またお邪魔します。 明確になった部分ができると、同時に疑問もわいてきます。 Verily I say unto you, This generation shall not pass, till all these things be fulfilled. マタイ24章のこの言葉をまじめに受け止めるがゆえに再臨・復活・携挙が1世紀に起こった、となるわけですが、復活・携挙はシーケンシャルで、おまけに「それ以外の死人」は千年の後で蘇ることになっているので、復活の予言がAD70年に「成就した」、つまり「すべて起こってしまった」とは言えないのではないでしょうか。
イエス・キリストの再臨は「法的秩序の確立」であり、それは紀元70年に成就しました。
これは、法案が通って法律が施行できる状態になったのと同じです。
紀元70年以降の復活と携挙は、その法秩序の「実際化」です。
「すべて起こってしまった」は「ニュー・ワールド・オーダーの法的確立がすべて完了した」という意味であって「ニュー・ワールド・オーダーの実際的な施行がすべて完了した」という意味ではありません。
千年の後に復活する「それ以外の死人」はノンクリスチャンです。
紀元70年に完了したのは「クリスチャンはシーケンシャルに復活し、ノンクリスチャンはシーケンシャルには復活しない体制の法的整備」であって、その「実際的施行」ではありません。
百歩譲って復活・携挙の大事な部分が成就したと捉えるとしても、再臨はその1とその2に分かれているので、「成就した」と言い切ることがもっと厳しいように思われます。 再臨その1がAD70年に起こったとして、再臨その2が千年王国の終わりに起こるのだとしたら、このワンセットの再臨がAD70年に成就したとは言い難いと思うのです。 This generation shall not pass, till all these things be fulfilled. この御言葉は「千年王国前後再臨説」をもってしても依然解決できていないように思われるのですが、どう考えたらよいでしょうか?
1.
第一の再臨において、イエス・キリストのニュー・ワールド・オーダーの法的整備が完了しました。それ以降の世界において、歴史はイエス・キリストを主権者として進展する。そのための法的土台が完成しました。
大宣教命令つまり「全民族弟子化命令」がこの法的秩序の中で実現していきます。
2.
旧約聖書はそのすべてが、預言も律法も、キリストによって成就しました。
十字架の上において主は「目的は達成された(テテレスタイ)」と宣言された。このテテレスタイは「テレオー」(成就する)という動詞の完了形です。完了形は、すでに完了した動作の現在の状態を強調するので、「今も成就されている」とのニュアンスを持っています。つまり、新約時代は「旧約のシステムが今も成就している」ことを示しています。
神殿の幕が真っ二つに避けたのは、旧約のシステムが完全に不要になったことを象徴しています。
したがって、われわれが現在暮らしている世界においては、全民族をイエス・キリストの弟子とする試みは、ことごとく実現する運命にあります。
紀元70年において、すでにサタンは凱旋の行列に加えられて無力化され、法的な権威を剥奪されているので、クリスチャンが戦いを挑めば必ず勝利します。
3.
すでに申し上げたように、This generation shall not pass, till all these things be fulfilled. は、1コリント15・22-28とセットに考えるべきです。
この御言葉は「再臨の前兆がすべて成就する」ことを示しており、「この時代にすべての前兆が成就する」ならば「再臨はこの時代に起きる」ということを示しています。そして、再臨が「この時代」に起きるならば、再臨のときに何が起きるかを示したコリントのこの箇所も「すでに『この時代に』成就した」と考える以外にはないということになります。
それゆえわれわれは紀元1世紀以降、「死はもはやクリスチャンを支配しない」「全被造物はキリストの支配下に入り、キリストご自身は父なる神の支配下に入ったので、この世界はすでに父なる神の支配する世界に変わった」と信じなければなりません。
実際的には、世界はまだ父なる神の支配下に入っていませんが、しかし、法的には支配下に入っています。
世界でまだ活動している神の敵は、われわれが戦うときに、敗北する以外にはない。
サタンは「この事実をいかにぼやかし、隠すか」に全力を傾けてきた。
そのために編み出したのが「(第一の)再臨の先延ばし」なのです。
「(第一の)再臨はまだだ」と信じ込ませることができれば「1コリント15もまだ成就していない」となり、「サタンはまだ力を持っている」とクリスチャンに吹き込むことができます。
いかに善意に基づくものであっても、反キリスト(つまり獣)を紀元1世紀以降の歴史の中に提示する行為は、サタンの策略を手助けすることになるため、実質的に悪魔的な試みになります。
4.
(第一の)再臨において、法的基盤が整備された、というのが、聖書の主張です。
これは、戦争で言えば「降伏文書調印」にあたります。
降伏した後に、その事実を知ってるか知らないかにかかわらず、ジャングルでゲリラ戦を戦っている敵軍の兵士は、「法的に敗北している」のであり、「実際的敗北」は時間の問題になります。
こちらはすでに周囲を制圧しているので、補給を断つことができ、弾薬や食料は徐々に減っていきます。
紀元70年の再臨において世界はイエス・キリストの体制に法的に変化しているので、サタンにとって敗北は時間の問題なのです。
繰り返しますが、サタンはこの事実を隠したがっている。
5.
千年王国の終わりにおけるサタンの復活は、「紀元70年の再臨における法的整備の完了」を否定しません。
あくまでも、それは、イエス・キリストのニュー・ワールド・オーダーの法的体制の中で起きる「絶望的な最後の反撃」です。
私は、今のタルムードユダヤ人(ルシファー教徒)たちの世界政府の試みがそれに当たると考えています。
すでに世界はイエス・キリストのニュー・ワールド・オーダーになっているので、彼らの試みは「必ず」失敗します。
ディスペンセーション主義者や無千年王国論者たちは、この現象を見て「黙示録の成就だ」と考えていますが、それは誤解です。
宗教改革者たちも誤解していますが、それはプレテリズムの理解不足に起因します。
すでに述べましたように、イエス・キリストの御国を象徴する「石」は、ローマ帝国を象徴する「鉄のすねと鉄と粘土の足」の時代に現れ、サタンの世界帝国を象徴する像を粉砕し、全土に満ちたのです。
再臨の時期を延期するために、ディスペンセーション主義者たちは「鉄のすねと鉄と粘土の足」の時代は現代において復活すると述べていますが、そんなことは聖書のどこにも記されていません。