神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創世記3・14-15)


これは「原福音」と呼ばれる箇所である。

「彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

ここで「彼」とはキリストを指す。

「おまえ」とは、もちろんサタンである。

つまり、この聖句は「キリストはサタンの頭を踏み砕き、サタンは、キリストのかかとにかみつく」と言い換えることができる。

さて、イエス・キリストは「律法や預言者」を成就するために来られた。


わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(マタイ5・17)


「律法や預言者」は旧約聖書を指す。

キリストは、旧約聖書を成就するために来られた。

そして、それを成就された。


さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」(ルカ24・44)

この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。
イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。(ヨハネ19・28, 30)


ということは、「原福音」も成就された。

つまり、「キリストはサタンの頭を踏み砕」かれた。

サタンの頭は「すでに」踏み砕かれている。

踏み砕かれていても「かかとにかみつく」ことはできる。

それゆえ、「完全に活動停止になっている」ということではない。

サタンは、「頭を砕かれている」ので、彼の力は著しく限定されている。

ここから、われわれは、「十字架上で、イエスはサタンに瀕死の重傷を負わせ、勝利された」ということを知る。

サタンはイエスを十字架につけて、勝利した気になっていたが、実は自分が敗北したことに気づいた。

さらに、紀元70年の再臨において1コリント15・20-28が成就したため、その敗北が決定的なものになった。


しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。
「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。(1コリント15・20-28)


紀元70年に「キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼ」された。

これは「法的勝利」である。

つまり、「あらゆる支配と、あらゆる権威、権力」は「法的に滅亡した」。

サタンとその陣営は、法的に滅んでおり、実際的に滅びるのは、時間の問題である。

それ以降の時代(つまり、新約時代)は、キリストの陣営による、瀕死のサタンとその手下に対する掃討作戦遂行の時代である。

クリスチャンが、イエスの御名によって戦うならば、サタンは「必ず」負ける。

瀕死の敵であっても、戦いは容易ではない。

病気を完治するのが大変であるように、相手はしぶとい。

根気と忍耐が必要である。

しかし、信仰があれば、最後に勝利する。

信仰とは「法的事実」を見て、それが「実際的事実」に変わることを信じることである。

信仰の人は、現状を見て判断しない。

「それは、現実的ではない。もっと地に足をつけるべきだ」とサタンはつぶやく。

違う。

もし聖書が「紀元70年にすでに世界はキリストのニュー・ワールド・オーダーに変わっており、そこにおいてサタンはいかなる権力も保持していない」と述べているならば、「そのとおりです!われわれは勝利します!」と言うべきだ。

神が「カナンの地をあなたがたに与えた」と言われたときに、「そうです!その地はわれわれのものです!戦って勝ち取りましょう!」と言ったのは、ヨシュアとカレブだけだった。

他のイスラエル人は現実を見て気落ちした。

彼らは40年間荒野をさまよってついにヨルダン川を渡ることを許されなかった。

実際に、勝利し、地上を獲得できるのは、神の法的勝利宣言を信じるクリスチャンだけである。

「現実を見てください!911に311、ビル・ゲイツのID2020プロジェクト・・・。これらを見て、まだ勝利できるなどと信じることができるでしょうか?再臨を待つしかありません。そのとき、クリスチャンは携挙され、大患難を回避できるのです!」という人は、勝利できず、荒野で滅びる。


信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。(ヘブル11・6)