難解と思われる箇所について解説します。
アブラハム・カイパーは再生者と非再生者の対立は、けっして「信仰と理性の対立」ではなく、再生者の自己意識と非再生者の自己意識の相違にあることに着目し、「2 種類の人間」と「2 種類の科学」の主張に画期的な「対立の原理」を見出した。
1.ここで再生者とはクリスチャンのことを、非再生者とはノンクリスチャンのことを指す。
「再生者」=再び生まれた人。
イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」(ヨハネ3・3-8)
2.
「信仰と理性の対立」ではなく
「クリスチャンとノンクリスチャンの認識の違いは、前者が『信仰』に頼り、後者が『理性』に頼る点にある」という考えは間違いである。
クリスチャンは、信仰のゆえに理性を犠牲にする人ではない。
クリスチャンが奇跡を信じるのは、理性的であることを捨てたからではない。
なぜクリスチャンは「死人の復活」を信じられるのか。
クリスチャンは、「この世界は自然の力や法則を超越した神によって創造され、維持されている」という世界観を持っているので、「神は通常の自然の力や法則を超越したこと―奇跡―を行える」と結論する。
ここでクリスチャンは理性を捨てただろうか。ノー。
クリスチャンの立場は、首尾一貫している。
「ノンクリスチャン=理性主義、クリスチャン=非理性主義」という図式は間違っている。
3.
再生者の自己意識と非再生者の自己意識の相違
クリスチャンとノンクリスチャンの違いは、「自己意識の違い」である。
クリスチャンは世界を含む自己を「創造者なる神を中心として見る」。
クリスチャンは、聖書啓示にしたがって、自分自身と世界を「神がご覧になるとおりに見る」。
それゆえ、クリスチャンの自己認識は、「神の追認識」である。
クリスチャンは、自分独自の視点を持たない。
神の視点に立って、自分を認識する。
ノンクリスチャンが自分自身を「神から独立した自律的存在」と見るのに対して、クリスチャンは「神に全的に依存する依存的存在」と見る。
クリスチャンとノンクリスチャンは、存在目的という点でも完全に異なって自己と世界を見るので、「まったく異なったレンズを通して見ている」。
それゆえ、ヴァン・ティルは「二者に共通の認識的土台はない」と言った。