大東亜共栄圏なるものはコミンテルンの理想であって、日本のそれではない。 

侵略の野望を持つ日本と、それを阻止した国際社会という対立軸を作ると歴史を見誤る。 

満州事変をやった連中(石原・板垣)は、日本政府の意向に従わずに行った。その後の武藤章の大陸進出も政府及び陛下のご意向に反していた。なぜ彼らは暴走したのか。 

それは、彼らがコミンテルンとつながっていたからである。彼らの軍事的野心の源泉は、コミンテルンの指令にある。 

コミンテルン1928年テーゼでは、 


”現在の帝国主義国家の軍隊はブルジョア国家機関の一部ではあるが、最近の傾向は第二次大戦の危機を前にして各国共に、人民の全部を軍隊化する傾向が増大して来ている。この現象は搾取者と被搾取者の関係を軍隊内に発生せしめるものであって、大衆の軍隊化は『エンゲルス』に従えばブルジョアの軍隊を内部から崩壊せしめる力となるものである。この故に共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、之を内部から崩壊せしめることに努力しなければならない” 
https://ja.wikipedia.org/... 


とあり、軍部に共産主義者が紛れ込んでいた可能性が高い。 

石原の著書を読めば、その思想が「ユダヤ世界統一政府論」と酷似していることが明らかであり、彼が、その指導部がユダヤ人によって占められていたコミンテルンと思想的につながっていたと推察できる。 
また武藤章も、コミンテルンのスパイ尾崎秀実と密接なつながりを持っていたことがわかっている。 

コミンテルンは、関東軍を利用して、日中対立を激化させ、両国内での革命の推進をはかった。 

1931年(昭和6年)、コミンテルンは日本及び中国の共産党に対し、次の指示を出した。 


”支那事変を利用して、中国大陸への日本の進出を軍事的に失敗させ、それによって日本の革命を進めるとともに、中国内部をも改革する。来たるべき第二次世界大戦には間があるから、その間に共産革命の組織拡大を図ること。それにはまず全中国人民の抗日感情を煽り立てることが必要であり、それによって国民党と日本との妥協を不可能にする。国府軍と日本軍との衝突が避けられないものとなれば、次は戦線を華北から華南方面郎にまで発展させる。それだけで日本軍のソ連包囲態勢に楔がはいり、同時に中国共産党のためには、革命への客観的条件が準備されることになる。故に国府軍と日本軍との衝突の隙に乗じて、中共の発展を策すよう諸般の行動に移るべし。” 
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