「また、預言者や聖徒たちの血、および地上で殺されたすべての人々の血が、この都の中に見いだされたからだ。」

エルサレムは、神の和解の使者である預言者を殺す町であった。


ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。(マタイ23・37)


「預言者や聖徒たちの血、および地上で殺されたすべての人々の血」

これは、預言者や聖徒のいたイスラエルにおける殺人だけではなく、全地において犯された殺人に対する報復を示唆する。

神は、エルサレムに対する刑罰をイスラエルの罪には限定しておられない。

このことは、次のイエスの御言葉においても表現されている。


だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。
それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復がおまえたちの上に来るためです。(マタイ23・34-35)


「義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで地上で流されるすべての正しい血」

つまり、エルサレムへの刑罰は、イスラエルで起きた殺人に留まらず、エデンにおける殺人に始まる「地上で流されるすべての正しい血」に対するものでもあると。

イスラエル人は神の民として「祭司」の働き、つまり、祝福のとりなしをするはずであった。


あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される

あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。(創世記12・3、26・4、28・14)


イスラエル人は、「宝の民」(申命記7・6)であり、「祭司の民」であり、契約と律法によって他の民族が知らない様々な知識と祝福を受けてきた。

しかし、彼らは、その特権を他の民族を祝福するために用いるのではなく、偶像礼拝と不道徳を他の民族に拡散し、真の神の教えを迫害するために悪用した。

エデン山の中腹にエデンの園が置かれ、そこから4本の川が流れ、全地に広がっていた。

これは、アダムが「神の祝福の仲保者」として造られたことを意味する。

イスラエルは同じように、神の山の中腹におかれ、祝福の水を他のすべての民族に与える使命を帯びていた。

それなのに、彼らは逆のことをした。

毒の水を流したのである。

今日のタルムードユダヤ人が、戦争産業やポルノ産業、麻薬産業、偽宗教、共産主義などを通じて、全世界の民族に悪影響を与えているように、紀元1世紀においても、彼らは同じことをしていた。

それゆえ、彼らは全世界の民族を堕落させ、呪いのもとにおいた責任を負っていた。

タルムードユダヤ人は、日本をABCD包囲網によって追い詰め、対米戦争に引き込み、原爆を落とし、無辜の市民を虐殺し、戦後、日本国憲法を作って武装解除し、二度と自分たちに逆らえないようにタガを嵌めた。

さらに酷いことには、3S政策(スポーツ、セックス、スクリーン)や教育勅語の廃止を通じて、日本人を堕落させてきた。

(参考・モルデカイ・モーゼ著『日本人に謝りたい - あるユダヤ人の懺悔』)

マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』の中でこう述べている。


共産主義は永遠の真理を消し去り、すべての宗教とすべての道徳を破壊する。


共産主義を通じて、どれだけロシア人と中国人が道徳的に破壊されたか。

ユダヤ人は、祭司の民として造られた民族であるため、本来の働きをせず、サタンに支配されると、サタンの祭司として超自然的な力を得、他の民族に対して超自然的な影響力を持つことになる。

ローマ・カトリックだけではなく、プロテスタントも、彼らに乗っ取られ、その工作によって骨抜きにされてきた。

http://millnm.holy.jp/...

「アベルの血」の責任をなぜ問われなければならないのか、と言う人がいるかもしれない。

なぜならば、当時、イスラエル民族はまだ形成されていなかったからと。

それは、彼らに聖書が与えられたからである。

カインがアベルを殺したことを知っているのは、イスラエル人だけであった。

この物語を通じて彼らは教育され、教訓を得、律法の知識を得ていたからである。

それにもかかわらず、カインと同じように義人を殺したならば、その罪を共有することになる。

エルサレムが「地上で流されるすべての正しい血の報復」を受けなければならなかったのは、「祭司の民」としての大きな責任のゆえである。