(祖母の親戚筋かもしれないけれど)
 

「もうさぁ  いいかげん ピース
じゃなく ホープ にしたら ?」
 

英語の意味は
幼少のワタシにはわからない
 

祖母は 黙って
缶のピースを 撫でるのだ
その様子に

そのおじさんも
押し黙っていたけれど

その人は その後 2.3 回は 来て
祖母と

同じ やりとりを していた。
 

その 2.3 回目 祖母の動作は

まるで 缶を撫でるのでなく
赤子の頭を 撫でているように感じた

その日あたりから

そのおじさんには
会っていない気がする。
 

墓参に連れて行かれると

祖父母宅の 墓の並びに ある墓石

これは 誰の ?

前から気になっていたけれど
学齢になってから

母に尋ねると

「お母さんの お兄さんだよ。」
 

ワタシが きにとめたからなのか

誰も その墓に 線香をあげていない
なぜ ? きいても 母は教えてくれない
 

そこには
遺骨が ないからなんだろう・・・。
 

「真澄 線香 あげてみる ? 」

それには 返事は しなかったけれど
数本渡され

ここに置きなさい と
 

また ある日 祖父母宅にいると

知らない おばさんがやってきて

話を 始めた
 

祖母は 子供がいるからと
牽制 したけれど
 

その人は その トラウマ
話さずにいれないみたいで
身振り手振り 話し始めた
 

「みんな 散り散りに 逃げ帰った
けれど 〇〇先生が あそこなら と

大勢の 子供   ひき連れて
いちばん大きな〇〇の 防空壕に

子どもたち 連れて行って 
 

先生と 兵隊さんが
入口守ったけれど
みんな 蒸し焼きに
されちゃったんだよ。
 

逃げる時に 三人くらい前にいた
 〇〇ちゃんに 焼夷弾が

落ちてきて 〇〇ちゃん
可哀想に 斜めに 真っ二つ
 

今でも 目に
焼き付いちゃってるよ。」
 

東京大空襲は あちこちで 語られ 

映像も よく見かけたけれど

八王子大空襲は あまり
アナウンスしていない
 

戦後の 日本は 敗戦から 経済で

勝つという 目標があった


ワタシは 親に対しては
反抗しないタイプでしたが

ユイツの 反抗は
美容の道にすすむこと
でした。
 

そこには 目に見えない
ミッションがあった

 

 
 

94年 アメリカの 美容 アカデミー受賞 で 

NYに行きました。カバーにも採用されました。

 

  

 

  

 

 

 

  

 

 

 

大変光栄なことにご一緒してお世話になった

 ジョンサハグさんは2年連続のマスター

ビダルサッスーン グループも・・ご一緒の紙面

 

世界に 認められること

オリンピック選手は そういうことだと思う
 

三多摩の 寡黙な 一少女 だった  ワタシ

出版社の人には
真澄さんは レオンに出てくる少女みたいですね
(ナタリー・ポートマン)
言われたことはあるけれど

実情はその出版のベテランさんが
見抜いていた
2011の SPAINの映画  [ EVA ]
あるいは 千夜一夜物語

 

ブレードランナーのレプリカントが 

雨に打たれながら 停止していく 最後のシーン

回想するレプリカント
 

体力弱ると あれは 自分かな って
感じるときも   あった。
 

[ 2000年の 墓参 ]
 

遺骨のない墓石 はじめに 線香 

海軍の母の亡兄 (享年20)

祖父母や 義伯父の眠る 墓に 線香
 

第二の 人生 なのかな武蔵野市 三鷹市で 始まった

そっちは 経済で勝つがミッションだったのかな??
もしくは 旦那さんの野望を叶える パートナー ??

四畳半フォークより武道館
ご主人は 言ってらしたみたいだから。。。
 

女性美容師として 早世してしまい

最後まで かっこよく 働き続けた ミンクス 鈴木さん
 

ワタシが 親に 美容を
大反対された理由の一番は
 

死にかけて産まれた 命
障害は 頭痛以外は たぶんなかったけれど 

身体が弱い所
 

親より先に 逝くのは
最大の 親不孝だからね

 

母にさんざん 言われては きていて

だから 鈴木さんのようなカッコいいは  

ワタシには できないことなんだろう。。。
 

49歳 ? 40台 後半で
亡くなられた 鈴木さん
 

最後まで 婚姻性 高橋性を 名乗らなかった

その理由 もう きくことはできないけれど ね。
 

ワタシより 2.3 歳 年上でした。
 

周りの人に ライバル的 存在でしょ ?  って

言われたことは あった  けれど
 

作品の出来  比較したりあったけれど
 

鈴木さんのこと ライバルって 思ったこと

なかった  きっと ミッションが違うし
 

shima  美容室で
紅一点
働いていた姿

東急東横線で 一度 見かけた時

可愛い綺麗な人だなーって 思ったり
 

日本でも英国の アカデミーに習いはじまった JHA

雛形の アカデミーでは 若かったので ワタシは 新人賞

 

翌年の JHA で ご一緒 したとき

鈴木さんは 気合が入りすぎ ??
とても 強い人になっていて
 

そのあたりからは 強い自分を
くずせなかったん じゃないかな ?
大所帯にも なってきてはいたし。。。
 

みんな 小さな 小さな
女の子の時 あるんだよね

 

出版社 勤務を 経て ドトール珈琲の 広報に行った
momoちゃんの 企画で並んだ 見開きページ
片付けていたら 出てきて。。。