世界は契約的にできている。

科学者がいかに「宇宙の歴史は140億年だ」と言っても信じてはならない。

宇宙は人間のために作られた。

だから、人間の創造までの億年の月日はまったくの無駄である。

神がそのような無駄な期間を設けられるはずがない。

創世記の記述のとおりに、世界は6日で創造された。

人間が支配し、神の創造されたものを利用して、神的な文明を築くためである。

本来、アダムはこのために契約を守って、世界を完成し、報酬として永遠の世界を相続するはずだった。

しかし、罪を犯して失敗したために、相続できなくなった。

つまり、死ななければならなくなった。

生前に行ったすべての仕事も無駄になる。

100億円の資産家でも、死んだら無一文である。

あの世にまで持って行けない。

人生は完全に虚無になった。

このような悲惨から解放するためにイエスが人間になって、アダムがやらなければならなかったことをすべて身代わりに行われた。

一つは、罪の贖い。

もう一つは、律法の完全遵守による「永遠の命と世界の相続」。

信仰によってイエスにつながり、契約的に「キリスト族」の一員になれば、イエスの御業に与ることができる。

つまり、人生において行ったすべてのよき業は、永遠の相続として与えられる。

キリストを信じる人にとって、人生は虚無ではない。

人生の間でなしたすべての善行には報いがある。


あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。これは確かなことです。(マルコ9・41)

今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。(2コリント4・17)


われわれが受け取るのは、「永遠の栄光」である。

永遠に光り輝く存在になる。

それゆえ、神の国を建設する際に受ける「軽い患難」は無視すべきである。

いや、むしろ神のために苦しむことを喜ぶべきである。


わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。(マタイ5・11-12)


イエスのために「ののしられ、迫害され、ありもしないことで悪口を浴びせられる」ことは、「天での報い」を増大する。

永遠の報いがあるからこその人生である。

それがなければ、人生はあまりにもむなしい。

「この世しかない。悪を行っても自分の利益を得たほうが得だ」と考える人は、むなしさを感じないのだろうか、と思う。

この世界が契約的に作られたものではなく、偶然の積み重ねであり、人間も動物から進化してできたのであれば、すべてジョークである。

いや、悪夢だ。

戦争、病気、事故、破産、失業・・・

われわれが偶然の産物であるならば、苦しむことにいったいいかなる意味があるのか。

道徳的に生きることに意味があるのか。

毎日、やるべき仕事があり、友人がおり、忙しくしている間はよい。

仕事がなくなって、素になって考えたら、人生はとことん虚無だ。

われわれは、このようなむなしさとは無縁である。

なぜならば、世界は神によって創造され、永遠の報いと祝福を受けるために生が与えられたのだから。

宇宙の歴史を140億年と考えるような学説を信じ、すべてが進化によってできたと考えるならば、絶望以外にはない。

私は、科学的な問題とは別に、意味論から見ても、このような学説に同意できない。