1.

あるテレビ番組で司会者が「今一番信頼できる国はどこでしょうか」と尋ねたら、あるタレントが「韓国でしょう」と言った。

唖然とする返事だ。

本心で言っているならば、相当狂っている。

日韓基本条約という国と国の約束事を破って、応募工訴訟の判決において日本企業に賠償を要求し、差し押さえをした。

慰安婦合意ですでにこの問題は解決済みと双方合意したのに、蒸し返している。

このような不義と不誠実な国を信頼できると言うことは、言った本人が「自分は不義で不誠実だ」と告白したようなものである。


ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。彼らはやみを光、光をやみとし、苦みを甘み、甘みを苦みとしている。・・・それゆえ、火の舌が刈り株を焼き尽くし、炎が枯れ草をなめ尽くすように、彼らの根は腐れ、その花も、ちりのように舞い上がる。彼らが万軍の主のみおしえをないがしろにし、イスラエルの聖なる方のみことばを侮ったからだ。 (イザヤ5・20,24)


善と悪を逆転させ、光と闇を、苦みと甘みを逆にする。

この「倒錯」に対する裁きは、


(1)火の舌が刈り株を焼き尽くし、炎が枯れ草をなめ尽くすように、

(2)彼らの根は腐れ、

(3)その花も、ちりのように舞い上がる


ことである。

(1)

まず倒錯者は、「刈り株」であり、「枯れ草」である。

つまり、すでに切り倒された木であり、水分や養分が行かなくなって枯れた草である。

倒錯は、裁きの結果である。

人間が正常な判断力を失って、善悪の区別がつかなくなって、善を嫌い、悪を喜ぶ状態になっているのは、すでに裁かれて命を失っているからである。

命があれば、善を善と認識し、悪を悪と認識できるはずである。

倒錯者は、命を失ったので、脳に血が回らず、狂ったことを言ったり行ったりする。

異性に対する正常な性欲を失って、同性愛に走った人は、すでに裁かれて、処刑されたのである。

売国奴を支持し、愛国者を叩くマスコミは、すでに神によって処刑されている。

彼らはすでに「刈り株」「枯れ草」と化している。

(2)

すでに命を失った人々に対して、神は「火の舌」となる。

神は、火を送って、彼らの死んだ体を焼き尽くされる。

その結果、「彼らの根は腐れ」る。

つまり、わずかに残った存在の土台すらも破壊される。

彼らの体にわずかに残った「ぬくもり」すらも奪われる。

「その花も、ちりのように舞い上がる」。

つまり、彼らが築き上げてきた名誉や富、地位は、灰燼と化し、風が吹くと舞い上がってどこかに消える。


悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。(詩篇1・4)


悪者の末路は、消滅である。

粉々になって、この世界から消える。

2.

悪を行って繁栄して何になるのか。

結末はすでに見えているではないか。

タレントがテレビ番組で反日発言するのは、上層部に気に入られたいからである。

なぜ気に入られたいのか。

出演料をもらいたいから。

お金を稼ぎたいから。

金銭のために良心を売り渡すことによって、いったい何を手に入れるのか。

「風が吹き飛ばすもみがらになること」である。

世の中の多くの人々は、神の国のためではなく、金を稼ぐためにのみ生きている。

つまり、マモンの奴隷である。

真の神を貶め、偽神マモンをあがめる偶像礼拝者は、そのマモンに裏切られる。

自分が破滅した後にマモンは笑いながらこう言う。

「よくここまで騙されてきたな。ははは。」と。

そして、尻を蹴って、地獄の穴の中に突き落とす。

3.

国を裏切る左翼も同じ運命である。

マルクスはイルミナティの義人同盟に属したサタニストである。

彼はこのような詩を書いた。


しかし、私のこの若き腕には力がある。

おまえを、嵐のような力でつかみ、押しつぶそう。

深淵が、我々二人のために、暗黒の中で口を大きく開いている。

おまえはそこに落ち、私も笑いながら後を追う。

おまえの耳元で「友よ、落ちろ、私とともに」とささやきながら。

(Ibid., Act 1, Scene 1, in ibid., p. 63., cited in ibid., p. 16.)
http://www.millnm.net/...


左翼運動に携わる人は、マルクスとともに暗黒の深淵に落ちる運命なのである。

4.

聖書的クリスチャンにとって、善を悪と言う必要はない。上層部の顔色をうかがう必要もない。

なぜならば、われわれには、彼らよりも強力な支援者がいるから。

この世界を創造し、維持しておられる神がバックについていてくださる。

われわれが、神の国と神の義を求めるならば、必ず金銭や助けは与えられる。


だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6・33)


まず「正しく生きる」ことを求めるべきである。

利益や力を求めるのではなく、正しさを求めるべきである。

そうすれば、生活に必要なものはすべて与えられる。


悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。(詩篇34・14)