1.

京都はかつて「平安京」と呼ばれていた。

平安=平和

京=王宮や政府のあるみやこ

エルサレムも同じ「平和の町」という意味である。

「サレム」は、「シャローム(平安、平和)」と語根が同じであり、「エル」は町。

京都を作ったのは、秦河勝。

秦氏は、初代教会のユダヤ系クリスチャンを祖先に持つ。

おそらく、エルサレムが神の国の都としての地位を失ったので、新世界である日本において「新エルサレム」を作ろうとしてのだろう。

京都は、奴(T字型)の形をしている。


埋蔵文化財を発掘調査する「京都市埋蔵文化財研究所」の杉山信三所長は、長年の発掘調査の結論として、平安京は長方形ではなく、奴型の「人型構造」だったと公表している。
http://www.sengyomura.jp/...


船岡山を頭とすると、十字架になる。

何年か前に京都に行ったとき、船岡山に登った。といっても、小高い場所にある公園である。そこから、京都の町を見渡せる。

2.

米軍の原爆投下の当初の計画では、京都に落とす予定だった。

開戦時まで駐日大使を務めたJ・グルーが、文化都市として反対したという。

エルサレムにルシファーの神殿を建設する予定であったタルムードユダヤ人にとって、京都はライバルであり、邪魔物である。

今でも京都を消す計画があるかもしれない。

ちなみに、一説によると、彼らは、日本の水源に福島の放射性物質の入った土嚢を入れて、日本人を根絶する計画を建てているという。(拡散されて効果はないと思うが。)

自民が男女平等原則を掲げ、女系天皇を推進したり、地方自治体でヘイト・スピーチ法に罰則を付ける動きがあるが、日本に対する彼らの総攻撃が始まったと感じる。

近年の台風の巨大化や、地震、津波、原発事故など、大本には、ルシファー神を信じるタルムードユダヤ人が世界政府を作るために、日本と日本人を抹消する計画があるのだろう。

彼らは、日本が、ダビデ・ソロモンに始まるイスラエル王国を継承していると知っているのだ。

3.

京都の東に伊勢神宮がある。

ダビデの王宮は、エルサレムの西にあった。

聖書において、東は、キリストを象徴する太陽が昇る神聖な方角である。

王の住まいである京都は、神殿である伊勢神宮の西に作らなければならなかったのだろう。

伊勢神宮には、第三神殿の意味があるのかもしれない。

ただし、注意しなければならないのは、聖書では、第三神殿とはキリストの御体であり、クリスチャンの体であると理解しなければならないということである。

新約時代においてもなお、固定された神殿を設営しようとすることは、キリストとクリスチャンの復活を無視する暴挙である。

キリストは「神殿を壊しなさい。私が三日でそれを建てよう」と言われた。

パウロは「あなたがたの体は聖霊の宮である」とクリスチャンに言った。

それゆえ、われわれは、石や木で作った神殿を新約時代における正式な神殿と考えてはならない。

たとえ伊勢神宮が第三神殿を意図して作られたにしても、それをそのまま受け取ってはならない。

4.

新天新地を目指して日本にやってきた初代教会のユダヤ系クリスチャンたちは、日本を再建されたイスラエル王国と考え、国作りをしたのだろう。

彼らは、神の世界支配の方法が紀元70年を境に決定的に変わったことを理解していただろう。

それゆえ、「ものそのもの」に聖俗の区別はないと知っていたはずだ。

イエス・キリストの十字架による贖罪によって、天地のあらゆるものが神と和解している(コロサイ1・20)からである。

新約時代において、あらゆる食物は聖い。食べる人の動機によって聖にもなれば、俗にもなる。

あらゆる場所は聖地である。ただ利用する人の心によって聖地にでもなれば、俗地にもなる。

あらゆる建物は聖である。ただ利用する人の心によって聖にでもなれば、俗にもなる。

あらゆる民族は聖である。ただ彼らの心によって選民にでもなれば、非選民にもなる。

それゆえ、京都がたとえ「イスラエルの都」として作られ、伊勢神宮が「第三神殿」として作られたにしても、旧約の経綸のもとにあるかのように、それ自体を聖とすることはしなかったはずである。