1.
「聖書にこだわる必要はない。自分の考えにしたがって生きてもよい。」
このように言うと「人類共通の不動の基礎」が失われる。
神はモーセに対して、自ら石を切り出し、ご自身の指でその上に文字を記された。
それが十戒である。
この十戒の板は二枚あった。
神用に一枚、人間用に一枚、同じ文言が記されていた。
つまり、これは契約書であった。
神が自らの指で記された以上、人間が変えることはできない。
この十戒こそが、神と御民の間の「前提」である。
何事もそこから出発すべきスタートラインである。
人間はその文言を疑うことが許されない。
「盗んではならない」という戒めに対して「なぜ?」とは言えない。
「私はそう思わない。金持ちからは累進課税制度によって盗んでもいい。」という共産主義者は、「前提」を崩したので、自らを「法制定者」、つまり、神にした。
神は、ご自身に並び立つ者を許されないので、彼は必ず裁かれて永遠の刑罰にあう。
十戒だけではなく、神の御言葉である聖書66巻全体が「前提」であり「スタートライン」である。
それを侵すことはできない。
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。(黙示録22・19)
それゆえ、「聖書を前提とせずに議論をしましょう」と言ってくる人に対して、われわれは「そうですね。互いに共通する基盤から議論を開始しましょう」と言ってはならない。
聖書以外に「共通する基盤」はない。
聖書を前提としようとしない相手に対しては
「私は、聖書が不動の礎であり、動かすことができないスタートラインであると認めています。そして、それを否定するならば、自分が『勝手に善悪を決める者』となり、永遠の刑罰にあうのでそれをしません。」
と断るべきである。
「では、ノンクリスチャンと議論はできないではないか」という人に対して、「そうです。議論しても無駄です」というしかない。
われわれができることは、聖書を否定する人々に対して、神が正しく裁いてくださるように祈ることだけです。
そもそも、ノンクリスチャンであっても、神について、聖書について知識がある。
それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ1・1
9-20)
「神が明らかにされた」以上、彼らは「私にとって神が存在するか、世界が神によって創造されたのか、聖書が神の言葉であるのか、不明です」とは言えない。
彼らがそのように言うときに、彼らは嘘をついている。
だから、クリスチャンは「そうですね。まずそれらについて証明しなければなりませんね」と言ってはならない。
逆に「あなたは、神を知っているはずです。あなたは嘘をついていますね」というべきである。
それゆえ、聖書を否定する進化論のようなものを受け入れるクリスチャンは、信仰を捨てたのである。
六日創造説を受け入れないクリスチャンも信仰を捨てたのである。
「六日創造説?そんな非科学的な考えを受け入れたら学界から追い出されます」という学者は、信仰を捨てて、サタンの軍門に降ったのである。
「私の主は、学界です」と告白したも同然である。
それゆえ、クリスチャンの学者は、学界において出世することを放棄しなければならない。
ノンクリスチャンの学者も学界も「六日創造説が正しい。進化論は間違っている」と知っている。
「それは神が明らかにされた」からである。どんなに否定しても、神は彼らを追いかけて明白な証拠をつきつけ給う。
だから言い逃れはできないのである。
「進化論は正しい」と彼らが言うと、神は彼らの目の前に進化が間違いである証拠をつきつけ給う。
それに対して「そうです。神様、あなたが聖書の中で述べたことは正しい」と折れるならば、救われるが、折れないならば、永遠の刑罰にあう。
自分を宇宙の主権者に仕立て上げたからである。
2.
それゆえ、われわれの立場は、聖書信仰しかない。
聖書に記された神の御心を絶対とし、聖書と矛盾したことをいっさい拒否する姿勢がなければ、その人の信仰は無に等しいし、彼または彼女が行うミニストリなるものも、すべて砂上の楼閣である。
一生涯を費やして、懸命に努力し、巨大な会堂を建てても、全部無駄になる。
「聖書に矛盾すること」を頑固に主張する人の名前は、いのちの書から消される。
わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者が入るのです。
その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』(マタイ7・21-23)
3.
バイデンの就任式を見て、こんな方法で大統領になってもいったい何の意味があるのか、と思った人も多いだろう。
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイ16・26)
全世界を手に入れても「まことのいのち」を失ったら、永遠に地獄の底で苦しむしかない。
どんなに反対に遭い、世の人々から憎まれ、無視されても、聖書を前提とし、スタートラインとして受け入れるしかない。
それ以外に「まことのいのち」を保つ方法はない。