聖書契約は、古代近東の宗主契約と似ている。

宗主契約は、主人と臣下との間に結ばれた代理支配契約である。

つまり、主人が臣下に対して「支配を委任する」ために結ばれた。

それゆえ、聖書契約も同じ目的を持っていたと考えられる。

申命記は全体が聖書契約の構造になっている。(いのちのことば社刊「聖書ガイドブック」参照)。

聖書契約の構造は次のとおり:


1.超越と内在

2.上下関係

3.律法

4.祝福とのろい

5.相続


地上に存在するあらゆる権威は、神が立てられたものである。


人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。(ローマ13・1-3)


「権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます」

権威は、「人々が善を行うために」統治者に与えられる。

神がある人に権威を与え、人々の上に立たせるのは、その人の管轄内において善が繁栄するためである。

もしその人の管轄内で善が繁栄せず、それをただす人が迫害されるならば、その人から権威は剥奪される。

為政者が任命されるのは「正義と善の促進」のためであり、それが実現しないのであれば、その為政者は神から首を切られる。

それゆえ、政治家や企業の経営者、団体のリーダー、家長、・・・には、知恵が必要である。

彼ら、権威を与えられた人々がまず第一に重視しなければならないのは「倫理」である。

経済的利益だけを追求して、倫理を無視するような経営者は排除される。

そのようなブラック企業の寿命は短い。

万人は、同意の有無にかかわらず、全員が神と契約を結んでいる。

なぜならば、神は万物に対して主権を行使されるからである。

神は万人と契約を結び、その人の行いに応じて報いを与え給う。

歴史を見れば、不道徳な為政者や、組織を守ることを最優先し、倫理を無視するリーダーが、その権威の座から追われる例を多数見ることができる。

今の財務省のように組織の論理が第一となって、国民の利益を顧みない組織は、早晩崩壊する。

邪悪な中国と手を結んで国の進路を誤らせるような今の政権は、早晩裁かれて滅びる。

この世界は、神が支配しておられる。

為政者やリーダーは、その神の御心を行う限りにおいて、支配できる。

それゆえ、彼らがまず第一に優先しなければならないのは、倫理である。

契約的に思考し、行動できないようなリーダーは、ダメなリーダーである。