ユーチューバーでS氏という人がいる。
彼の動画はかなり前から見ている。
非常に真面目な人柄で、不正を見過ごすことができない。
真面目すぎていろいろな人とぶつかってきた。
彼は、世界の現実の姿についてよく理解できているが、しかし、残念なことに解決がない。
問題を指摘できるが、指摘するだけである。
いや、指摘するだけではなく、活動もしている。
妨害も受けている。
しかし、解決がない。
「世界が破滅するのは避けられない」という。
なぜならば「敵はあまりにも巨大すぎるから」と。
これがノンクリスチャンの社会活動の限界である。
信仰がないので、現実を突き抜けることができない。
「敵は巨大だが、神はさらに巨大だ。だから大丈夫。」と言えない。
聖書的キリスト教がないと世界に希望はまったくない。
ヒューマニズム(人間教)には、解決がない。希望がない。
ヘルマン・ドーイウェールトによると、ヒューマニズムには2つの理念がある。
1.科学理念
2.人格理念
1は、「世界は科学的法則だけで成立している」と唱える。
2は、「人間だけで自由な理想社会を作ろう」と唱える。
この2つは矛盾している。
なぜならば、1を徹底すると「弱者は強者に勝てず、奴隷になるしかない」となるから。
1に従えば、この世に倫理は不要ということになり、世界はブラック企業の集合体のようなものになる。
「人類の進歩と調和」など夢物語。
1を追求すると、2は永遠に実現しない。
逆に、2を追求すると、1は無視せざるを得ない。
人間の自由を追求すると学問は実証性を失い、「ホルホル化」する。
今でも、政府に忖度する学者が、有識者会議で政府に喜ばれるようなことばかり提言している。
曲学阿世が増えている。
結局、「この世は科学的法則が絶対的に作用している」と考えると「人間に自由はない」となり、「人間は自由だ!人生には意味があるんだ!」と言うと「実証科学は邪魔だよね。俺たちに都合のよい理論を作ろう」となる。
ヒューマニズムだけでは、世界は絶望に陥るか、現実離れするか、のいずれかに陥る。
解決は「科学的法則は神の僕である」と信じることである。
「この世界に働く最強の意志は、神のそれであり、科学法則は絶対ではない、科学法則は神がこの世界を管理するために定めた規則でしかなく、神の一存によって無効化できる」と。
ここにおいて、1と2を完全に調和できる。
「実証科学を主張すると自由を失う」ということもないし、「自由を得るために実証科学を無視する」必要もない。
聖書の超越神を信じる以外には、この世界に希望はない。