礼拝でずっとヨハネの福音書を読んでいてあることに気づいた。

イエスは、栄光と愛を、人間から受けようとは思われなかった。

イエスが、報いを期待したのは、もっぱら御父からであった。

「そうか!これが偶像礼拝をしない人間の姿なのか!」と思った。

イエスは人間の模範であられる。

われわれも、人間に対して栄光や賞賛、愛、報いを期待してはならないのだ。

経験から、人間に何かを期待しはじめると、必ず悪魔が働く。

誰かに頼ると、その頼った相手に悪魔が入る。

借金をすると、貸主に悪魔が入る。

貸主は、借金を通じて、こちらを支配しようとする。

幼少期に親の愛情が欠如していた人は、大人になってその穴埋めをしようと、誰かに愛情を求める。

しかし、そのような人を探しても、愛情を与えてくれる人を見つけるのは難しい。

だいたいの人が自分を「うざい」と感じるだろう。

愛を求めて際限なく旅を続ける人生はむなしい。

解決は、神に求めることである。

神はこちらの訴えを無限に聞いてくださる。

人間ならば普通、3、4回同じ失敗をすると縁を切られるが、神は何度でも赦してくださる。

われわれは、イエスのように、三位の神の社会の中で完結できなければならない。

被造物に依存しない。

被造物に依存すると、偶像礼拝者になる。

近所に、玄関先に「勲〇等〇〇褒章受賞」と書いた紙を掲げている家がある。

普通の人からすれば、誰がどんな勲章をもらったかなど関心がない。

自分が自慢しているものなど他人からすれば「へ~、すごいね」くらいのものでしかない。

こんな地上で完結するような人生は送りたくない。

神から報いを得られるならば、その報いは永遠に続く。


人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。(マタイ6・1)


われわれが求めるべきは、もっぱら「天におられるあなたがたの父からの報い」である。