I.

上昌広氏(医療ガバナンス研究所)によると、スイスのロシュ社によって、感染判明後すぐに検査キットが開発されていたという。


「ブルームバーグの報道では、感染の判明時、スイスのロシュ社は即座に検査キットを開発し、数日で完成させた。武漢に搬入したかったが、経済封鎖されて不達」
 

 


では、なぜ各国政府は利用しないのか。

各医療機関で検査できれば、人々は安心できるし、クルーズ船からの下船も早まる。

ディープステートの目的がパニックを起こすことにあるからか。

II.


私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。
私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、
また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。(*)(2コリント10・3-6)


「私たちの戦いの武器」の特徴は、


1.肉の物ではない。

2.神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるもの。

3.さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕く。

4.すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させる。

5.あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができている。


1.肉の物ではない。

クリスチャンの戦いの武器は、肉―つまり、人間の力―ではないので、われわれは、人間の力に頼らない。

われわれが神の国を拡大する際に、聖霊による回心だけを頼る。

聖霊によって回心し、全的に生まれ変わった人だけが、神の国建設に参加できる。

全的に生まれ変わった人々は、聖書を神の言葉と信じ、それを最高権威として服従する。

しかし、聖霊によって生まれ変わっていない人たちは、聖霊の力を信じることができず、聖書を最高権威として認めない。

そのため、普通の主義・思想の運動のように、人間的な方法を採用する。

心理学を応用したり、人の歓心を買おうとする。

こういう方法で「救われた」人々が教会に入り、牧師や長老になると、別の宗教に変わる。

霊的な判断力が欠如しているので、「キリスト教に似て非なるもの」を尊重し、焦点がずれ、的外れな活動をする。

われわれは、これらの霊的に盲目な人々に頼らない。

2.神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるもの。

「私たちの戦いの武器」である霊的な武器は、パワフルであり、世界を変える。

悪魔がどんな要塞を築いても、それを破壊する。

異教の帝国ローマは、キリスト教によって破壊され、異教の民族であったヨーロッパの諸民族はキリスト教に改宗した。

人を巨大な人形に入れて焼き殺す儀式を行っていたドルイド教を信じていたケルト人は、クリスチャンになった。

このような野蛮な風習に染まっていたアジアやアフリカは、キリスト教が伝わるにつれて、それらを止めていった。

3.さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕く。

共産主義、唯物論、進化論、人間教(ヒューマニズム)、様々な哲学は、神の知識に逆らって立つ。

これらは、神への「高ぶり」の産物である。

紀元70年以降、世界はキリストの王国になったので、すべて、打ち砕かれる運命にある。

4.すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させる。

すべての「はかりごと」、つまり、あらゆる陰謀は、「とりこ」にされる。

つまり、武装解除され、捕虜にされ、キリストに服従させられる。

聖書的キリスト教、神の国を破壊しようとする企みは、すべて無力化され、逆に「キリストのしもべ」にされ、キリストのために働くようになる。

今、世界政府を作るために働いている人々も、いずれキリストの御国のために働くようになる。

5.あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができている。

「私たちの戦いの武器」は、「あらゆる不従順を罰する」ために準備ができている。

安全装置を外され、いつでも発射可能である。

何度説得しても悔い改めない頑固者に対しては、条件が整えば、裁きが下る態勢になっている。

中国共産党が裁かれていないのは、「私たちの戦いの武器」が無力だからではなく、条件が整っていないから。

その条件とは何か。

「あなたがたの従順が完全になる」こと。

われわれが、完全に従順にならないと、不従順には裁きは下らない。

中国共産党に対する裁きは、われわれの服従にかかっている。

いくら祈っても、われわれ自身が神に従順でなければ、われわれの武器は作動しない。

まず悔い改め。そして、敵への裁き。

この順番は変わらない。

(*)
新改訳では、「さまざまの思弁と、・・・」の前に「私たちは」が追加されているが、誤訳である。
「さまざまの思弁と、・・・」の主語は「私たちの戦いの武器」。
この部分の述語は分詞であり、主語にあたる「私たち」という言葉は存在しない。