問題を100%自分が引き受けようとしたら精神か肉体のいずれかをやられる。

何事も「適当に」やらないとダメ。

「不真面目に」やれというわけではない。

「すべてについて掌握し、判断を下さないとダメだ」という完璧主義が問題。

なぜならば、人間はそういう風に作られていないから。

瞬間で世界を創造できる神がなぜ6日かけられたのか。

人間に、労働の模範を示すため。

神は最後の日に休まれた。

労働6に休息1の割合で仕事をせよ、と神は言われる。

「なすべきことをしたら、後は神様にお任せして休む」という心構えを持つように、神は命令された。

「全部やらないと気が済まない」人は、神の創造秩序に逆らっている。

そして、それは神への不信仰である。

「最後の締めを神に委ねろ?当てにならないなあ」と考えているので、冒涜でもある。

労働の締めは「休むこと」である。

世界は、休息によって完成するようにできている。

「人間的にできることはすべてやった」ら、あとは、休息によって「最後の仕上げ」をする。

「結局、神様がおいしいところを持って行くのですか」というかもしれないが、そのどこがおかしいのか。

人間の労働は、神の栄光が輝くために行われる。

条約は、官僚が実務をやってすべてを準備し、政治家が最後に首脳会議で締結し、栄光を受ける。

官僚が栄光を受けてはならない。

同じように、人間は神が最後に仕上げをして栄光を受けられるために存在する。