”侵略され国をおわれた10支族とやらが、はるばる極東の島国に遠征してきたとか失笑ものなんですが。”
バビロン捕囚とアッシリア捕囚によって、ユダヤ人は今のイラクあたりに移動しました。
ペルシャ帝国によって解放されたあと、パレスチナに帰還した人々はごく限られており、アジアに留まり、各地に散ったと考えられます。
シルクロード沿いのオアシス都市にユダヤ人がいたことは記録から明らかです。
実際、ラビ・トケイヤー氏によると、彼の先祖は、中央アジアのブハラのユダヤ教ラビであったと述べています。
秦の始皇帝の統治機構は、ペルシャのそれと酷似しており、始皇帝は捕囚から解放された離散ユダヤ人であったと考えられます。
始皇帝の配下であり、始皇帝と同族(嬴氏)であった徐福は日本に来て、物部氏となりました。
それゆえ、物部神道はユダヤ教と酷似しています。
実際、物部氏の中心氏族である海部氏の神社である籠神社の宮司は「ここの神はユダヤの神であると信じている」と言っています。
ユダヤ人が日本にやってきたという説が、トンデモ学説に思えるのは、日本人が歴史の授業でディアスポラ(離散)ユダヤ人について学んでいないからです。