1.


伝道は必要だと思います。
ですが、未宣教のまま生きて死んでいった人々は死後どうなるのでしょうか。パウロは自然そのものが(唯一の)神の存在を証していると主張します。ならば神を信じなかった過去の日本人はみな地獄に行く運命なのでしょうか。ザビエルか来る以前に生きていた日本人はどこへいくのでしょうか。そして中絶された幼子はどこへ行くのでしょうか。


まず、前提として、次の事実を確認する必要があります。


神には、人を救う責任がまったくない。
人は、自分の罪のゆえに死に、永遠に滅びる。
この世界は、神を中心に回っており、人間はその神の役者として自分の役を演じるようにあらかじめ定められている。
救われることによって神のシナリオを実行する人もいれば、滅びることによってそれを実行する人もいる。
どの役割を割り振られるかは、神の完全な自由意志による。


ですから、福音が伝えられていないままに死ぬ人々に対して、神は責任を果たしていないということにはなりません。

神は人を誘惑することはないので、人は自分の意志によって罪を犯し、その罪のために刑罰を受ける。

ある強盗が、貴金属店に押し入って商品を盗むときに、店主や店員、たまたま店にいた人、通りを歩いていた人、100メートル離れたところにいた人、100キロメートル離れたところにいた人・・・は、その犯罪に対して責任がありません。

犯人は自分が犯した犯罪のために処罰されますが、それ以外の人にはいっさい責任がありません。

もちろん、神に責任があるはずもない。

神や犯人以外の人に、犯人を救う責任はない。

これと同じように、罪を犯す人は、その罪について自分に責任があるのであり、神には救う責任はない。

「いや、神はすべてのことをあらかじめ決定されているのだから、この強盗の犯行も計画のうちにあったはずだ。だから神に責任がある」という人がいるかもしれません。

しかし、神による「堕落の抑制」は、神の恵みであって義務ではありません。

ピンボールが下に落ちていくのを、左右のバーで打ち返すのは、打ち返す人の自由であって、義務ではありません。

イエスは、ペテロが堕落しないように抑制されました。


シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22・31-32)


しかし、ユダについては抑制されませんでした。


彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼に入った。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」(ヨハネ13・27)


この命令は許容であって、強制ではありません。なぜならば、神は誘惑されるかたではないからです。


だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。(ヤコブ1・13)


ペテロは救われることによって神の栄光を表す器として予定されていましたが、ユダは滅びることによって神の栄光を表す器として予定されていた、ということがわかります。

2.


ならば神を信じなかった過去の日本人はみな地獄に行く運命なのでしょうか。ザビエルか来る以前に生きていた日本人はどこへいくのでしょうか。そして中絶された幼子はどこへ行くのでしょうか。


日本にはかなり初期からキリスト教が入っていました。

東大名誉教授江上波夫氏によると、紀元2世紀に原始キリスト教徒が来日したそうです。

キリスト教徒である秦氏は3世紀に来日し、日本文化の基礎を築きました。

さらに、旧約聖書のキリスト教は、物部氏が紀元前3世紀に導入し、古神道を作りました。神社は、エルサレム神殿と構造が酷似しています。

7世紀まで日本はキリスト教であったと私は考えています。

ザビエルの属していたイエズス会は、偽装キリスト教です。

創始者イグナチウス・デ・ロヨラは、アランブラドス(スペイン語で「イルミナティ」の意味)というグノーシス主義秘密結社に属していました。

中絶された胎児についてはわかりません。神が特別な恵みを与えておられるのかもしれませんが、聖書に啓示されていないので不明です。

3.


まだ疑問はあります。例えばイスラム教やバハーイー教、など唯一の神を崇める宗教があります。自然を通して唯一の神を認識した人々が、これらの宗教に帰依しても地獄に行くのでしょうか。特にイスラム圏ではイエスはイーサーと呼ばれ、その本質は人間であり、アッラーフの預言者の一人であるという虚偽が流布されていて、イエスを信仰する障害は大きく、むしろ自然に唯一の神を見出す人々はアッラーフに深く帰依することになります。かれらはかれらなりに自然の啓示を解釈しています。ヤハウェ=エル=エロヒム=アッラーフとムスリムは考えていますから、一概に偶像崇拝とは言えません。そもそも彼らイスラム教徒は生まれてから一度も福音宣教を受けないでしょう、なぜならイスラム圏で宣教すれば死刑だからです。未宣教のイスラム教徒は地獄に行くべきでしょうか。


(1)

救われるための条件は「唯一神を信じること」ではなく「人として来られた神であるイエスを救い主、主として受け入れるか」です。

キリスト教は、同じ一神教でも、三位一神教であり、イスラム教などの一位一神教ではありません。

キリスト教の神は三人(父子御霊)おられます。これらの神々が、互いに契約を結んで法人を形成し、一人の神として行動されています。

多くの社員がいても、〇〇社として単一の人のように振る舞うのと同じです。

キリスト教の神以外において、「多様性と統一性」を調和させることはできません。神において多様性も究極であり、統一性も究極です。

どちらが先で、どちらが後、ということはなく、三位が永遠の昔から存在し、三位は永遠の昔から単一の法人として存在されます。

この神が創造された世界において、多様性も統一性も究極です。

人種は一つになる必要はありません。多様であってよい。

人類は人種によらずに「一つ」になるべきです。

一人の神を拝み、その神の栄光のために働くべきです。

(2)


ヤハウェ=エル=エロヒム=アッラーフとムスリムは考えていますから、一概に偶像崇拝とは言えません。そもそも彼らイスラム教徒は生まれてから一度も福音宣教を受けないでしょう、なぜならイスラム圏で宣教すれば死刑だからです。未宣教のイスラム教徒は地獄に行くべきでしょうか。


たしかに、イスラム教の土台にはキリスト教があると思います。

ただ、聖書の定義によれば、イエスを仲介者として持たなければ、その神は真の神ではありません。


彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。(マタイ17・5)

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」(使徒の働き4・12)

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14・6)


イスラム圏に住む人々は、救われるには、圧倒的に不利な環境にいると思います。

しかし、神は救いに予定された人々に福音を届けるために伝道者を送られます。

それは、奇跡的な方法によるかもしれません。

共産圏においても、救われる人はいました。神に不可能はありません。

(3)


まだ疑問はあります。例えばイスラム教やバハーイー教、など唯一の神を崇める宗教があります。自然を通して唯一の神を認識した人々が、これらの宗教に帰依しても地獄に行くのでしょうか。


イエスを救い主として信じない限り、人は救われません。

4.


まだ疑問はあります。統合失調症や自閉症、強迫性障害に人格障害などの精神が神を認識する能力を失っている人々は死後にどうなるのでしょうか。

特に統合失調症の人は精神が荒廃して日常生活もできません。友人や家族、学業や仕事に恵まれた人々は健康に暮らし、余裕をもって自然を観察して神を認識し、福音宣教を受ければそれを快く受け入れ、洗礼を受けて献金や礼拝を欠かさず行えるでしょう。ですが、精神が病んだ人はすべてを失い、見放されたうえで、そのう上で福音すら自身への攻撃だとみなすでしょう。統合失調症は被害妄想と幻聴、うつ傾向が大きいのです。そして宗教を激しく敵視しやすい傾向にあります。宗教以外にも政治、科学、公共機関、インフラを敵視します。


聖書のガダラの狂人の話が精神の病について示しているかもしれません。

人々が押さえることができず、自傷行為をし、荒野でしか生活できなくなっていました。

イエスが来られて「悪霊ども出ていけ」と言われると、中に入っていた無数の悪霊が豚の大群の中に入り、その豚が崖を駆け下りて溺れて死んだと記されています。

出て行った後、彼は、おとなしく座っていました。

人間は、家のようなものとして作られており、霊がその主人として住んでいます。

悪霊は、人間の中に入ることを常に狙っています。なぜならば、人間を道具として利用し、世界を地獄と化したいからです。

何らかの欲望を通じて悪霊は入る隙間を作ります。何度か罪を犯すたびにその穴は大きくなり、最後には自由に出入りできるようになります。


自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。(箴言25・28)


自制心が欠如すると、悪霊が自由に出入りできるようになります。

除霊の後に、心という部屋を御霊で満たしていないと、悪霊が自分よりもっとひどい悪霊をたくさん連れて戻ってきます。


汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
そこで、『出て来た自分の家に帰ろう』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。(マタイ12・43-45)


様々な精神障害は、悪霊によって引き起こされています。

イエスという名前を言うだけで、そういう障害を持つ人は嫌がったり、心を騒がせたりします。

ある人は、私がイエスと言いかけると「やめてください!!」と掌をこちらに向けて叫びました。

悪霊がやりたいことは、コントロールです。

取り憑いた人々を思いのままにコントロールしたいのです。

心の城壁が取り除かれてしまった人は、もはや社会生活はできません。

万引きを重ねているうちに、自動的に手が出るようになります。

累犯の性犯罪者は、自分の意志と無関係に性犯罪を犯すようになっています。

中国から金をもらうような政治家は、罪の恐ろしさを知らない間抜けです。

罪を犯す人は、罪の奴隷であって、そのような汚い金を受け取ると、自分の精神も徹底して支配されるようになります。

そういう人にとっては、白が黒に見え、黒が白に見えます。

倫理の感覚が麻痺しているので、物事が逆に見えています。

悪霊の支配から解放されるには、イエス・キリストを主として受け入れ、徹底的に心の中にいる悪霊を追い出し、御霊に満たされる以外にはありません。

5.


統合失調症患者は日曜礼拝すらできないでしょう。牧師の説教も聖書の言葉ではない別の悪意ある嘲笑や脅迫に聞こえますし、讃美歌は音波で攻撃されていると考えるでしょう。教会という集団の中で適切なコミュニケーションすら取れませんし、献金を要請されれば、搾取されていると考えて怒るでしょう。イエスに捧げるバンドの歌を聞いた日には、バンドが上を見上げて歌っているのを見て、自身の幻聴や幻視、狭まった思考が(だれかに監視されている、集団でストーカーされている)が強化されるでしょう。彼をストーキングする加害者に天使やイエスが加わるのです。


これは、完全に悪霊の支配下にいる人の心理です。

心の中が狂気で満ちています。

イエス・キリストによって追い出していただく以外にはありません。

紀元70年頃の再臨以降、キリストが世界の全権を掌握しています。

そして、イエス・キリストを信じる人々は、悪魔に勝利します。


なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(1ヨハネ5・4-5)


すでにサタンはキリストの軍隊の捕虜になっているので、この地上を支配する権限を失っています。

絶対的信仰を持つことによって、サタンの支配から全的に解放されます。

悪霊のコントロールにいる人々の特徴は「不信仰」です。

なんやかや理由をつけて、キリストの主権や力を認めようとしません。

その不信仰がある限り、サタンはその人の心に自由に出入りし、ものすごい強制力の強い悪霊を連れて入ってきます。

少しの不信仰、ちょっとした思い、一瞬の迷い、一言の愚痴、・・・

こういうマイナス思考が、自分をダメにします。

悪霊は、わずかな隙間を狙っているからです。

解放は、ただひたすらに「強固な意志と決意と持続力」です。

「鳥が頭に止まるのは仕方がないが、巣を作ることは自分の責任だ」

とよく言います。

聖書と異なる考えが浮かんだら、即座に切り捨て、二度と自分の頭の中に入らないように徹底防衛しなければなりません。


統合失調症患者はとても福音を信じにくいです。不可能とは言いませんが。しかし彼らが地獄の火に投げ入れられる悪を犯す能力があったかというと、いち人間の身で極めて僭越ですが、能力はないのです。貴方様はどうお考えですか。私もいまだに心療内科に通っていて、患者である彼らが地獄になすすべなく行くのなら、どうすればいいのか、などと情けないことを考えてしまいます。


繰り返しになりますが、鍵は「強固な意志と決意と持続力」です。

精神障害の方々は、大変な試練に遭っておられます。

しかし、だからといって、その心において考えることや行動に責任はない、とは言えません。

あらゆる不信仰や不道徳、神の法を犯す行為は、裁きの対象となります。

しかし、解決はあります。救われる道は必ずあります。

それは、「聖書に書かれていることは絶対に正しい。神が行われることは絶対に正しい」という二点を徹底して自分の思考や行動の様式に組み込むことです。

すでに、かなり悪霊の自由を許してしまっているので、戦いは熾烈でしょうが、できるところからコツコツとやるしかありません。

おそらく、悪霊の願いどおりに思う癖がついていると思います。

たとえば、妄想とか。

妄想が起きたら「これは悪霊が吹き込んでいるのだ。抵抗しなければ。イエス・キリストの御名によって命令する。妄想を入れるな!底知れぬところに行け!」と命令するしかない。

それを何百回も何千回も行う。

御言葉と矛盾することを考えたら、それを徹底的に否定し、正しい考え方が身につくまで徹底して御言葉を反復する。

私も今、ものすごい戦いの中にいます。

祈っても祈っても、DSの攻撃が弱まらない。

次々と反キリスト的な政策が出てくる。

日本を破壊するような政策を政府が行う。

とくにトランプの敗北以来、日米でひどい。

こういう逆境において、どのような心でいるべきか。

問答無用に「あなたの語ることは絶対に正しい。聖書は神の言葉であり、絶対に正しい。あなたの行われることは絶対に正しい。すべてにおいて、あなたの御心に賛同します!」と唱えることです。

このことをせずに、自分の気持ちに流され、自分の思いたいように思うならば、地獄が待っています。

要するに、精神的な問題を抱えている人は、意志が弱い。

御言葉という土台がないので、簡単に水が来たら流される。

悪霊のコントロールに翻弄され、自分の人生を台無しにされる。

悪霊が違うことを言ったら「うるさい!お前に私を支配する権威はない!イエス・キリストの御名によってお前を縛る!底知れぬところに行け!」と「心で固く信じつつ」叫ぶことです。