ノアの妻とその子たち及びその妻たちは、ノアの信仰のゆえに救われた。


主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」
しかし、ノアは、主の心にかなっていた。
これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。
地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。
神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。
そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。
あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。
それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト。
箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。
わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。
しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟に入りなさい。(創世記6・5-18)


ノアの信仰のゆえに、息子たちが救われるのは理解できる。

なぜならば、息子たちはノアと血縁関係にあるから。

しかし、なぜ赤の他人であるノアの妻、そして、息子たちの妻が救われたのか。

契約である。

ノアの妻は、ノアと結婚契約を結んで一心同体となっていたので、ノアの信仰にあずかって救われた。

ノアの息子たちの妻は、ノアの血縁である息子たちと結婚契約において一心同体となっていたので、救われた。

ここから理解できるように、結婚契約によって、嫁たちは血縁がないのにもかかわらず、ノアの家のメンバーとして受け入れられていた。

存在論的には他人である人が、結婚契約によって、他人ではなくなる。

ノアが受けるべき報いを、ノアの嫁と、息子たちの嫁も受けることができた。

これと同じことが、「神の社会」とクリスチャンについて言える。

御父と御子と御霊の間には、永遠の昔から、愛と栄光の関係があった。


父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。(ヨハネ17・24)


この三位の間の絶対的な相互関係の中に、われわれも入ることができる。

どうやって?

イエス・キリストの嫁になることによって。

信仰とバプテスマによって、われわれは教会(エクレシア)の一員となる。

教会は、イエス・キリストの嫁である。

それゆえ、イエス・キリストに与えられる栄光と愛は、教会にも与えられる。

なぜならば、結婚契約を通じて、イエス・キリストと教会は一心同体だからである。

御父は、御子を受け入れられるので、御子の嫁である教会をも受け入れられる。

御子の嫁である教会は、旧姓を捨てて、夫であるイエス・キリストの姓を名乗っている。

つまり、その姓は御父の姓である。

自分の父親の姓を捨てて、こちらの姓を名乗る嫁を、息子の父親は自分の娘として受け入れる。

それと同じように、御父は、自分の姓を捨てて夫の姓を選び取ることによって、御父の家に入ることに同意した嫁である教会を、快く受け入れてくださる。

教会は、神の家族に加えられたのである。

われわれがクリスチャンになるということは、神の家族の中に入ることを意味する。

御父と御子と御霊は、われわれをご自身の運命共同体の一員として受け入れてくださったのである。

イエスは、突風が吹いて波をかぶるような舟の中で眠っておられた。

なぜか。

御父と御子と御霊の社会の一員としての確信があったからである。

この社会の一員となっている教会も、同じように確信を持つべきである。

人間世界の動乱に心を乱されるのではなく、常に、神の社会の一員としての自覚を持ち、心を平静に保つべきである。