そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。(使徒の働き1・6-9)
1.
日本列島は、大和民族に与えられた「約束の地」である。
「再臨は未来に起きる」と考えると、弟子たちが期待した「イスラエルの再興」も未来に起きることになる。
なぜならば、旧約の約束によると、イスラエルの再興は再臨のキリストによって行われるはずだから。
しかし、すでに何度も述べたように再臨は紀元70年に起きた。
となると「イスラエルの再興」は紀元1世紀にすでに起きているはずである。
イエスが再臨されたときに、イスラエルも再興されたはずである。
では、その「再興されたイスラエル」とは何か。
東大名誉教授故江上波夫氏によると、「紀元2世紀にやってきたのは、景教徒ではなく、原始キリスト教徒である」という。
紀元2世紀の原始キリスト教徒とは、初代教会のクリスチャンである。
初代教会のクリスチャンが、紀元2世紀に日本にやってきた。
一般的な意味で「再興されたイスラエル」とは、もちろん「普遍的教会」である。
なぜならばパウロはクリスチャンのことを「神のイスラエル」(ガラテヤ6・16)と呼んでいるから。
全世界に散らばる「同じ聖霊を受けている神の民」こそ神のイスラエルである。
しかし、弟子たちがここで「イスラエルの再興」と言ったのは、ユダヤ民族の国の再興である。
彼らは「ユダヤ人の王イエス」を中心とする、栄光のユダヤ人の国の復活を夢見ていた。
そして、イエスはその夢を否定されなかった。
「再臨した後は、ユダヤ人もギリシア人も関係ない。すべてのクリスチャンは御霊によって一つとなるのだ。ユダヤ人は国の再興を諦めなさい」とは言われなかった。
いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
と言われた。
つまり、ユダヤ人は、キリストを中心とした国を作ることができるということである。
国というからには、土地がなければならない。
もしクリスチャンユダヤ人も、ノンクリスチャンユダヤ人と同様に、紀元70年に国土を失って世界に散ったならば「救いとはなにか」という問題になる。
クリスチャンユダヤ人は救われて「国を再興された」のである。
それゆえ、彼らには土地が与えられたはずである。
私は、それが日本列島だと思う。
大和民族の大和は「ヤ・ウンモト(神の民)」というヘブル語から来たとヨセフ・アイデルバーグが言っている。
日本は「再興したイスラエル」である。
2.
アイヌ新法は、北海道の乗っ取りのための法律である。
中国人がどんどん北海道に土地を買っている。
チャンネル桜によると、入り口が一つしかない中国人だけの村落ができるらしい。
彼ら侵略者は「日本人がアイヌ人の女性を慰安婦にしたとか、男を強制労働させた」と言い始めているという。
手口が似ている。
同じ人々による工作だからだろう。
国の中に民族の分裂を起こし、その亀裂を利用して侵略するのは、中共のお得意の戦略である。
彼らは、沖縄と北海道を独立させるために、琉球人とアイヌ人を利用している。
3.
神は、契約的に忠実なお方であるから、約束の地を他の民族に与えることはない。
「旧約の民は土地から追い出されたではないか」という人がいるかもしれない。
たしかに、あまりにも堕落し、契約をひどく破るようになれば、追い出される可能性がある。
しかし、旧約の民の場合、契約の主が人間だったが、新約の民の場合、それはキリストである。
旧約の場合、モーセのもとで神と民が契約を結んだが、新約の場合、神と契約を結んだのはキリストご自身である。
キリストはすでに律法を完全に守られたので、契約の報酬を永遠のものにされた。
それゆえ、民の義務は「キリストへの信仰のみ」である。民が契約の中に留まり続けるには信仰だけでよい。
「それでは、信仰さえあれば、契約の呪いを被ることはないのか」という問いかけがあるかもしれない。
「ない。しかし、懲らしめはある」と答える。
信仰者の行いが悪い場合、契約から排除されることはないが、「キリストに似た者となるための懲らしめ」はある。
すなわち、訓練である。
4.
私の見解では、日本は「キリストの義を土台とする永遠のイスラエル」である。
「人間の義」を土台とする旧約の民は土地を追い出されたが、「キリストの義」を土台とする新約の民は追い出されない。
ただし、堕落した場合には、懲らしめがある。
LGBTを認めるような文化になれば、懲らしめは徹底したものとなるのではないだろうか。
中共が起こされたのも、懲らしめのためだろう。
侵略の危機を通じて、悔い改めを迫られていると見るべきだろう。