支援者が減ってます。
最近、相当ヒット飛ばしているんですが、ご理解いただいてないようです。
私は自分が「これだ!!」と思わないようなことは書きません。
自分的にものすごい大切だと思ったこと:
1.病気はすべて悪霊による
一昨日口内炎になって「口内炎の霊よ、出ていけ!」と言ったら、翌日治りました。私の場合、普通、1週間以上続くのですが。
昨年、胆石も祈って悪霊を追い出したら粉砕されたので、大変効果があります。
「体内にいる悪霊よ、出て行け!」と祈って、追い出しをやると、腹部全体が軽くなりました。
2.紀元70年に死は滅ぼされた
・・・しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。・・・(1コリント15・17-28)
今の99%のクリスチャンは「再臨は未来に起きる。終わりもその後だ。敵が征服されるのもそのときだ。死もそのときに滅びる。」と考えています。
再臨が未来に起きるなどとどこにも記されていないのに。
すでに述べたように、イエスは「再臨はこの時代に起きる」と明言されています。パウロも同じです。
ということは、「終わりはすでに来た。敵と死はすでに滅ぼされている」と結論できます。
みんな「終わり」を「世界の終わり」と誤解していますが、聖書における「終わり」とは「旧約時代の終わり」です。
旧約時代は、敵(サタン)と死が支配する時代でした。
その時代が紀元70年に神殿崩壊とともに終わったのです。
それゆえ、紀元70年以降は「クリスチャンはサタンにも死にも支配されない」のです。
まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」 (マタイ16・28)
今のクリスチャンはほとんどの人がこの箇所を解釈できません。
これは、つまり、「紀元1世紀にイエスとともにいた人々の中に、再臨まで生き残っている人がいる」ということです。
これは、決定的だと思いませんか?
再臨はイエスと同時代に起きたのです。
だから、サタンも死も紀元1世紀に滅んだのです。
すでに説明したように、「滅んだ」というのは、文字通り滅んだということではなく、「キリストに服従した」という意味です。
クリスチャンはサタンに従う義務はないし、死ぬ必要もない。
再臨を未来に設定する人々は、この点についてあいまいです。
サタンのほうが強いのではないか。クリスチャンも肉体が滅んだ後、霊になって天に行くのではないか。
そういうふうに考えています。私もそうでした。
しかし、再臨がすでに紀元1世紀に起きたのであれば、クリスチャンはサタンよりも強いし、死ぬこともないと結論できます。
死なないのであれば、即座に新しい体が与えられると。
実際、パウロはテサロニケ人に対して「再臨のとき携挙され、体は変えられる」と述べています。
兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。(1コリント15・50-53)
今のクリスチャンが「眠るのではなく、変えられる」と信じられないのは、再臨が未来に起きると考えているからです。
いやいや。そうじゃない。再臨は紀元70年に起きた。だから、それ以来、クリスチャンは死ぬことはなく、体は「御霊のからだに変わる」のです。
すごいと思いませんか?私たちは死なない!!!
3.未来に関する預言だと思っていた箇所が過去に関する預言だった
私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
私たちは主のみことばのとおりに言いますが、<主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。>このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(1テサロニケ4・14-17)
すでに挙げた1コリント15や、2テサロニケのこの箇所を、今のクリスチャンは未来の出来事だと考えています。
そのため、私たちの現状がいかに素晴らしいものであるか見失っています。
携挙はすでに起きたのです。そして、それ以降、クリスチャンは個人的な(いわゆる)「死」の際に、携挙を経験する。
なぜ携挙を経験すると言えるのか?
なぜならば「死は紀元1世紀に滅んだから」。
肉体を離れて魂だけになったら、死んだことになってしまう。
人間は「霊と体」でワンセット。
霊だけなら、天使です。
神は、体を持つ存在に地上を支配させようとアダムを創造された。
だから、体のない人間は人間ではない。
それは死人です。
紀元70年以降、クリスチャンは肉体を離れると御霊のからだが与えられるが、ノンクリスチャンは魂だけになります。
だからノンクリスチャンは死ぬ。
クリスチャンは「不死」となったので、御霊のからだが与えられる。
この御霊のからだは、復活されたイエスがそうであったように、骨や肉があり、食べ物を食べる。
つまり、私たちが今持っているような体なのです。
違うのは「朽ちない体」であるという点です。
御霊のからだが与えられたら、それは永遠に滅びない。
イエスがそうであったように、瞬間移動し、壁をすり抜ける。
不思議な体です。
御霊のからだを持つ人々は現在、ある一定の場所(つまり天)に「物理的に」存在する。
食べ物を食べ、祝宴を開き、世界を支配し、私たちのことを応援している。
私たちの体と彼らの御霊のからだは、キリストにあって一体です。
私たちと彼らはつながっている。
不思議なことですが、聖書に記されているので真理です。
どうでしょうか。
間違っていますか?
私は聖書からすべて証明できます。