イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28・18-20)
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。 そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。
「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。 (1コリント15・20-28)
1.
この世界で「最強の計画」は何か。
イルミナティの世界政府計画ではない。
アメリカの「マニフェスト・デスティニー(世界民主主義化)」でもない。
それは、父なる神の「全民族弟子化計画」である。
これに逆らえる勢力はこの世に存在しない。
なぜならば、それは、父なる神の計画だから。
父なる神は、この計画ゆえに、ひとり子を地上に送り、十字架につけ、悪魔に勝利させ給うた。
父なる神の最終目的は、万物のご自身への服従である。
しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。
父なる神は、万物が御子に服従するように歴史を導かれる。
「彼は万物をその足の下に従わせた」
そして、万物が御子に従った時点で、御子ご自身も父なる神に服従される。
こうして、父なる神が頂点に君臨され、歴史の目的が達成される。
2.
注意しなければならないのは、「この計画はすでに法的に成就している」ということである。
しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。
このHPにおいて何度も示したように、再臨は紀元70年に成就した。
それゆえ、クリスチャンの復活も成就した。
そして、「終わり」も成就した。
紀元70年に万物はキリストの足下に服従し、キリストもそのとき父なる神に服従されたのである。
法的に、世界はすでに「父なる神に完全服従した状態にある」。
パウロは別の箇所でこれを「凱旋の行列」と表現している。
神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。(コロサイ2・15)
「凱旋の行列に加えられました」で動詞の時制は直説法アオリストである。
「直説法においてはアオリストは過去の動作について総括的にまた完結した出来事として述べる」(Wikipedia―アオリスト)ので、これは、「完結した出来事」である。
すなわち、父なる神はキリストにおいて、「すでに」あらゆる支配と権威を「捕虜として凱旋の行列に加えるという行為を完結された」のである。
キリストは、このパウロの存命中にすでに完結していた「凱旋」を、紀元70年の再臨時に「正式に」実行された。
紀元70年に世界はすでに「父なる神を頂点とするワン・ワールド」になった。
3.
フルプレテリストはこのことを「法的な」ではなく「実際的な」秩序の確立と見る。
しかし、悪魔崇拝者や仏教徒やイスラム教徒、人間教徒が大多数を占め、悪霊が人々を惑わす今日の世界を「実際的なワン・ワールド」と見ることは不可能である。
紀元70年に達成されたのは「法的な」秩序の確立である。
そのとき、父なる神の「全民族弟子化計画」は「法的に」成就した。
ここで、世界における最強の計画はこの「全民族弟子化計画」になった。
この計画よりも強い計画はない。
なぜならば、この計画には、法的な権威が与えられたからである。
日本国内において、一個人や一企業が計画を練って、土地を買収し、そこに何か建物を建てようとしても、国の許可が下りなければできない。
法的な権威が付与されていない計画は、弱い。
しかし、「全民族弟子化計画」は、紀元70年に父なる神によって法的な権威付けがなされたので、最強なのである。
誰もこの計画を留めることはできない。
紀元70年に、キリストは万物を服従させ、そしてご自身も父なる神に服従された。
父なる神がこの世界の頂点に君臨している以上、父なる神の計画を妨害する者は誰もいない。
4.
この世界で起きるすべてのことは、この「全民族弟子化計画」の文脈内で起きる。
われわれに起きるすべての出来事は「キリストの勝利」に終わるようになっている。
万事は、日本民族をはじめ世界の諸民族がイエス・キリストの弟子となるべく起きている。
それゆえ、われわれにとって「恐れ」「ネガティブ思考」「絶望」は異物である。
何が起きても「キリストの弟子化計画が進展している」と前向きに解釈し、感謝すべきである。
紀元70年以降、クリスチャンにとって「死」も異物である。
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。・・・
最後の敵である死も滅ぼされます。
クリスチャンは、死ななくなった。
それゆえ、まだ紀元70年以前の秩序にあるかのように「クリスチャンも体を失って黄泉に行く」的な考え方をしているならば、大きな間違いである。
まず初穂としてキリストが復活された。これが「死への勝利」の第一号。
そして「キリストの再臨のときキリストに属している者」が復活した。これが第二号。
紀元70年の再臨以降は、個人的な「肉体を離れること」の際に、復活が起きる。
つまり、それ以降、すべての「キリストに属している者」が肉体を離れると、即座に「御霊のからだ」が与えられ、永遠に生き続けるようになった。
今、天にいるクリスチャンたちには体がある。
そうでなければ、聖餐式は無意味である。
契約とは、キリストの血と肉に与ることである。
そして、天にいる人々を含め、すべてのクリスチャンは、キリストにあって一体である。
天にいる人々が体を持たなければ、キリストの血と肉に与ることができないので、除外される。
一体を保てない。
それゆえ、私は「天にいるクリスチャンたちには体がある」と考える。