神経症、摂食障害、鬱の体験者の話を聞いていると、私には「霊的現象」としか思えない。
母親が強迫神経症で、家から出られない。自分で作った決まりを破ることができず、家族全員が巻き込まれ、子供時代3年間風呂に入ることができず、家に閉じこもり、髪の毛がお尻のところまで伸びていた、という人の話。
https://www.youtube.com/watch?v=b-bzItAW-Ks
すべて悪霊による「縛り」である。
悪霊は、ノンクリスチャンに対して支配権を持っているので、ノンクリスチャンは、イエスに対する信仰を持つ以外に、この縛りから解放されない。
クリスチャンは「イエスにあって」悪霊をも支配する地位にあるので「悪霊よ、この部屋から出て行け!」とか「病よ、〇〇さんの体から出ていけ!」と「イエスの御名によって」命令できる。
悪霊は、われわれをも縛ろうと隙を狙っている。
われわれは、霊に対して、絶対に「お人好し」「弱気」になってはならない。
彼らは、われわれの正義感や罪責感すらも利用する。
私は、床の上に少しのゴミや塵も放置することが嫌いである。
悪霊は、この性質を利用して、私を縛ろうとする。
潔癖症にして、汚れやゴミに振り回される生活を送らせようとする。
クリスチャンになるということは、「合理的な人間」になることである。
われわれは、クリスチャンになると、「過剰な潔癖」や「過剰な正義」に振り回されることなく、「適度」を保てる人間になったのである。
なぜならば、われわれは、イエスとともに「被造物に対する王」になるからである。
われわれは、被造物に振り回されることはない。
被造物を支配し、管理する立場にいる。
イエスが「律法と預言者(つまり、旧約聖書)」を成就してくださったので、アダムに与えられた「地を従えよ」の命令は、紀元70年にイエスによって「完全成就」した。
それ以降、イエスは「被造物に対する完全支配の権威」を持っておられる。
われわれは、信仰によってイエスの嫁である教会(エクレシア)の細胞になった。
それゆえ、われわれはイエスにあって被造物の王である。
われわれが被造物に振り回されることは絶対にない。
われわれは、金銭から自由である。金銭の奴隷になることはない。
われわれは、アルコールから自由である。アルコールの奴隷になることはない。
われわれは、タバコから自由である。タバコの奴隷になることはない。
われわれは、過剰な健康オタクであることから解放される。なぜならば、「自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり・・・してはいけません」と言われているから。
だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6・25-34)
「いのちは食べ物よりたいせつなもの」である。その「いのち」は、「天の父」が心配してくださる。
「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださる」
自然に生きている「空の鳥」にいのちがあるのは、「天の父」が「養っていてくださる」からである。
延命の心配は無駄である。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
異邦人には、いのちの心配をしてくれる「天の父」がいないので「何を食べるか」心配する。
しかし、われわれには、われわれのいのちについて心配してくださる御父がおられる。
だから、われわれは健康について、過剰な心配をする必要がない。
われわれが注意を集中すべきは「神の国とその義」である。
これに意識を集中すれば、健康は与えられる。
かといって、暴飲暴食はできない。
われわれは健康維持に関する「適度の」注意は必要である。
これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のためにも、少量のぶどう酒を用いなさい。(1テモテ5・23)
クリスチャンになれば、被造物によって振り回されることはない。
悪霊によって蹴り回されることもない。
むしろ、悪霊を蹴り回す側に回れる。
「イエスの御名によって、悪霊どもよ、底知れぬところに行け!」と命令できる。