そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。
「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。(1コリント15・17-28)


1.

「しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。」

ここで「再臨」と訳されている原語はπαρουσιαであり、それは「臨在」「来臨」という意味である。

復活は、キリストが「来臨」されるときに起きる。そして「それから終わりが来」る。

では、この「来臨」と「終わり」はいつ起きるのか。


イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」(マタイ24・3)


弟子たちは、「あなたの来られる時や世の終わり」の「前兆」について尋ねている。

これらの「前兆」についてイエスが述べられたが、最後にこう言われた。


そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。(マタイ24・30-34)


「この時代」は「これらのことが全部起こってしま」った後に「過ぎ去」る。

つまり、時系列的に見ると、


前兆が全部起きる→この時代が終わる


「この時代」とは「30年から33年の間」を指す。(*)

すなわち、来臨と世の終わりの前兆は、「30年から33年の間」に起きるとイエスは言われたのである。

来臨と終末の前兆は、イエスがこの言葉を語ってから「30年から33年の間」に起きた。

文字通り、神殿崩壊は紀元70年に起きた。

「預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ」旧約の世界は裁かれ、崩壊した。

新しい時代がやってきた。

もはや礼拝はエルサレムで行われるのではなく、「聖霊の宮」であるクリスチャンの体があるところ、どこでも行われる。

2.


イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国が力をもって到来しているのを見るまでは、決して死を味わわない者がいます。」 (マルコ9・1)

しかし、わたしは真実をあなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国を見るまでは、決して死を味わわない者たちがいます。」(ルカ9・27)

まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」 (マタイ16・28)


「人の子が御国とともに来る」つまり、キリストの来臨を見るまでは、決して死を味わわない人々がい」る。

これは、キリストの来臨と世の終わりが、紀元70年に起きたことを示している。

3.

紀元70年に復活は起きた。


しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
最後の敵である死も滅ぼされます。


紀元70年にキリストが来臨されたときに、「キリストに属している者」が復活し、死が滅んだ。

紀元70年以降、「クリスチャンは死ななくなった」のである。

キリストに属している限り、われわれは、たとえ肉体が滅んでも、即座に「御霊のからだ」が与えられ、復活する。

現在、昇天したクリスチャンには、この「御霊のからだ」がある。

さらに、紀元70年に「キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しにな」り、「すべての敵」が「その足の下に置」かれた。

法的に全世界はキリストの足下に置かれている。

いくらサタンが陰謀を企んでもすべて失敗し、キリストの御支配は世界に拡大するしかない。

世界情勢の背後には、この、神の「御国の拡大計画」がある。それを妨害できる人は誰もいない。

紀元70年以降は、クリスチャンが復活し、そのクリスチャンによって世界が復活する時代である。

キリストの法的な現実が、実際的な現実に変わる時代である。


(*)
「この時代」とは何か。

原語ではη γενεα αυτηである。このγενεαは、ストロングによれば、


an age (i. e. the time ordinarily occupied by each successive generation), the space of from 30 to 33 years
時代(すなわち、普通、連続したそれぞれの世代が占める時間)、30年から33年の間


という意味である。ほかに「民族」「家族」「人種」の意味もあるが、このマタイの文脈ではη γενεα αυτηは「この時代」とか「今の時代」と訳されている。


<この時代>は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。・・・(マタイ11・16)
ニネベの人々が、さばきのときに、<今の時代>の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。(マタイ12・41)
南の女王が、さばきのときに、<今の時代>の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。(マタイ12・42)
そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪な<この時代>もまた、そういうことになるのです。」(マタイ12・45)
まことに、おまえたちに告げます。これらの報いはみな、<この時代>の上に来ます。(マタイ23・36)


同じ表現がこれだけ一つの文脈に何度も登場し、一定の訳語が与えられている以上、マタイ24・34も「この時代」と訳すべきである。

「この時代」「今の時代」とずっと訳されていて突然「この民族」と訳すべきではない。