休みの日に見た
「それでも夜は明ける」
スティーブマックイーン監督
ブラット・ピット プロデュース
泣けるけど よーく考えたら
日本に例えれば
昔は しようもなかっただろう
時代劇の 悪商人とか 悪代官とかの あれかな
それと 罪人の証拠ないと石を膝に乗せる 拷問とか
テレビでやっていた
その翌朝
ねずさんのコラムでなるほど~と 納得した。
抜粋させていただきます ありがとうございます。
当時の日本の考え方もよくわかりました。
「「奴隷制度の廃止」と「人種差別撤廃」」
日本では、米国の黒人差別は、
米国第16代大統領のエブラハム・リンカーンが
「解放」した、と信じている人が多いようです。
違います。
リンカーンが行ったのは奴隷の「制度の廃止」であって、
「人種差別」に反対わけでも、これを撤廃したわけでも、
解放したわけでもしたのではありません。
「奴隷制度の廃止」と「人種差別撤廃」は、
似ているようで、まったく異なるものです。
南部諸州で綿花農園を経営するのは、白人です。
そして農園は、大規模であればあるほど、儲かりました。
労働力は安ければ安いほど、儲けは大きくなるからです。
意外に思われるかもしれませんが、南部諸州の農園では、
黒人労働者(奴隷)たちは、比較的大切に扱われていました。
これは当然といえば当然のことで、農場が広がれば広がるほど、
黒人労働者の人数も増える。人数からいったら、
白人の農園経営者よりも、そこで働く農園労働者の方が、
圧倒的に人数が多いのです。どこの会社でも、経営者の人数よりも、
労働者の人数の方が多いのと同じです。
もし、少数の経営者が、大多数の黒人を圧政下に置いたらどうなるか。
反乱でも起こされて、綿花農園に火でもつけられた日には、
全財産がパアになります。
ですからそうならないように、ある面、黒人達を優遇し、
ある面、いうことをちゃんと聞くように、厳しくしつけていたのです。
つまりそこには、一定の「共存関係」が成立していたのです。
そしてその大邸宅の中には多数の黒人の農園労働者たちが
生活していました。
映画の中にもそうしたシーンはありました。
農園は広大ですから、労働効率を考えれば、そこで働く農園労働者は、
農園主の大邸宅に住むばかりが能ではありません。
優秀であり、かつ責任感の強い信頼できる黒人には、
その者が担当している農園の近くに家を建ててやり、
そこを基点として、一体の農園の管理を任せたりもしています。
黒人と白人が、身分は違うのは当然です。
白人は農園の経営者であり、黒人はそこで働く労働者なのです。
身分の違いは、当然あります。
けれど、それは「差別」というより、「主従関係」に近いものでした。
もちろん、カネで買われた労働力であることは事実です。
だから「奴隷」です。
けれど、黒人達は、定年さえない終身雇用です。
生涯食うに困らない。悪いけれど、いまどきの日本のフリーターよりも、
よほど生活は安定していたのです。
ですから黒人達は、仕事が済むと、近くの飲み屋に集まり、
そこで、自分たちの民族音楽に、欧米風の楽器をあわせた
独自の音楽を誕生させ、それをみんなで楽しみました。
これがジャズ・ミュージックです。
当時の南部の黒人労働者たちは、もちろん、
農場主とくらべれば生活は貧しいものでした。
決して貧困ではなかったし、生活にも余裕があったというのが実情です。
一方、南北戦争以前の北部諸州ではどうだったかというと、
北部には綿花のような中心となる産業がありません。
人はたくさんいますから、繊維製品の製造業や、日用品製造業、
あるいは建設業等々の労働市場は数限りなくあったけれど、
それら労働者市場は、白人移民たちの労働市場でもあったわけです。
そこに南部からあふれた黒人奴隷という私的所有権に基づく労働力が
介入してきたら、何が起こるか。
答えは簡単です。
白人労働者の職場が奪われるのです。
白人労働力は、雇用主からみれば、「契約関係」です。
月給は20万よこせ。休みはよこせ。給料あげろ、
気に入らなければ会社を辞めると言い出す。
しかも酒を飲んで文句ばかり言って働かない。
だからといって殺せば、こんどはコチラが殺人罪です。
ところが黒人奴隷を労働力として採用するとどうなるか。
月給は半分でOK。所有物ですから生殺与奪の権は、
オーナーの側にあります。
使い物にならなければ、売り飛ばすこともできるし、
殺しても、あくまで「動産」であって「人」ではありませんから、
罪になりません。
これは圧倒的な「力関係」ですから、その分、
黒人達にちゃんとした仕事を仕込めば、会社は儲かるようになります。
経営者からみて、こんなに「都合の良い」労働力は、他にありません。
問題は、そうした奴隷制度が、
北部の町に進出してきたらどうなるかにありました。
これまた答えは簡単です。
北部の白人労働市場は壊滅し、
黒人労働力が北部を席巻することになるのです。
そしてこのことは、北部に住む多くの白人の生活を
圧迫することになります。
だから北部の人々は、「奴隷制度」に反対したのです。
そして黒人を毛嫌いし、差別することによって、
北部の労働市場から排除しようとしたのです。
このことは、「黒人を差別する」というよりも、
黒人の「存在そのものを否定」するという社会風潮といえます。
黒人がいるから、白人の労働市場が奪われるのです。
ならば、この世から黒人を消すしかないという思考です。
ところが、南部諸州では、次々とアフリカから黒人を連れて来ます。
黒人だって結婚します。すると人口が増えます。
そして南部で何らかの事情で職にあぶれた黒人が、
北部に流れて来るのです。そして北部に住み着きます。
彼らだって食べなきゃいけないから、労働させてくれるところを探します。
雇う雇用主が現れます。
するとそこで、子が生まれ、ますます黒人が増えます。
そして増えた分だけ、白人は職を失うわけです。
「だから黒人を排除するしかない」というのが、
当時の黒人に対する北部の人々の考えです。
北部の人種差別は、だから「差別」というより「排除」の動きだったのです。
これを「人種差別」と書くからわかりにくくなるのです。
実際には「人種排除」です。
しかし米国自体が、黒人排除論に動くと、困るのは
南部11州の農場主たちです。
農奴を使っているから、商売になっているのです。
それが白人の使用人たちにとってかわったら、
コストは倍以上につきます。
綿花農園そのものが存続できなくなるのです。
※この記事は2012年09月の記事のリニューアルです。