知っているとおり、世は神の国以外のあらゆるものによって心が占領されている。

教会の人々ですら、主の戦いに関する心配よりも、些末な事物に頭がいっぱいである。

神の国が最優先事項となっていない人は、最終的に、神の支配を確立することにほとんど、あるいは全く貢献しない些細な出来事を優先するようになる。

生活の中で御国が真に最優先事項となっている人は、御国が、その行動や思考、言葉、すべてを支配する原理になる。

神の国を求めることは、何らかの形のデボーションから一日を始めることでもなければ、献金籠の中に給料の十分の一を入れることでもない。神の国を第一に求めることは、神への真の信頼である。


しかし、あなたがたは神の国と神の義を第一に求めなさい。そうすれば、これらのものはすべてあなたがたに添えて与えられます。(マタイ6:33)


主は、聞き手に対して「食物や衣服のような生活に必要なものには関心を払うな」と命令された。

だからといって、衣食住に必要な仕事をしてはならないということではない。

問題は、われわれの心や精神、心配、恐怖を何が占めているか、である。

神は、われわれがご自身だけに頼り、そのほかのいかなるものにも依存しないことを望んでおられる。

例えば、心配は、間違った信頼の結果として生じる。

心配する人は、神の摂理ではなく、自然に支配されている信じている。

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(Chalcedon Editorial, "The Holy Urgency of God’s Kingdom", Sep. 24, 2019.)