下書き保存の書きかけ記事が5つくらいありました~

なんか”気分じゃない”日が続いていたんですよね。

わんずも元気、私も元気、と言いたいところなんですが、そうでもないです(笑)

ミルゥの足のマヒは治ったのですが、後ろ足の座りだこが炎症を起こして破れ、

病院で処置してもらったものの一ヶ月経っても治らず、毎日包帯ぐるぐる。

 

で、私。

この歳になっても、人生で初めて経験することがまだまだありますね。

はい、じんましん絶賛初体験中!

ある朝、なんか足がかゆいなーと思ってポリポリするとポツっと赤くなっていて、

蚊に刺された時の二倍くらい腫れてしまいました。

その後腕や腰などにかゆいところが数ヶ所あることに気がつきました。

虫刺されか何かにかぶれた?と、とりあえず布団を干してリネン類を交換。

でも翌朝もまた赤いあざが増えていて、かくとぽっこり腫れる始末。

3日目、虫刺されがかゆくて~と話していたら、医療関係の方がみてくれて、

「あ。虫刺されじゃないですよ、これ。蕁麻疹みたいです」とのこと。

何十年ぶりかに皮膚科を受診したところ、あっさり蕁麻疹と診断されました。

抗アレルギー薬をもらって、幸いすぐにかゆみも赤みもひきました。

処方分は飲み終えるよう、先生からも薬剤師さんからも念を押されたので、

勝手に止めると再燃するってことなんでしょうね。

 

蕁麻疹って、そのほとんどが原因不明だと言われ、抵抗力を落とす疲労や

ストレスが引き金になることも多いそうです。蕁麻疹初心者、知らなかった~

趣味は寝ること!なので、睡眠はちゃんと取っているんですけどねぇ。

とはいえ最近、わんずが夜中に部屋を歩いている音や気配を感じるほど、

眠りが浅い日が続いてはいましたが。交感神経スイッチの接触不良かな。

忙しい昇段試験期間ではあるけれど、これも今に始まったことじゃないし。

ワクチン接種後に蕁麻疹が出た知人がいるけど、接種はもう3ヶ月前だし(笑)

 

発症の原因は考えてもわかりませぬが、おそらく”老い”だと予想しています。

自分が思っている以上に、体力も抵抗力も落ちているんじゃないかなーと。

腰?骨盤?も良かったり悪かったりで、忙しいときは腰もグラグラです。

歳を取るのはこういうことなんでしょうね~

 

そうなんです、一年はあっという間に過ぎていきます。

来年の干支、『みずのえとら』のハタも先月のうちに書きました。

完成品はもう店頭に出ているそうですが、まだ見に行けていません。

 

それから実は、硝酸薬イソソルビドテープが2年ぶりに復活しています。

最近ちょっと胸に違和感があって、予防的に、と渋々処方を受けました。

貼って2時間後…うぉ~ん、これこれ。

懐かしい感じの頭痛、やっぱりきたか…

この頭痛が取れるまで2ヶ月ガマンするのか…

なじんだ後は一切頭痛はなくなったのに、2年空くと身体は忘れてるのね。

こめかみズキズキ、つらい~

少し離れていたここ数ヶ月、とりわけこのひと月、いろんなことがありました。

 

ひと月前に父親が旅立ちました。

1月にスキルス胃がんがみつかり、すぐにネットやテレビの移設を含めて部屋の移動、

看護や介護の体制を整え、3ヶ月の自宅療養。

連休前に転倒して頸椎を圧迫骨折して1ヶ月強入院ののち、81歳で天に召されました。

 

末期がんとは思えないほど穏やかな闘病生活で、本人の希望で最後はホスピス病棟へ

移りましたが、まさに波が引くように静かに旅立っていきました。

スキルス胃がんで腹膜播種もあり、おそらく他にも転移があったと思われるのですが、

余命2~3ヶ月の診断後は即緩和ケアに移り、一切の検査や治療はしなかったので、

今となってはわかりません。

首や肩に痛みがあって鎮痛剤は服用していましたが、最期までそれだけでした。

急変する数時間前まで、少しのビールを口にしていたくらいです。

今になって思うのは、無治療でがんに抗わなかったおかげなのかもしれません。

全身が生きるための機能をゆっくり落としていって、そして役目を終えた…

自然のままに穏やかな最期を迎えられるというのは、何よりのことだったと思います。

 

プロテスタントだった父、葬儀は教会ではなく斎場にてキリスト教式で執り行いました。

たくさんの方々に支えられ、無事に見送ることができました。感謝、感謝です。

実務は私と弟が中心となって動きましたが、いやぁ…もう想像以上に大変でした。

役所以外の手続きなどはまだ残っていますが、期限のある急ぎの案件は済ませ、

キリスト教には法事などがないので、あとは家族内での事後処理だけです。

 

さて、ひと段落ついてほっとした頃、長女のミルゥ姉さんが急に立てなくなりました。

足がほとんど動かない左麻痺になり、30キロの子を肩にかけて搬送しました。

13年間大事にしまっていた、コピンちゃんの介護ベストと、搬送用のベルトの出番。

不思議なことに数日で動かせるようになり、今は介助なしで生活できています。

でも私が腰をやられました…ぎっくり腰ではないのですが…

30キロの子を担いで、私の背面の筋肉がさすがに悲鳴を上げました。

テーピングとコルセットでなんとかごまかしながら生活しています。

また改めて書こうと思います。

今日は2ヶ月ぶりくらいに、予定のない休日。

やりたいこと(主に洗濯)いっぱいでしたが、空模様が怪しく…

潔く諦めて、よっし、何もしないでダラダラ過ごす!を決行しました(笑)


2月、3月が忙しすぎて、気がつけば4月になってるじゃないですかぁ~

新年度ですね。こちらの桜はとっくに終わって、藤が咲いています。

脳ドックの話は後回しで、今日はお習字のことを書いてみます。

 

自分の練習が終わった子が、何やらウロウロしてるなーと思っていたんです。

別の机で書いているママさんのところに行っては、自分の机に戻り…

覗きに行ったら…ひゃ~、かわいすぎ~♪

『そら』を書いていた1年生(当時)が、大人の4文字を書いていましたよラブ

読めない漢字を一生懸命まねしていました。かわいー♪

もうね、癒し以外の何ものでもないです!

 

私は教室に来てくれる子どもたちを「子どもさん」とか「生徒さん」という呼び方は

しないんですよね。彼らは私の「かわいい子どもたち」なんです。

お習字は書道、そう、”道”がつく習い事の教室なので、挨拶や所作なども含めて

人として大事なことを学んでいって欲しいという思いがあります。

練習の合間などには雑談をしながら観察したりして、何か悩んでいないかなども

気がけてみています。時にはガミガミ叱ることもあります。

食べ物で○○は大っ嫌い!と言う子には「もし○○が大好きな子が聞いたら

イヤな思いしない?そういうきつい言葉ではなく”あまり好きじゃない”にしよ」と、

ちょっとうるさいセンセーかもしれませんが…たいてい素直に聞いてくれます。

ぽつり、ぽつりと悩みや友達とのトラブルなどを話してくれる子もいます。

 

そんな教室のかわいい子どもたちが迎えた卒業や進学…

「センセー!合格した!」と駆け込んでくる子とハイタッチ!とかもありました。

もうね、親戚のおばさんみたいな気持ちなんですよね。

あんなグダグダだった子がこんな立派な字を書いて…制服着て…とかね。

上手く書けないのが悔しくて泣いていた子が、すっかり声変わりしていたり、

赤ちゃんだった下のきょうだいが新1年生として入会してきたり、8年も経てば

子どもたちの成長にジーンとしてしまうことも多々あります。

なんてステキな仕事をさせてもらってるんだろう、って思います。

嬉しいことに、進学してもお習字を続けてくれる子が多くいます。

部活や勉強の合間を見てとか、長期休暇や帰省のタイミングでとか。

お月謝制ではなく時間制の教室なので、都合に合わせやすいようです。

 

大人の部に編入して段位を取っている子たちも増えました。

超進学校の子は「勉強の合間のいい気分転換になる」と言っていました。

大人の方でも、職場⇔家の間に”無になれる”書道の時間を入れることで、

気持ちの切り替えができる、という方もいらっしゃいます。

私がそうだったように、書は”なんとなく”続けていってもいいのです。

そしていつかお習字から書道へ…芸術としての書の道に進んでくれる子が

出てくれば、センセーはもう飛び上がるほど喜びます。

 

キレイな字は一生の宝ですが、残念ながら小学生くらいまでで止めると、

じきに自分の癖がついていって、書き崩してしまう人が多いようです。

中学生くらいまで頑張っていれば、毛筆の基礎は手が覚えてくれているので、

大人になってもちょっとしたのし書きくらいはそれなりに書けると思います。

実際、昔習っていました、と入会される大人の方々を見ていてよくわかります。

硬筆は中学生からはペン字になり、学年が上がるにつれ大人並みの難しい

行書なども勉強するので、そこまでやりきるとしっかり自分のものになります。

教室のベランダガーデンも春爛漫、新しいことを始めたくなる季節!

お習字、いかがでしょうか☆

今月はブログおさぼりしていました。

県書展の追い込みで、頑張っているところです。

みんな完成してるのに、私なかなか出来上がらない…半泣きです…

月初めに書きかけて保存していた記事をUPするのも忘れていました↓

 

昨秋人間ドックの市の助成に申し込み、助成決定の通知をもらっていました。

提携の病院とコースの一覧表から、自分で選んで自分で予約するのですが…

ちょうど感染症の増加時期に重なり、クラスターが発生したり…

頃合いを見て一月に予約、今月初めに無事受けることができました。

人間ドックフルコースも捨てがたかったのですが、助成を使っても4万↑

まあ、胃カメラと大腸検査以外、心電図や胸部レントゲンなどはちょいちょい

受けていることだし、今回は脳ドックだけのコースにしました。

 

冠動脈は何度かの造影検査で確認できていますが、血管は全身ですよね…

頸動脈や脳動脈がどうなっているか、この2年ずーっと気になっていました。

 

今回の脳ドックに含まれていた検査は…

脳MRI&MRAと頸動脈エコー、長谷川式(認知機能検査)と眼底カメラ。

心電図、身体&体組織計測、血液検査、尿検査などの特定健診。

脳外科Dr.による診察と検査結果説明まで入れて、3時間半くらいでした。

MRIと最後の診察以外は、別の場所にある健診センターで受けました。

健康診断などは普通の総合病院だし、女性専用フロアでの健診は初体験。

当然スタッフも女性で、検査着でウロウロするにもお気楽で良かったです。

婦人科健診もオプションで頼めばよかったなー、と後で思いました。

受診者はそこそこ多かったですが、検査数の割にはスムーズでした。

 

以前虫垂炎の手術をしたのですが、その時に人生初のCT検査を受けました。

何年前だっけ?とブログさかのぼって探したけど、書いてなかった(笑)

こういう時に役立つ?備忘録的ブログなのにw

近いうちに思い出して書いておかねば。

夜間外来からCT検査へ案内されたとき、そろそろ歩きでここ通ったなーと、

検査室への廊下を歩きながら、その時のことを思い出していました。

 

さて、実はMRIもこれが初体験。内心ワクワク(笑)

銀歯と冠動脈ステント以外、全ての金属は外していましたが、入室する前に

金属探知機かけるんですね。マスクにも、ですよ。へぇ~

ノーズワイヤーには反応するものもあるんだそうです。へぇ~へぇ~

アイリスオーヤマのWワイヤーのマスクでしたが、OKでしたよー

MRIは工事現場の音みたい、とよく聞いていましたが、まぁまぁですね。

前夜考えごとが多くて寝付けず、ちょー寝不足だったので、寝る気満々でした。

で、騒音の中でも寝落ちしそうになったのに、途中音が変わるじゃないですかー

トントントン「入ってますかー?」トントントン「入ってますよー」

にしか聞こえなくなって、目がさえてしまいました…

 

最後にDr.の診察と説明。診察は指を目で追ったりするやつね。

そして血液検査やMRIの画像を見ながら、結果の説明をしてもらいました。

ひと通り話が終わった頃に、「冠動脈に狭窄があるので…」という話をしたら、

えっ?えっ?あっ?手術してるの?って、問診表ちゃんと見てないんかい…

いやいやいや、動脈硬化で前科病変があるから、脳ドックに来たのよー

結局そこからまた追加の説明を受けました。

既往がある=知識があるという前提で、最初から話してもらいたかったのに。

 

結果としては、大きな異常は見つかりませんでした。

脳動脈瘤が見つかったら…とかも内心考えていたんですよね。

同じく喫煙者だった母の妹、叔母がそうでしたから。

 

その他の話はまた改めて。記憶より記録、ですから(笑)

お疲れの原因のひとつ、怒涛の昇段試験は終わりましたが、次は力仕事。

家族の部屋の移動のため、このところずっと自宅の片付けをしています。

先日は弟が手伝いに来てくれ、整理した荷物を二階に運び…

無事に空っぽになった部屋を大掃除。処分する物がいっぱーい。

まだ二階の物は少ししか整理できていないので、中途半端なごみの山。

自分で処理場に運ぶか、業者に頼むか…全部終わるのはまだ先だし…

邪魔なテーブルなどはとりあえず家の裏に運び出しました。

 

世界中を共に旅した相棒ともお別れすることに。

スーツケースと言えばサムソナイト!な時代を生きてきたわたくしw

それまでは親に借りていて、これが初めて自分で買ったサムソナイト。

旅行会社に勤めていた頃で、大人になった気がして誇らしかったものです。

海外の空港での扱いはひどいもので、投げられるのは当たり前…

数々の修羅場をくぐり抜けてきた子ですが、一度も破損しませんでした。

 

5年前にフランス遠征をする時に久々出すと、ハンドルが劣化で折れてしまい、

出発直前の荷造りだったから大慌て!←母に借りて旅立ちました。

そのまま再収納していましたが、修理に出してまで必要でもないか…と。

旅に出る機会も大幅に減ったし、今は軽量のキャリータイプがあるしね。

エコノミーの制限20㎏に収めるには、5㎏のスーツケースは重すぎました。

お別れすべく一度外に出そうとして、あ!と思い、記念写真を撮ることに。

眺めていると、懐かしい思い出がいっぱいよみがえります。

だいたい行きは半分の荷物で、帰りは残り半分にお土産、のパターン。

フランスには移住のときも連れて行きました。

父親が使ったりもしていた模様。見覚えのないステッカーもあるから。

ステッカーを見る限り、おそらく初回はプーケット。

紅海にも連れて行ってますねーエジプトのシャルムエルシェイク。

あー、モルディブもあるし、オーストラリアもある。

ダイビング旅行のときはよく専用のキャリーケースを使っていましたが、

多いのはやっぱり南の島みたいです。

最後にお供したのはペルー旅行だったかな…グアムかな…

一番遠いのは間違いなくペルーですね☆

 

普通のボストンバッグなんかはポイポイ捨ててしまったけど、この傷だらけの

サムソナイトとお別れをするのは、なんとも言えない切なさがあります。

私の青春がいっぱい詰まってるよ~書きながらきゅーんとしてます。

衣装ケース代わりに、もうしばらくクローゼットの中に残しておこうかなぁ…

処分するものと一緒に家の裏に出してはいるけど…迷うな~

 

明日はネットの移動予定。

テレビは難しすぎて投げ出したけど、ネットはなんとかできそう。

この辺り、文系には難しすぎる作業です…本当にできるのか、わたし?