今、トランプがやろうとしていることは、私が40年前に大学時代に神がお示しになったことの実現である。

大学4年生のときに、哲学ゼミに入り、ヴァン・ティルに関する論文を書いた。

その主旨は、以下のとおり:


人間教の時代は終わった。インマヌエル・カントが作り上げた人間教、すなわち、人間理性を究極の権威とする思想は、共産主義革命の失敗において、その致命的な欠陥の存在があらわになった。
残されているのは、聖書を最高権威とする思想である。
ヴァン・ティルが唱える前提主義は、聖書を前提として受け入れ、人間理性をその下に置く。
人間は、聖書を疑うことが許されない。聖書を絶対不変の真理として受け入れるところから認識を出発すべきである。


ヴァン・ティルの前提主義を受け入れると同時に、私の脳裏には「具体的に、この世界を統治するには、聖書法を受け入れるべきではないか」という考えが浮かんだ。

そこで聖書律法を学ぶことに決めたが、よい参考書がなかった。

神学校に入り、アメリカの長老教会で何気なく購入したR・J・ラッシュドゥーニーのInstitutes of Biblical Lawを帰国後読んだところ、それは、私が求めていた「聖書律法の解説書」であることに気づいた。

一節一節の脈絡のない解釈を提供するのではなく、聖書律法に通底する「世界観」を示す本だった。

ヴァン・ティルは、原理を示した。

ラッシュドゥーニーは、その原理に基づいて、具体的な指針を示した。

ここにセオノミー神学が確立された。

クリスチャンは、様々な社会的な問題について、明確な指示を与えられるようになった。

ディスペンセーション主義の浸透によって、今の教会は「聖書律法は過去のものである」と考え、申命記を無視する傾向がある。

そのため、新約聖書の様々な箇所の解釈があいまいで、異教的な思想が混入することが多い。

たとえば、モーセ律法を学ばないと、「殺してはならない」の意味が曖昧である。

あるクリスチャンは「国家による殺人者の処刑も殺人である」という。

しかし、モーセ律法では、神は「故意の殺人者を処刑せよ」と命令された。

つまり、新約聖書だけでは曖昧な「殺人」の定義は、モーセ律法によって明確化するということである。

私は、40年前に神にヴィジョンを与えられた。

「世界を運営するための真の思想」と出会うことを許された。

それが、時至って今、政治の世界で現実化しようとしている。

ディープステートの人間たちが信じる世界秩序とは、人間教に基づくそれである。

国際連盟を提唱したのはインマヌエル・カントである。

ルシファーを神とする「似非神の国」の建設こそが、彼らの目標である。

われわれは、中国を潰した後に、ディープステートを潰さねばならない。