AD70年の来臨を再臨と見るかどうかはプレテリズムと非プレテリズムを分ける要素ではないと思います。むしろ、富井先生がサイトに残しておられるひと昔前の定義ではFPとPPを分ける重要な要素の一つでした(復活と再臨が既に起こったといえばFP。ですが、キリストを信じたときに「第一の復活」を経験するというのは、ほとんどの教派が教えてきたことです。また、AD70年の出来事をキリストの来臨と見る考え方は、大半のアミレとポストミレに共通しています)。


私がフルプレテリズムとパーシャルプレテリズムを分ける基準と考えているのは、次のとおりです。


フルプレテリズム―一回限りの再臨を想定し、それがすでに紀元70年に起きた
パーシャルプレテリズム―一回限りの再臨を想定せず、紀元70年に起きたものと、世界の終末に起きるものとがあるとする(二重再臨)


実際、フルプレテリストは「第二の再臨はない」と言っています。
二重再臨については、チルトンの「二重の聖め」の適用として、かなり前から述べてきました。
「復活と再臨が既に起こったといえばFP」と言ったのは、フルプレテリストの再臨が「紀元70年に起きた一回限りの再臨」を指しているからです。
彼らは「紀元70年の再臨において、すべてが完成し、黙示録はすべて成就し、大宣教命令も成就した」と述べるので反対したのです。
「復活がすでに起きた」と述べるフルプレテリストの教理に反対したのは、彼らが「今われわれが持っている体は復活体である」と述べていると考えられたからです。これは、日本人のフルプレテリストとの議論で理解したことで、他のフルプレテリストがどのような見解を持っているかは確認していません。


AD70年の来臨を再臨と見るかどうかはプレテリズムと非プレテリズムを分ける要素ではないと思います。


従来のカルヴァン派の歴史主義(ヒストリシズム)は、紀元70年の来臨を「来臨」と呼び、「再臨」とは区別しています。そのため、1コリント15・20-28の「再臨(パルーシア)」を「終末の再臨」と考え、それをすでに起きたものとは考えてきませんでした。
私は、紀元70年の来臨を「再臨」と考え、1コリント15・20-28の「再臨」はこのことを意味するのが妥当だと考えます。


AD70年の出来事をキリストの来臨と見る考え方は、大半のアミレとポストミレに共通しています)。


たしかに無千年王国論者と後千年王国論者は来臨と考えてきましたが、しかし、世界の終末に訪れる「再臨」とは区別しています。すでにご紹介したフーケマの次の発言がそのことを示しています。


”1.キリストは、罪と死と悪魔に対して決定的に勝利された。罪のない人生を送り、罪の贖いの犠牲として十字架上で死ぬことによって、キリストは罪を滅ぼされた。キリストは死と、墓からの勝利のよみがえりを通じて、死に勝利された。悪魔の誘惑を拒絶し、神に完全服従し、死んで復活されたキリストは、サタンとその邪悪な軍勢に致命的な一撃を加えられた。キリストのこの勝利は決定的かつ最終的なものだった。それゆえ、歴史上最も重要な日は、今なお未来に起きるキリストの再臨ではなく、過去に起きた最初の来臨である。キリストの勝利によって、歴史の最終的な問題はすでに解決されている。その勝利が最終的に達成されるのは時間の問題である。”
1. Christ has won the decisive victory over sin, death and Satan. By living a sinless life and by dying on the cross as the sacrifice of atonement for our sin, Christ defeated sin. By undergoing death and then victoriously rising from the grave, Christ defeated death. By resisting the devil’s temptations, by perfectly obeying God, and by his death and resurrection, Christ delivered a deathblow to Satan and his evil hosts. This victory of Christ’s was decisive and final. The most important day in history, therefore, is not the Second Coming of Christ which is still future but the first coming which lies in the past. Because of the victory of Christ, the ultimate issues of history have already been decided. It is now only a question of time until that victory is brought to its final consummation.
(Amillennialism: A Brief Sketch of Amillennial Eschatology" by Anthony Hoekema)