クリスチャンの最も重要な定義の一つは、ヨハネによる福音書第1章12-13節に記されている。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。(ヨハネ1・12-13)
まず第一に、ヨハネはクリスチャンの再生をキリストの処女降誕と比較している。再生は、キリストの誕生と同様に、奇跡である。
第二に、この再生は力―すなわち、神の子になる力―への再生である。ヨハネの時代において、かかる言葉の意味は一つしかなかった。つまり、神の子になることは「力―人間やこの世を超える力―に満ちること」を意味していた。
したがって、「無力なキリスト教」は、言葉の矛盾である。クリスチャンになることは、力のある人、世界を揺さぶる人、そして世界を動かす人になることを意味する。初期のクリスチャンは、「世界をひっくり返した」と言われていた(使徒17・6)。今日のあまりにも多くの教会員たちは、ティーカップをひっくり返すことしかできない!
「真のクリスチャン」の定義は「力、御言葉の力、そして御霊の力を持つ者」である。われわれは、力へと召されている。なぜそれ以下の存在に満足すべきだろうか。この「力への召し」に背を向けることは、主ご自身に背を向けることである。
クリスチャンは、支配権を行使し、地を従えるべく召されている(創世記1・26,28)。この召しに無関心であってはならない。力の子としてのクリスチャンの眼前には、征服すべき世界が広がっている。それゆえ、自らの任務と召しについて認識すべきである。われわれを召し、われわれに力を与えてくださるのは、主ご自身なのである。
(R. J. Rushdoony’s “A Word in Season: Daily Messages on the Faith for All of Life,” Volume 5.)
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