1.
”日本のコロナ死者数は900人台で抑えている”
hhttps://www.youtube.com/watch?v=l0psID76oao
この死者数で優劣を決めるの止めませんか。感染症は多数の死者が出るもの。これまで人類は、そう割り切ってきた。そして、「隔離」ではなく「集団免疫獲得」に絞って対策を講じてきた。それが「産業や文明を破壊しないための知恵」だった。政治家や学者、知識人が死者数にこだわり「ウィルスの押さえ込み」に焦点を絞るような社会は、「自殺的であり、持続性がない」。
2.
支援者のみなさま、激烈な戦いの中におられると思います。
私は、現在が「天下分け目の関ヶ原」の状況と考え、毎日荒川土手を5キロ歩きながら必死に祈っております。
トランプが再選されれば中国共産党政権は確実に終わります。
中国と深い関係にあるバイデンが選ばれれば、中国がアメリカをコントロールする可能性もあり、非常に悲惨な未来が待っています。
トランプ再選阻止のために、ディープステートまたは中国は、黒人暴動を起こしたりいろいろな妨害活動を行っています。
霊界では、サタンがクリスチャンに対して「祈らせないために」妨害活動をしています。
クリスチャンが祈ると、世界政府樹立の計画が頓挫し、1000年にわたって積み上げてきた努力が水泡に帰します。
どうか、トランプが再選され、中国共産党が滅亡し、ディープステートが弱体化して、偽メシアによる世界統一の計画を神が破壊してくださるよう祈ってください。
3.
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。(出エジプト記20・8)
今日安息日に当たる特定の日はない。
それは、イエス・キリストにおいて成就した。
イエスにあってわれわれは、毎日が安息日である。
〇曜日の〇〇時から△曜日の△△時までは聖別されている、という考え方は旧約時代に限定されている。
もし新約時代にもこのような特定の時間が聖別されていると主張するなら、「ではそれはいつなのか?」と問われる。
旧約時代の暦制度は、今日とまったく異なっていた。
日付と曜日が固定されていた。
今日1月14日は月曜日から日曜日まで年ごとに変化する。
しかし、旧約時代においてそれは金曜日であった。
旧約律法を文字通り守らなければならないとすれば、暦制度そのものを旧約時代のそれに戻す必要がある。
元旦は祭司が新月を見て決定した。
そこまで徹底しないと守ったことにならない。
新約時代において「祭司が変化した」ので「律法も変化した」。
祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければなりません(ヘブル7・12)
今日祭司は「キリストとクリスチャン」である。
ユダ族のイエス・キリストは大祭司である。
しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、(ヘブル9・11)
旧約時代、大祭司はレビ族に限定されていたが、新約時代そのような縛りは存在しない。
クリスチャンは祭司である。
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。(1ペテロ2・9)
このように祭司制度が変化したので、律法も変化した。
古代ユダヤに特有の民族的・時代的性格は取り除かれ、普遍化された。
なぜならば、大宣教命令において「全民族の弟子化」が命令されているからである。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、(マタイ28・19)
ここで「あらゆる国の人々」と訳されている原語はパンタ・タ・エスネーであり「すべての民族」である。
それゆえ、安息日も「すべての民族」が守れるように普遍化されなければならない。
4.
安息日の意味は「負債からの解放」である。
旧約時代、民は、安息日に礼拝し、罪を悔い改め、再出発しなければならなかった。
同じように、われわれも、安息日を「罪の帳消しと、再出発の命令」と理解すべきである。
安息年に、民はすべての借金を帳消しにされた。
これによって、誰かの奴隷になることが防がれた。
イスラエル人は、神の民であり、王であるから、他人の奴隷になってはならなかった。
そのため、イスラエル人同士で金利を課すことが禁止されていた。
しかも、安息年になったら他人から借りたお金の返済義務を解かれた。
神の民は、負債によって縛られてはならなかった。
罪は神と人への負債である。
神の民は、罪の責任を解除されなければならない。
安息日と安息年は、神の民が「世界の王」であり続けるための制度である。
何年も罪責に苦しみ続けるクリスチャンがいたら、その人は、安息日と安息年の規定を無視している。
7日に1度、7年に1度、罪責を精算し「無罪放免」を勝ち取らなければならない。
いや、イエス・キリストは「重荷を負っている人は私のところに来なさい。私が休ませてあげます」と言われているので、特定の曜日や年は関係ない。
イエス・キリストにあって、われわれはいつでも罪責から解放されなければならない。
クリスチャンは、常に前向きであり続け、未来に向かって生産的でなければならない。
過去にとらわれている人は、安息日の律法を破っている。