・・・しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。・・・(1コリント15・17-28)


1.

「もし紀元1世紀に再臨があったならば、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力、死を滅ぼしたことになるが、まだサタンは活動しているし、死も存在するが、どう解釈するのか」という人がいるかもしれない。

この「滅ぼした」という意味は次の「キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置く」で明らかである。

「滅ぼした」=「消滅」「完全不活動」ではない。

「滅ぼした」=「キリストの足の下に置いた」である。

「足の下に置く」とは「敵に対する勝利、征服」を意味する表現である。

紀元70年に、キリストは正式にサタンを「屈服させ、征服された」のである。

それゆえ、現在、サタンはキリストの命令に従う。

元悪魔崇拝者のラミレス氏が、魔術師をやっていたころ、依頼者からあるクリスチャンを呪い殺してほしい、と言われた。

いくら呪っても効果がない。おかしいなあ、と思っていたら、サタンが現れて「神から中止命令が下った。だからやめろ。」と言われたと。

サタンは神の命令に従わざるを得ない。

紀元70年以降、サタンはキリストに支配され、征服されているのでキリストの命令を聞く。

このような征服状態がこの箇所の「滅ぼした」という意味である。

われわれの常識や言葉の定義や印象、感情で聖書を読んではならない。

「聖書は聖書によって解釈する」のが聖書解釈の大原則である。

なぜならば聖書以上の権威は存在しないからである。

2.

この説明をすると「これが『滅び』の意味であるならば、フルプレテリストの説明と同じではないか。彼らは『サタンの完全滅亡』『火の池に投げ込まれた』という黙示録の記述も紀元70年に起きたと言っているが」と反論があるかもしれない。

「サタンの完全滅亡」「火の池に投げ込まれた」を紀元70年の「滅び」と同列に置くことはできない。

なぜならば黙示録が示す「世界の最終状態」つまり「永遠の新天新地」には「呪われたものが一つもない」からである。


御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、
都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
<もはや、のろわれるものは何もない。>神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。・・・
<犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。>
(黙示録22・1-4、15)


最終状態とは「完全な聖邪の分離」である。

3.

紀元70年に、空中再臨と携挙があり、そこにおいて旧約時代の死者が「復活し」、生者は御霊のからだに「変えられた」。

このときに「死も滅ぼされた」ので、クリスチャンは死ななくなった。

肉体を離れる(いわゆる死)ときに、即座に御霊のからだが与えられる。

ただし、この「死の滅び」はノンクリスチャンには適用されない。


そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。・・・(黙示録20・5)


紀元70年の来臨後に始まった千年王国の間、クリスチャンは不死であり、王として世界を統治し、肉体を離れた後も御霊のからだにおいて天から支配する。

歴史を通じて御国は徐々に拡大し、世界が弟子化される。

紀元70年に法的に世界はキリストの王国に変わったのであるが、伝道と教育を通じてそれは実際的な御国に変わる。

最後に、聖邪の完全分離が行われ、永遠の世界が到来する。